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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
角力之章
348/404

源三郎の災難 其之弐

鉄の扉の前には抜け荷(ぬけに)の山が築かれた。

あとは、この中から持ち出すものをり分けるだけだ。

「…夜までがもたねえな」

阿部は、鉄扉の隙間すきまから漏れる外光を見やった。

柴田は、長持ながもちをこじ開けながら、

「なあ、さっきの厩番うまやばんの話やけどな…わしゃ、やっぱり納得いかん。兄貴アニキはそいつを見習えば女にモテると言いたいんか?」

と話をし返した。

ちょうど時間をつぶす話題を探していた高沢も、これに乗ることにした。

「あの話にはまだ続きがあるんや。厩番うまやばんは、もう老人と言うてもええ歳やったが、長崎通詞ながさきつうじの屋敷に勤めるうち、オランダ語を覚えた」

「いやいや、オランダ語を話す厩番うまやばんなんて聞いたことないぞ」

「まあ、門前もんぜん小僧習こぞうならわぬきょうを読むちゅう例えもあるさかい、そういうもんかも知れんがな」

高沢は、この話になんの矛盾むじゅんも、不自然さも感じていないようだ。

「そんなある日、主人の通詞つうじが腹を壊して、大事な商談に穴を開けそうになった」

「ほんなら、どうすんねん」

「もちろん普段なら代役をたてるが、その日に限って手の空いた人間が一人もおらん。オランダ人ちゅうのはドケチで有名やさかい、金の交渉も難航なんこうするのがつねでな。つまり、通詞つうじの仕事かて誰でも務まるわけやないんじゃ」

阿部も、何時いつしかこのどうでもいい話に引き込まれていた。

「まさか…」

通詞つうじは考えた。このお役目も世襲せしゅうやから、息子を代役に立てて、この厩番うまやばんじいさんの付き添いで、未熟な部分を補わせようとな。なんせ、馬の眼を見ただけで何を考えとるかわかるほど(さと)い男や。オランダ人言うたかて同じ人間なら、(わけ)ないはずや」

「なんぼなんでも、そんな大抜擢だいばってきがあるかい」

柴田が突っ込みを入れる。

「まあ、聞け。案の定、交渉は難航なんこうや。オランダ人どもは長崎会所の地役人じやくにんに、ネチネチと輸出品の見積りの細かい内訳うちわけを求めてきよった」

「そこでまた、厩番うまやばんが活躍するとか言うなよ」

「役人が『藩の内情に関わることだから、申し訳ないがこれ以上詳細(しょうさい)は明かせないと伝えよ』と命じると、通詞つうじの息子に代わって爺さんが話し出した」

「おい!」

柴田がまた何か言いそうなのを、高沢が手振りでおさえた。

「ほんならや。オランダの商館員は、厩番うまやばんと話すうちに、今まで見たこともないくらいカンカンになって怒り出しよったんや。

そら、商談やさかい、厳しい駆け引きもあるが、こんなに感情的になるのは只事ただごとやない。

地役人が、『この男は、どういう伝え方をしたんだ?』と通詞つうじの息子を問い詰めると、息子は気不味きまずそうに説明をはじめた。

『彼はこう言いました。だって、内訳うちわけを出せば、あなた方は、次にその一つ一つを(あげつら)って、重箱じゅうばこすみ(つつ)くみたいに、高いのなんのと難癖なんくせをつけるつもりでしょう?そんな面倒めんどうな手間はもう沢山たくさんだから、さっさとこの見積りを受け取って帰ってくれ、と』」

聞いていた阿部は、しばらくこの話に込められた教訓について考えてみたが、どうにもに落ちない。

そもそもこれは、女性を口説き落とすための話、のはずだったからだ。

「…え?なんでじいさんは、そんなこと言ったの?」

「そう思うやろ?地役人じやくにんもおんなじことを厩番うまやばんに聞きよった。

ほんなら、厩番うまやばんの返答は、

『私は貴方あなたの言葉が意味するところを、より正確に伝えただけです』

と、悪びれる様子もない。

『そんなことは、ひと言も言ってない!』

地役人じやくにん怒鳴どなりちらすと、厩番うまやばんは、ほこらしげに胸を張った。

『私には分かるんですよ。貴方あなたの眼を見れば、本当は何が言いたかったのか』」


高沢は、そこで口を閉じ、話の余韻よいんを残すように二人の反応を伺った。


柴田と阿部は、この寓話ぐうわともつかないホラ話の着地点に、ただ呆気あっけに取られていた。


「…だから?」




そして…陽が落ちた。


高沢が扉の隙間すきまから首を出して、空を見上げる。

「そろそろ、ええ頃合ころあいやろ」

「まだ薄明うすあかるいが、大丈夫か?」

阿部が念を押したが、二人は気に留めない。

「アホンダラ、あれは出店の灯りや。ビビんな」

結局、絹の入った長持ちを三つ、引きずり出して蔵を出ることになった。


ところが、勝手口の木戸きどまでもう少しという所まで戻ったとき、向こうから提灯ちょうちんあかりが近づいてくるのが見えた。

「おい、人が来た!」

どうやら蔵屋敷くらやしき奉公人ほうこうにんらしい。

しかし、入ってきた時と違って、今は荷物を山ほど抱えている。

この姿を見られて小揚こあげと言い張っても無駄だろう。


「こっちの蔵の陰からズラかるで!」

高沢は、二人を呼びつけ、土塀どべい鉤縄かぎなわを投げた。

「やれやれ、ほんとにコレが役に立つとは思わなかったな」

阿部は鉤縄かぎなわを見つめてため息をついた。

「おい、これ、どないすんねん?」

柴田が、塀瓦へいがわらに引っかかる鉤爪かぎづめの手ごたえを確かめながら、長持ちをあごで指す。

「アホか、そんなもん持ってこの壁よじ登れるかい、置いていけ!」

高沢は塀の上から小声で怒鳴ったが、柴田はあきらめきれず、長持ちから絹織物きぬおりものを引っ張り出して何枚か腰に巻きつけた。


「結局、今回もスゴスゴ退散かよ」

本日の収穫は古ぼけた脇差わきざしのみ。

阿部が、外の世界の地面に足を着いた、その時である。


「何をしている!」

浪士組局長、近藤勇の怒声どせいが飛んだ。


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