虎切 其之参
膝をついて祐の具合を看ていた阿部が、沖田を振り返った。
「肩を斬られているが、浅手だ。それより倒れた時に頭を強く打ったらしい」
祐のすぐ脇に、地面に埋まった大きな石の表面が剝きだしており、倒れたとき、運悪くそこに後頭部を打ち付けたようだ。
沖田は祐の上半身を抱き起こし、その頬を撫でた。
「バカ。誰彼かまわず、突っかかって行くからだよ」
祐は薄目を開けて、何か言おうとしたが言葉にならず、そのまま気を失った。
「おい!しっかりしろ!」
遠くで様子を伺っていた八木為三郎が、おずおずと近づいてきて沖田を見上げた。
「浜崎先生に診てもろたら?」
「お母はん、呼んできた方がええ?」
石井雪も、少し離れたところから尋ねた。
「お母さん?」
琴と阿部が、小さな女の子を振り返る。
「浪士組がお世話になっている診療所が、この近くにあります。この子はそこで働いているご婦人の娘さんです」
沖田は説明しながら、祐の身体を背負った。
「いいよ、お雪ちゃん。私が連れて行こう」
「この死体は、どうすんだよ?」
阿部が、すでに骸となった楠を指差す。
「…バカなことをしたわね」
琴は責めるような眼で沖田を流し見た。
それはこの男から情報を引き出す機会を逸したことを言ったのか、
それとも人を殺めたことそれ自体を言ったのか、沖田には分からなかった。
「悪かったですね。わたしは、お琴さんみたいに、いつも冷静じゃいられない」
自分も清河の件では、カッとなって斉藤弥九郎に斬りかかったことがある。
琴は、沖田の気持ちを察して、軽はずみに責めたことを少し悔やんだのか、ヒントらしきものを与えた。
「仏生寺弥助は、紛れもない天才よ。一人でやるなんて無理」
沖田は、北門の方へ歩き出しながら、舌打ちした。
「クソ!つまり、他にも仲間がいるんだ。そいつらの名前を聴き逃した」
「慰めにならないかも知れないけど、たぶん、聞いても無駄だったと思う。それに、仲間がいても、彼らが互いの顔を知っていたとは限らない」
琴は井筒屋で見た、桂小五郎の用心深さを思った。
琴がそう言うからには、何が根拠があるはずだと、沖田は勝手に納得した。
「おい!だから、コイツはどうすんだって?」
阿部が二人を追いかけながら、もう一度尋ねると、
「しばらく、人目につかない物陰にでも、隠しておいて下さい。後で引き取りに来させます」
沖田は素っ気なく応えた。
「俺が?」
阿部が自分の顔を指すと、沖田は軽く周囲を見渡した。
「ほかに誰が?」
祐を背負い、浜崎新三郎の診療所へ向かう道すがら。
「それにしても、こいつ、あんな所で何してたんだろ?」
沖田は、背中の祐と、後ろをくっついてくる勇之助の顔を交互に見て言った。
祐は、まだ気を失ったままである。
「わかれへん」
勇之助は首を横に振った。
無論、沖田もまだ幼い勇之助に答えを期待していたわけではない。
「…楠を詰っていたように聞こえたけど、痴話喧嘩って感じでもなかった」
それは、肩を並べて歩く琴に、というより、考えがつい口を衝いて出た言葉だった。
「いま、そんなこと気に病んでもしょうがないじゃない。とにかく、医者に連れて行きましょう」
琴が励ますように言うと、
沖田は憂鬱な面持ちで、祐の顔を覗き込んだ。
「ええ。でも、初対面であんな喧嘩はしない。楠の素性を知ったいま、あの言い争いの訳を確かめないと…」
琴がふと微笑んだ。
「…優しいのね」
「なんでそうなるんですか?」
沖田は拗ねたように、前を向いた。
琴が浜崎診療所の門を叩くと、すぐに石井秩が玄関に姿を現した。
「沖田さん?」
彼女は、恋人の姿を見て一瞬頬を緩めたが、
すぐ、その背中にグッタリと覆いかぶさる少女に気づいて、表情を硬くした。
「こんにちは。先生、いますか?」
琴の手前、沖田の口調も余所行きになる。
「あ、はい。ええ。いらっしゃいます」
秩は、心配そうにその少女を覗き込み、目を見開いた。
「…お、お祐ちゃん?どうされたんですか?」
沖田はどう説明してよいか分からず、言葉に詰まっていると、
「すみません。とにかく中へ」
秩はその答えを待たず、診療室へ招き入れた。
沖田たちが祐の身体を布団に横たえると、
ほぼ同時に、医師の浜崎が部屋に入ってきて、挨拶もそこそこに、額の血と肩の刀傷を診た。
「事情を聞く前に、まずは応急手当をしないと。服を脱がせます」
浜崎はそう言って、沖田たちを部屋の外に出した。
琴は勇之助の肩を優しく抱いて、子供たちを門の方に誘った。
「きっと遅くなるから、あなたたちは、もうお家に帰りなさい」
沖田が為三郎を呼び止め、伝言を頼んだ。
「このこと、お雅さんと、土方さんに知らせてくれる?」
為三郎が小さく頷き、心配そうに振り返りながら出ていくと、琴と沖田は土間の上がり框に並んで腰を下ろした。




