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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
変身之章
376/404

龍尾剣 其之弐

試合は中断したまま、下らないいさかいが延々(えんえん)と続く。


「ゴホン!」

後れてやって来た山南敬介が、不機嫌もあらわに咳払せきばらいをして、二人のケンカを止め、前置きもなく、琴に作戦の進捗しんちょくを伝えた。

「芹沢さんたちは、くすのきが長州の間者かんじゃだとすでに知っているから、君が死体の身代みがわわりを務める件は、私から説明してある」

「じゃあ、お琴さんは出戻りの隊士扱いってこと?」

沖田がたずねると、山南はかぶりを振った。

「いや、この事は、我々上京組だけの秘密だ。だから、佐伯さんにも知らせるつもりはない」


上京組とは、鵜殿鳩翁うどのきゅうおう率いる浪士組本隊から分派ぶんぱした、試衛館の八人と芹沢鴨ら水戸一派を指す。

彼らは全員、江戸から京に向かう途上とじょうで、当時は浪士組の一員だった男装だんそうの琴と顔を合わせており、彼女(彼)が復隊ふくたいするにあたって、長州の間者をよそおむね因果いんがを含めることになっていた。


「残念ですね。他の隊士たちに先輩風せんぱいかぜを吹かせられなくて」

沖田は面白がって同情するふうをみせたが、琴は鬱陶うっとうしそうに手を払った。

「別に構わない。この考試に受かれば問題ないんでしょ?」


山南は、内に秘めていた憤懣ふんまんおさえきれなくなった様子で、琴にめ寄った。

「まったく…勝手なことをしてくれたな、お琴さん。いや、なんと呼べばいい?楠小十郎くすのきこじゅうろう芸妓げいぎ明里あけさと?それとも他の誰かか?」

「やめて!好きでやってるんじゃない。知ってるでしょ?」

琴の抗弁こうべんを、山南はねつけた。

「いいや、分からんね。なぜ君が、こんな茶番ちゃばんを演じなきゃならんのか」


「おおい!次、なにモタモタしてる!?楠小十郎、早く前へ!」

しびれを切らした原田左之助が騒ぎ出して、二人の言い争いは中断された。

「とにかく、行ってくる。話はあとで」

琴は山南に背を向けた。



楠小十郎くすのきこじゅうろう?」

まだ事情を聞かされていない永倉新八は、琴が耳慣みみなれない名前で呼ばれたことにせない顔をして、土方に肩を寄せた。

「何やら事情があるらしいが、本気でやっちゃっていいのか?」

小声で確認すると、土方は永倉の肩にひじせて、含みのある笑みを見せた。

「あの女にいいとこ見せたいんだろ?手を抜く理由が?」

わざわざあおるようなことを言ったのは、琴が不甲斐ふがいない負け方をすれば、妥当な理由で入隊を却下きゃっかできるからだ。

察しのいい永倉は、ため息をらした。

「…やれやれ、土方さん(こっち)にも、なんか魂胆こんたんがあるみてえだな。ほんじゃま、好きにやらせてもらうぜ?」



「副長が二人とも非協力的じゃ、先が思いやられる」

琴は、相手の出方をうかがうため、オーソドックスに、平正眼ひらせいがんの構えをとった。


「はじめ!」

原田の掛け声で、

琴に向き合った途端とたん、永倉は真顔まがおになった。

「こいつは…鼻の下を伸ばしてたら、一発でやられそうだな」


しかし…

「こうやって、真正面から向き合うと、男の格好カッコしてても、やーっぱり可愛かわ…」

次第に頬がゆるんできたところへ、

琴の突きが飛んできた。

「うわっとと!」

(あわ)ててそれを払うと、

「いけねえ、いけねえ。つ~い見とれちまったぜ、子猫ちゃん」

改めて気を引き締める。


琴は小首をかしげて、あやしく微笑ほほえみかけた。


「ふん、ほんの挨拶あいさつ代わりってワケかい。しかし、これほどとはな」


一方の琴も、行きがかり上とはいえ、永倉新八と剣を交えることに興奮を覚えていた。

自分のかんが正しければ、彼はこれまで会った剣士の中でも屈指の実力者だ。

「休ませる気はない」

琴は、上段、中段、下段をぜ、

目にも止まらぬ速さで連続攻撃を繰り出した。


志願者たちは、口を開けて二人の攻防こうぼうながめていた。

「は、早ええ!」

「しかし、アレを全部かわす方もすごい」


琴の攻撃が一区切ひとくぎりついたところで、

永倉はピョンと後ろに飛びのいて、琴と距離きょりを取った。

「ふう、疲れた。ちょっと休ませてくれよ…」

琴はまたニヤリと笑った。

「まだまだ、こんなもんじゃないでしょ?」

永倉は肩で息をしながら顔をゆがめた。

「生き生きしちゃってまあ…ご期待に沿いたいとこだが、あいにく手持ちの技はそう多くなくてね。だけど、ほんじゃまあ、おれもなけなしの切り札(きりふだ)ってやつをご披露ひろうしますか」


永倉は、剣先けんさきををだらりと下げ、半身はんみを開いた。

一見、面から胸へかけて、すきだらけに見える。


見慣みなれない構えに、琴は警戒けいかいした。

永倉は、その姿勢しせいのまま、ジワジワとにじり寄ってくる。


あの肩口かたぐちへ、上段から撃ちかかっていいものか。

琴は、迷い、一定の距離きょりを保った。

ジリジリと照りつける太陽の(もと)

先ほどとは一転して、

試合は膠着状態こうちゃくじょうたいに陥った。


「来ねえのかい?これじゃ考試こうしにならねえぜ?」

今度は永倉がニタリと笑う。


この男の「切り札」が何であれ、

自分のスピードなら、それが届く前に、

勝負を決められるかもしれない。

「くっ」

琴はいちばちかのけに出て、

八相の構えから、めんを打ち込んだ。


琴の足が間合まあいにみ込んだ刹那(せつな)


だらりと下がった竹刀のが、

琴の剣先を下から上へ

猛然とすり上げてね返した。

と同時に、

その剣が、稲妻いなずまのような大上段となって、

頭上から、琴に目がけて落ちてくる。



ガチリ!



琴はかろうじてその一撃を受け止めていた。


しかし。


永倉の竹刀しないは、すでに琴のひたいにわずかれていた。

琴の力負ちからまけだった。


二人の剣捌けんさばきは早すぎて、常人じょうじんには目で追うことも難しい。


「…永倉の奴、いま、何をやったんだ?」

土方が二人を凝視ぎょうししたまま、近藤にたずねた。

「…上段からの攻撃をさそい、攻防こうぼう一体になったたての一撃を返す、すなわち、を打てばあたま来たり、あたまを打てば来たる、人呼ひとよんで、竜尾りゅうびの剣だ…」

近藤は、(こぶし)を握りしめながらこたえた。


琴は、竜の(ごと)大上段だいじょうだんの勢いに飲み込まれ、敗れたのだ。


しかし永倉は、最も得意とする剣法を受け止めた琴の反射神経に驚愕きょうがくしていた。

その表情は、とても勝者のそれには見えない。

勝負が決まったと思ったあの一瞬、永倉には、琴の瞳が紫色に光ったように見えた。

「…さっすが、やるねえ。文句なしで合格だ」

「でも、負けました」

琴は頭を下げた。

これが真剣しんけんで、同じように打ち込んでいたら自分は死んでいた。

背中にはたきのように冷や汗が流れている。


永倉は、さきほど自分が見たものの正体を、まだ考えていた。

「しかし、真剣でも同じようにいくとは限らねえ。あんたは本番に強そうだしな」


「ちっ」

土方歳三が舌打ちする。

確かに、負けはしたが、これでは口を差しはさむ余地よちはない。


ひたいに汗を浮かべる琴に、阿部が手拭てぬぐいを投げつけた。

「お前だけ受かってどうすんだよ!」

「ごめん」


と、そこへ。

「おうおう、いたいた。近藤先生、近藤先生」

局長代理の谷右京老人がのっそりと現れて、

「たった今、屯所とんしょに会津からのつかいが来てね、急報が入ったよ」

と告げた。

「谷先生、どうしました?」

「それがねえ、大樹公たいじゅこうが小笠原様にお沙汰さたを言い渡すため、明日にもまた、大坂へ向かうことになったんだってさ。浪士組も警護のため帯同たいどうする様にとのお達しだよ。めんどくさいよねえ」

もちろん、考試こうしは中断。

「皆に準備させます」

近藤は、川島勝司に言いつけ、急いで幹部を招集しょうしゅうさせた。


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