七星剣 其之弐
「馬鹿野郎!やめねえか、あぶねえ!」
阿部は慌てて刀をひっこめたが、武田は刃先スレスレに顔を近づけて、うっとりした表情を浮かべた。
「こりゃあ、あれね?七星剣ってやつ。どこでこれを?」
「そんなこと、どうでもいいだろ!」
と突っぱねたものの、阿部の脳裏には良からぬ煩悩が頭をもたげてきた。
「…あんた、この刀の値打ちが分かんのかい?」
「刀の目利きは専門じゃないけど、国許の出雲が、古くは、たたら製鉄で知られた土地柄でね。こういう宝剣を見るのが趣味なの」
「宝剣!やっぱ、これって宝剣なのか?!」
「ていうか、阿部清明が、古代の霊剣を模して作らせたものらしいけど…ほら、ここ。七つの光芒が見えるでしょう?だから七星剣」
武田は、刃紋をなぞりながら、何やら怪しげな蘊蓄を披露した。
「ふ、ふうん」
阿部からすると、そう言われてみれば光芒が見えるような気もするし、やっぱり見えないようにも思える。
「これはきっと、破敵剣の方ね」
「破敵剣?七星剣じゃないのか?」
阿部は少々混乱して尋ねた。
「もともとは破敵剣と護身剣という二刀一対の剣で、銘はないが、安政の頃に高橋長信が、それを打刀と脇差に打ち直したって言われてる。ふたつ併せて七星剣」
「ご、護身剣?護身剣って言った?じゃあ、こっちも?」
阿部は血走った目で脇差を差し出すと、武田はそれをスラリと抜いて目を丸くした。
「ウソ!あんた、二つとも揃えたって言うの?」
「本物か?そっちも本物なのか?」
鼻息を荒くして詰め寄る阿部を、武田は汚いものにでも触れるように押し戻した。
まあ実際、汚かったのだが。
「あたしだって見るのは初めてだから、保証は出来ないけど、同じ刀工の作なのは間違いないと思う。どういった経緯であんたの手に渡ったかは知らないけど、破敵剣の方は、あの清河八郎が持ってたって噂を聞いたことがあるわ。けど、こっちの護身剣は、長らく行方が知れなかったはず」
「ふ、ふうん。あんた、詳しいね」
阿部は、自分が期せずして二振りの宝剣を集めたことに気づいて、すっかり興奮していたが、今さらこれを石塚に譲る気などなかった。
石塚の目利きでは、どうせ見ても分からないであろうし、そんなことを正直に告白する義理もない。
武田観柳斎は、右手を頬に添えながら、阿部をしげしげと眺めた。
「てか、こんなものを持ってるあんたが、何で残飯なんか漁ってんの?」
阿部は急に我に返って、
「あんたに関係ないだろ。まあ、礼を言っとくよ」
と、また余所余所しい口調に戻った。
「これ、さっきのお釣りだけど、これでなんか食べなさい」
武田は阿部の境遇を哀れんだのか、一分銀を五枚、掌に載せて差し出した。
阿部は武田の手のひらと顔を、交互に、何度も見返した。
「まさか、お前、その金で俺を買おうって魂胆じゃ…」
「やめてよ!あたしはね、こう見えても面喰いなの。あんたなんか願い下げよ!」
と、ここで阿部の回想シーンは終わりである。
「…てな?この刀のおかげで一応サムライの体裁は保ってっからよ。信用貸しが利いたわけ」
と阿部は自慢げに話を締めくくった。
「は!」
琴はもはや返事をする気すら失せていた。
「そのおかまってのが、刀好きの浪人でね。向こうから『珍しいものをお持ちですね』なんて声を掛けてきたんだ。で、ちょっと見せてやったら、仲良くなっちゃってさ」
「彼、親切なうえにバカね」
阿部には、そんな皮肉など通じない。
「ある意味、それは当たってるね。金はある時払いでいいって言うからさ、じゃあ、どこに返しに行けばいいって聞いたら、なんて言ったと思う?」
「ナゾナゾはいいから。さっさと話を済ませて」
「今から知り合いを頼って浪士組に入るって言うんだ」
「その、親切なおかまが?」
「そ。まったく、浪士組の連中、広く門戸を開くのもいいが、際限を知らんらしい」
琴は、同性愛者の同僚を思い浮かべながら、ため息をついた。
「もう何を聞いても驚かない。男色の浪人なんて、珍しくもないでしょ」
「スレてんなあ、おまえ。とにかく、そのおかまがさ。金が必要なら、あんたも入れば?なんて言うから、冗談じゃねえよって、逃げてきたんだ」
「それって、悪くない考えかも」
「バカ言え!誰から逃げてきたと思ってんだよ!あの近藤…」
琴は阿部の反論を断ち切った。
「私は真面目に答えてるの。だって、顔は見られてないんでしょ?」
「ま、そう思うが…だからなんだよ?」
「ねえ、分かってる?貴方は薩摩の蔵屋敷を襲った窃盗団の容疑者なの。いや、そうじゃない。真犯人だったわね」
「ちっ、よせよ」
阿部は苦り切った顔で手を払った。
「もし、ご公儀より先に薩摩に捕まったら、どうなると思う?」
琴の深刻な口ぶりに、阿部は急に不安になって、目をすがめながら首をヌッと突き出した。
「どうって…どうなるんだよ?」
「彼らは、きっと彼ら自身の法で貴方を裁く」
「な、何で?」
「考えてもみなさい。薩摩が抜け荷を目撃した人間を、みすみすお上に渡すとでも?口を封じるに決まってる」
こう断言されると、阿部は急にシドロモドロになった。
「いや、でも、まさか、そこまでは…」
「絶対ないって言える?」
「あるかな?」
琴は眉を吊りあげ、肩をすくめて想像してみろと促した。
「そりゃ確かに、ヤバいもんを見ちまったが…」
「じゃあ逆に、何処が一番安全かって考えてみれば?」
「逆って、つまり、取り締まる側つーわけか…、なるほど、灯台下暗しってヤツだ。一理ある」
浪士組に入れば、借金取りの石塚岩雄や、以前揉めた長州藩、それにあの岡田以蔵からも身を守れる。
考えてみれば、一石二鳥ではある。
「あなたには元々選択の余地なんてないの。尊皇だの攘夷だのと言うなら、丁度いいでしょう?」
「なんか、そんな気もしてきたが、お前、俺のこと騙して、適当に言いくるめてないよな?」
兎にも角にも、阿部は、浪士組に入ることを決心した。
琴は満足げにうなずくと、「分かったら出ていけ」と勝手口の方向に目配せした。
「いやいや、乗りかかった船だろ?あんた、浪士組の沖田と仲良かったじゃんか?口利きを頼むよ」
琴は、北新地でズブ濡れにされた一件を連想して、また顔をしかめた。
「もうあんたと船に乗るのはお断り。いい加減、わたしの周りをウロつくはやめて」
「なあ、冷たいこと言うなよ。お前にあやかって十郎と名前を改めることにしたんだぜ?」
琴はウンザリした顔で大きく息を吐いた。
「…じゃあ、明日の朝もう一回ここに来て。ついてってあげる」
「ありがてえ」
「言っとくけど、これで…」
「わかってる!命を救ったのは三度目だって言いたいんだろ?」
「これが、本当に最後だから」
「そりゃどうも」
阿部慎蔵改め、阿部十郎は、頭の後ろを掻きながら、調子よくお辞儀した。




