源三郎の災難 其之弐
鉄の扉の前には抜け荷の山が築かれた。
あとは、この中から持ち出すものを選り分けるだけだ。
「…夜まで間がもたねえな」
阿部は、鉄扉の隙間から漏れる外光を見やった。
柴田は、長持をこじ開けながら、
「なあ、さっきの厩番の話やけどな…わしゃ、やっぱり納得いかん。兄貴はそいつを見習えば女にモテると言いたいんか?」
と話を蒸し返した。
ちょうど時間をつぶす話題を探していた高沢も、これに乗ることにした。
「あの話にはまだ続きがあるんや。厩番は、もう老人と言うてもええ歳やったが、長崎通詞の屋敷に勤めるうち、オランダ語を覚えた」
「いやいや、オランダ語を話す厩番なんて聞いたことないぞ」
「まあ、門前の小僧習わぬ経を読むちゅう例えもあるさかい、そういうもんかも知れんがな」
高沢は、この話になんの矛盾も、不自然さも感じていないようだ。
「そんなある日、主人の通詞が腹を壊して、大事な商談に穴を開けそうになった」
「ほんなら、どうすんねん」
「もちろん普段なら代役をたてるが、その日に限って手の空いた人間が一人もおらん。オランダ人ちゅうのはドケチで有名やさかい、金の交渉も難航するのが常でな。つまり、通詞の仕事かて誰でも務まるわけやないんじゃ」
阿部も、何時しかこのどうでもいい話に引き込まれていた。
「まさか…」
「通詞は考えた。このお役目も世襲やから、息子を代役に立てて、この厩番の爺さんの付き添いで、未熟な部分を補わせようとな。なんせ、馬の眼を見ただけで何を考えとるか解るほど聡い男や。オランダ人言うたかて同じ人間なら、訳ないはずや」
「なんぼなんでも、そんな大抜擢があるかい」
柴田が突っ込みを入れる。
「まあ、聞け。案の定、交渉は難航や。オランダ人どもは長崎会所の地役人に、ネチネチと輸出品の見積りの細かい内訳を求めてきよった」
「そこでまた、厩番が活躍するとか言うなよ」
「役人が『藩の内情に関わることだから、申し訳ないがこれ以上詳細は明かせないと伝えよ』と命じると、通詞の息子に代わって爺さんが話し出した」
「おい!」
柴田がまた何か言いそうなのを、高沢が手振りで抑えた。
「ほんならや。オランダの商館員は、厩番と話すうちに、今まで見たこともないくらいカンカンになって怒り出しよったんや。
そら、商談やさかい、厳しい駆け引きもあるが、こんなに感情的になるのは只事やない。
地役人が、『この男は、どういう伝え方をしたんだ?』と通詞の息子を問い詰めると、息子は気不味そうに説明をはじめた。
『彼はこう言いました。だって、内訳を出せば、あなた方は、次にその一つ一つを論って、重箱の隅を突くみたいに、高いのなんのと難癖をつけるつもりでしょう?そんな面倒な手間はもう沢山だから、さっさとこの見積りを受け取って帰ってくれ、と』」
聞いていた阿部は、しばらくこの話に込められた教訓について考えてみたが、どうにも腑に落ちない。
そもそもこれは、女性を口説き落とすための話、のはずだったからだ。
「…え?なんで爺さんは、そんなこと言ったの?」
「そう思うやろ?地役人もおんなじことを厩番に聞きよった。
ほんなら、厩番の返答は、
『私は貴方の言葉が意味するところを、より正確に伝えただけです』
と、悪びれる様子もない。
『そんなことは、ひと言も言ってない!』
地役人は怒鳴りちらすと、厩番は、誇らしげに胸を張った。
『私には分かるんですよ。貴方の眼を見れば、本当は何が言いたかったのか』」
高沢は、そこで口を閉じ、話の余韻を残すように二人の反応を伺った。
柴田と阿部は、この寓話ともつかないホラ話の着地点に、ただ呆気に取られていた。
「…だから?」
そして…陽が落ちた。
高沢が扉の隙間から首を出して、空を見上げる。
「そろそろ、ええ頃合いやろ」
「まだ薄明るいが、大丈夫か?」
阿部が念を押したが、二人は気に留めない。
「アホンダラ、あれは出店の灯りや。ビビんな」
結局、絹の入った長持ちを三つ、引きずり出して蔵を出ることになった。
ところが、勝手口の木戸までもう少しという所まで戻ったとき、向こうから提灯の灯りが近づいてくるのが見えた。
「おい、人が来た!」
どうやら蔵屋敷の奉公人らしい。
しかし、入ってきた時と違って、今は荷物を山ほど抱えている。
この姿を見られて小揚と言い張っても無駄だろう。
「こっちの蔵の陰からズラかるで!」
高沢は、二人を呼びつけ、土塀に鉤縄を投げた。
「やれやれ、ほんとにコレが役に立つとは思わなかったな」
阿部は鉤縄を見つめてため息をついた。
「おい、これ、どないすんねん?」
柴田が、塀瓦に引っかかる鉤爪の手ごたえを確かめながら、長持ちを顎で指す。
「アホか、そんなもん持ってこの壁よじ登れるかい、置いていけ!」
高沢は塀の上から小声で怒鳴ったが、柴田はあきらめきれず、長持ちから絹織物を引っ張り出して何枚か腰に巻きつけた。
「結局、今回もスゴスゴ退散かよ」
本日の収穫は古ぼけた脇差のみ。
阿部が、外の世界の地面に足を着いた、その時である。
「何をしている!」
浪士組局長、近藤勇の怒声が飛んだ。




