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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
角力之章
353/404

夕涼み 其之参

「で、この方は、筆頭局長ひっとうきょくちょうの芹沢鴨先生だ」

平間が開き直って芹沢の名を出すと、付き人の一人が鼻で笑った。

「知らんな。こちらは小野川部屋、中頭なかがしら熊川くまのがわ関や」

その熊川くまのがわは、不敵な笑みを浮かべたまま、恫喝どうかつなどモノともせず、そそり立っている。


彼らの親方にあたる小野川秀五郎は、熱心な勤皇きんのう派として知られ、士分しぶんを見下しているところがあったというから、弟子たちも、その影響を受けているのだろう。

しかも、熊川くまのがわ番付ばんづけ中頭筆頭なかがしらひっとう、現代の大相撲でいう十両筆頭にあたる。

と言えば、中途半端ちゅうとはんぱな格付けだと思われるかもしれないが、さにあらず、

この頃の大坂相撲の置かれた状況は、現在の日本プロ野球界にも似て、実力者はすぐ大名にかかえられ、江戸相撲メジャーに移籍してしまうという傾向にあった。

そんなわけで、大坂には幕内まくうちより上位の関取せきとりは居らず、つまり、熊川関くまのがわぜきは、実質的に大坂相撲の最高位にあったのだ。


芹沢鴨は小首をかしげ、首筋くびすじきむしった。

「まったく…あのなあ、雇い主に言っときな。尾行びこうさせんなら、今度からもう少し図体ずうたいの小さい奴に頼みなってよお」

しかし、熊川くまのがわは無言のまま、威圧的いあつてきな態度で見下ろすばかりである。

大柄な芹沢にとっては、滅多めったにある構図ではない。

その青白い顔に、うっすらとしゅが差した。

「ふん、それはまあいいや。あんたもお役目なんだろうからな。だが…」

そこまで言って、芹沢は抜き打ちに斬りつけた。


「うおっ!」


胸から腰にかけて、浴衣ゆかたが切り裂かれ、血飛沫ちしぶきが飛び散った。

熊川くまのがわは叫び声をあげて、前のめりに倒れる。


芹沢は、片方のまゆを吊りあげて笑った。

「なあ、お相撲さんよ。俺もガキじゃねえから、何時いつもなら、こんな事でいちいち腹を立てたりしねえんだ。ただなんつーか、そのタプタプの二重顎にじゅうあごが目の前にあるのだけは、どうにも我慢がまんならねえな」


「おいおい、芹沢の奴、やっちまいやがったぞ」

すっかり酔いのさめた原田左之助が、永倉新八の肩をすった。

永倉も呆気あっけに取られている。

「冗談だろ…」


斎藤一は、相手の反撃に備えてつかに手を掛けたが、付き人たちは恐れをなして逃げ去っていった。


平間重助が途方とほうに暮れて、横たわる巨体を見下ろした。

「なんてことを…」

新見と言い、芹沢と言い、考えなしに人を斬りすぎる。


芹沢は、刀をサヤに納めると、フンと鼻を鳴らして、熊川くまのがわの身体を軽く蹴飛けとばした。

「バーカ。ちょいと切り傷をつけてやっただけだよ、殺しちゃいねえ。また相撲だって取れらあ!」

よく見ると、たしかにまだ息をしている。

「あのなあ、これは、そういう問題じゃ…」

つい先日も、新見と同じような問答もんどうをしたばかりだとウンザリしながら、平間は抗議こうぎしたが、芹沢はその先を言わせなかった。

「出かけるまえに、近藤の奴がなんか言ってたろ?内山とかいう与力よりきに気をつけろってよ」

「それがどうした?」

「こいつらあ、奉行所のイヌだよ。なあ、山南さん?」


少し解説すると、

この時代にはまだ、現在の日本相撲協会にあたるような全国の大相撲を統括とうかつする組織は存在せず、江戸相撲、大坂相撲、京都相撲などは、それぞれが独立した格闘技かくとうぎ団体だった。

便宜上べんぎじょう格闘技かくとうぎと表現したが、「勧進かんじん相撲」は厳密には神事しんじであり、建前たてまえは寺社への寄付をつのるチャリティーショーである。

そして、ここが重要なのだが、江戸相撲の興行プロモート寺社奉行じしゃぶぎょう管轄かんかつであったのに対し、大阪は町奉行所の管轄下かんかつかにあった。

つまり、大坂相撲の力士たちにとって、西町奉行所与力にしまちぶぎょうよりき内山彦次郎は、実質的なやとい主にあたるわけだ。


折りしも、大坂には老中ろうじゅう小笠原長行おがさわらながみちが乗り込んできており、そこへ悪名あくみょう高い浪士組が下阪げはんしたと知って、余計よけい騒動そうどうを嫌った内山彦次郎は、力士たちに命じて彼らを監視かんしさせていたのである。


実は、山南敬介もそれに気づいていたが、芹沢の暴力的な対処は予想外だった。

「…それを分かっていて手を出したんですか?」

鋭い眼で筆頭局長をにらみつけ、怒りをあらわにする。

芹沢は気にする風もなく、曽根崎川そねざきがわを眺めてうそぶいた。

「見ろよ、山南先生。川面かわも三日月みかづきが映ってるぜ…風流だねえ。こんな夜に、目障めざわりな奴らにウロチョロされたんじゃ、せっかくの気分が台無しだ。そう思わないか?」


しかし、京ほど血生臭ちなまぐさい事件に慣れていない大坂の人々は、たちまち大騒ぎになった。

「ひ、人が斬られた!」

堂島新地は、いわば中州なかすにある小さな村だ。

叫び声を聞きつけた野次馬ヤジウマが、あっという間に集まってしまった。

遊里ゆうりに遊ぶ客だけでなく、芸妓げいぎや茶屋の中居なかい幇間たいこもちまで。


「…まずいな」

山南敬介が、平間重助に耳打ちした。

「早くここを離れた方がいい」

平間も周囲を見渡して、うなずいた。


その、集まってきた人々の中に、料亭りょうてい紀伊国屋きのくにや中居なかい、小寅の姿が混じっていた。

中沢琴の友人で、西郷吉之助の愛人、別名、豚姫ぶたひめである。


小寅は、人の群れをかき分け、熊川くまのがわに駆け寄ると、野次馬ヤジウマを振り返った。

「あんたら!なにボーッと見てんねん!早よお医者に連れて行かな!」

目の前にいた二人の町人の手を引っ張ると、通りの袖看板そでかんばんを指さして、

「そこの大喜楼たいきろうへ行って、戸板といた借りてぃ!」

と命じた。

「え?え?」

「ええから、よ!」

小寅は、なぜ指名されたのかワケが分らずうろたえる野次馬ヤジウマの背中を突き飛ばした。


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