八百長試合 其之壱
入隊希望者は、名のある人物からの推挙でもない限り、まず屯所で姓名と簡単な身上(履歴)を申告する。
そこでは当然、思想的な背景をチェックする意味で、志望動機なども述べることになる。
沖田総司が、中沢琴と阿部慎蔵改め十郎を連れて、八木邸の母家に戻ると、内玄関で受付を担当していた副長助勤の松原忠治と勘定方の河合耆三郎が、入隊希望者らしき男と面接していた。
男は、坊主頭に儒服のようなものを纏った風変わりな出立ちで、二人と熱心に話し込んでいるように見える。
阿部が、琴にその男を指差した。
「あ、ほら、あの男。五つ櫓で会った…」
それは、大坂で彼を助けた武田観柳斎だった。
「あの人がそうなの?」
武田の方は話に熱中して、阿部には気づいていないようで、
向かいに座る二人との間を隔てる床几のうえに、人差し指の先をトンと突き立てた。
「…つまり、あんたは、こう言いたいわけ?今この国にいる外国人を皆殺しにして、横浜に停泊している鉄の船を焼き払った後、怒り狂ったアメリカ、イギリス、フランス、オランダの艦隊が攻め込んでくる前に、この国のグッダグダな現状をなんとか立て直して、敵を迎え撃つぞって、そういうこと?」
どうやら武田と松原は、志望動機である「尊王攘夷の志」について、意見の相違を見ていた。
松原がムッとして問い返す。
「なんや、引っかかる言い方やけど、まあそや。文句あるんけ?」
武田はその同じ人差し指を、鼻梁に沿わせるように額に当てた。
「ごめんなさい。ひょっとしたら寝言かもしれないと思って、一応確認しただけ。でもそれが、壬生浪士組の方針って事で間違いないかしら?」
「違うわい!御公儀が攘夷の決行を公に認めたんやから、それが日本の方針ちゅうこっちゃ!」
「まあまあ、松原さん、落ち着いて。あの、なにか問題でも?」
河合はエキサイトする松原をなだめて、もう一度問い直した。
本来であれば、入隊どころか引っ括って座敷牢にでもブチ込みたい言い草だが、本人が攘夷論を信奉していると言っている以上、ぞんざいに扱うわけにもいかない。
武田観柳斎は、人差し指の背で顎をなでた。
「そうね…私の政治的な信条とは随分開きがある。けど、まあいいわ。問題ない」
「では、裏の壬生寺で剣の技量を…」
河合が次のステージへ進もうとしたところ、
「もういいかしら?勇さんはこの奥?じゃ、ちょっと失礼するわね」
武田は案内も乞わず、勝手にズカズカと屯所に入っていった。
「あ!ちょ、チョットあなた!困りますよ!」
河合は敷居につまづきながら、その後を追いすがる。
釣られてついて行きそうになる沖田を、琴が引き戻した。
「どこ行く気?」
「いや、あっちの方が面白そうなんで」
「いいから!ここで、私たちが名前書くの待ってなさい!」
松原は沖田たちに気づいても、欠伸をしながら床几に脚を投げ出したままである。
「よお、沖田はんやんけ。ホンマ、めんどくさい客ばっかりで嫌んなるわ」
「あはは、ダラケすぎ。申し訳ないけど、あと二人、お願いします」
「ふあ〜あ!沖田はんの知り合いけ?」
松原は、うっすら涙を浮かべた目で、琴と阿部をチラリと見た。
「そうなんですよ。楠木小十郎さんと阿部…え~…」
「十郎」阿部が付け加えた。
「そう、阿部十郎さん」
「あ、そ。ほな、そこにチャチャっと名前書いて、裏の寺に行ってみ」
松原は寝転びながら、股の間にある名簿を指差した。
「なんで十郎?」
琴が阿部の脇腹を突いた。
「俺が十郎でおまえが小十郎、覚えやすいだろ?」
「前もそんなこと言ってなかった?」
「ほんとはな、うちの親父や爺さんも代々十郎を名乗ってんだ」
「…どこまで信じていいんだか」
無駄話をしながら壬生寺の境内に入っていくと、「試験場」には、すでに数人の候補者が列を成していた。
境内の中央では、副長助勤の川島勝司が候補者と立ち合っている。
すぐ前に並んでいた人の良さそうな青年が、阿部に声を掛けてきた。
「みんな強そうに見えますねえ?」
「この怪しげな集団に入りたい野郎がこんなにいるとはな。世知辛い世の中だよ」
阿部は沖田の眼も気にせず、世を嘆いた。
青年も話に乗ってきて、
「私は糸魚川藩の出ですが、あっちはひどい不景気でしてね。御用金やら沖口の出入役銀がどんどん吊り上がって、一揆や騒動が絶えない有様です。お恥ずかしい話、京にも食い扶持を稼ぎに来たような次第でね」
と、照れながら打ち明けた。
人のいい阿部は、すっかり同調して、
「いや、ここだけの話、俺だって最初こっちに出て来た理由は口減らしみたいなもんだよ。てのもさ、大坂で世話んなってる道場の資金繰りが、かなり逼迫しててね」
「京には、そんなに仕事があるんですか?」
「て訳でもなかろうがね。ちょっとした儲け話があってさ…ただその、運が悪かったんだな。その金で道場を建て直して恩返しするつもりが、完全に当てが外れちまってよう。このまま帰るのも格好つかないから…」
そこまで言って、琴に思い切り唇をつままれた。
「知らない人相手に、いったい何の相談してんの!」




