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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
角力之章
346/404

再び、大坂へ 其之参

「なあ、こういう話がある。

昔、伝馬町の牢屋敷(ろうやしき)につまらん罪で捕まった厩番(うまやばん)が送られてきた。

厩番(うまやばん)は、マジメにおつとめを果たしたが、何かと小才(しょうさい)が効くその男を、牢奉行(ろうぶぎょう)がえらい気に入って、放免(ほうめん)後に自分の屋敷でやとうことにしたんや。

ところがのう、その男、馬の世話をさせれば天下一品で、牢奉行(ろうぶぎょう)の馬は病気や怪我けがをまったくしなくなり、みるみる毛艶(けづや)もピカピカになった。

ある時、長崎で通詞(つうじ)をやっとる知人が、牢奉行(ろうぶぎょう)を訪ねてきて、

『あなたの厩番(うまやばん)はまるで馬の気持ちがわかるようだ』

と感心すると、

ヤツは馬の目を見れば、何がいたいか分かるんだそうな』

牢奉行(ろうぶぎょう)は応えた。

どうしてもその厩番(うまやばん)国許(くにもと)に連れて帰りとなった知人は、高い金を払ってその男を(もら)けた」

柴田が我慢(ガマン)できずに口を出した。

「ちょっと待ってくれ、兄貴アニキ。そりゃ何かの例え話かもしれんが、話しがトントン拍子(びょうし)すぎへんか?だいたい、馬の眼を見て何考えとるか分かるなんて、そんなことがあるわけないがな」

高沢は弟分を(あわ)れむように肩をたたいた。

「目は口ほどにものを言うってうやろ。その道に通じとる(もん)なら、相手が馬でも理屈りくつは同じなんやと俺は見るね」

しかし後ろで聞いていた阿部も、疑問を差しはさんだ。

「てか、引っかかるのはさ、何で牢奉行(ろうぶぎょう)宮司(ぐうじ)を家にまねく?どうしてそんな親密しんみつなんだよ」

宮司(ぐうじ)やない。通詞(つうじ)や。要するに出島(でじま)におるオランダ人と長崎の役人の折衝(せっしょう)を仲介する地役人(じやくにん)で、奴らの間に入って通訳つうやくをする役回りや」

「だったら、もっと納得いかねえな。何で長崎の通詞(つうじ)と伝馬町の牢奉行(ろうぶぎょう)が友達なんだよ」

「知らんけど、親戚(しんせき)かなんかやろ。そんなことはこの話の主旨(しゅし)とは関係あらへん」

「その主旨(しゅし)は、要するにどうやって女をコマすかってとこだよな?だとしたら、全然話が見えねえが」



確かに、彼らの会話はどんどん取り止めのない方向に脱線して先行さきゆきが怪しいので、ひとまず近藤勇に話を戻す。



近藤は男たちをゆびさし、佐々木蔵之介を振り返った。

「おいおい、淀川まで戻ってきちまったぞ」

厳密に言うと、それは支流の土佐堀川で、三人は、例の家里次郎が切腹した会所かいしょのある常安橋じょうあんばしの手前を左に曲がって行く。


一つ下流にある越中橋も通り過ぎ、さらに西へ向かうようだ。

近藤は米俵こめだわらを積んだ船が橋の下を通って行くのを見るうち、急に不愉快な現実を思い出し、また怒りが込み上げてきた。

「しかし、この国の海防かいぼうはいったいどうなってる。おかみの許しなしに乗り付けた軍艦ぐんかんに、こうも簡単に上陸を許すなど、ザルにもほどがある」

と、こちらも話が横道にれ始めた。

「まあ、分からなくもないさ。相手が老中って遠慮えんりょもあって、止め切れなかったんだろう」

井上が、世間のしがらみをくと、佐々木蔵之助も、ちょうど越中橋のたもとに建つ薩摩蔵屋敷さつまくらやしきを見上げてため息をついた。

「しかし、あれじゃあ薩摩が抜け荷(ぬけに)でボロもうけしとるっちゅううわさもうなずけますね。あっちじゃしんからの船がバンバン入港しとるって言いますから」

「薩摩はともかく、ここは天領てんりょう(幕府の直轄地)だぞ?奉行所は何をやってるんだ」

近藤が義憤ぎふんに駆られて声を荒げると、蔵之助は秘密を打ち明けるように声音こわねを落とした。

「奉行の内山って男は、御家人ごけにんですが、何かと黒いうわさの耐えない人物でね。あのズルがしこい男が、うかつに老中ろうじゅうに手を出すような真似マネをするとは思えませんね」

「適当にやり過ごす気か。明石屋万吉の言ってた例の与力よりきだな」

「あの男が米や油を買い占めて大坂の相場そうばを影で動かしてるなんて言う者もありますから」


井上は、なにやら身につまされた様子で相槌あいづちを打った。

「うん、うん。まったく世知辛せちがらい世の中だねえ。米の値段はここ数年で倍以上になった。正直言うと、浪士組も武具ぶぐどころか、全員を食わして行くのがやっとさ」

「つまり、俺たちが貧乏なのは、そいつのせいか?」

近藤は、また怒り出した。

「おいおい、そう短絡的たんらくてきになりなさんな」

井上がなだめたものの、近藤の気持ちは収まらない。

「しかし、本当だとすれば許せん」


と、その時、

「おい」

井上が、何かに気づいて近藤の肩をさぶった。


しかし、近藤と佐々木はすっかり政治談義せいじだんぎに夢中になっていた。

「近藤先生。壁に耳あり、口はわざわいの元ですよ」

「どういう意味だ」

「だって、コメの値段が上がってとくをするのは、誰やと思います?」

それは、米の石高こくだかで給料をもらうサムライたちだ。

つまり、内山は現政府の中枢部ちゅうすうぶともズブズブの関係である可能性も否定できない。

これは以前、中沢琴が小寅から聞かされた話と同じである。


「おいってば!」

井上はさらに声を張り上げたが、

近藤としては、ここで蔵之介の理屈に言い負かされる訳にはいかなかった。

「バカな。確かに、官吏(かんり)がヤクザに頼るようになっちゃ世も末だが、城に詰めてる連中がそこまで腐っているなど、俺は信じん」

「いやあ…」

佐々木蔵之介は、意味深いみしんな笑みを浮かべた。

「なんだよ?」

つねとして、まつりごとちゅうのは裏の世界とつながっとるもんです。そんなん、局長かて会津を見てたら分かるでしょ」

佐々木蔵之助は、侠客(きょうかく)会津小鉄(あいづのこてつ)の存在をほのめかした。

「なんのことだ?」

「えっ?ほんまにご存じないんですか?」

蔵之助の口振りでは、それも一部では知られた話らしい。

しかし、とうとう井上が爆発して、二人の議論は中断した。

「いいから、聞くんだ!あの三人組がいない!」


「ええっ!?」

近藤と蔵之助は、同時に叫んで、井上の顔を見た。

「いないって…え?どこ行った?」

二人は慌ててあたりを見回したが、怪しい男たちは忽然こつぜんと姿を消していた。

「だから、見失ったんだよ!」


それも無理はなかった。

なにしろ、彼らが蔵屋敷くらやしきの鍵まで準備していたことを、近藤たちは知らない。

目を離したわずかな隙に、阿部たちは勝手口から悠々(ゆうゆう)と屋敷の中にもぐり込んでいたのだ。


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