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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
角力之章
344/404

再び、大坂へ 其之壱

文久三年六月二日、夜。

大坂。


「お疲れ様です」

船宿の主人が手をついて一行を出迎えた。

八軒家はっけんやの船着き場に降り立った近藤勇らは、旅籠はたご京屋に到着するや荷物をき、直ちに手分けしてことに当たった。


近藤が副長助勤ふくちょうじょきんの井上源三郎を伴って宿を出ると、若い隊士がひとり、玄関口にひかえていた。

「蔵之介、遅くにすまないな」

「いえいえ、とんでもない」

そう応えて白い歯を見せたのは、最近浪士組に入った、佐々木蔵之介である。

井上源三郎が、ねぎらうように彼のかたを叩いた。

「そうか、蔵之介は大坂に居残いのこったんだったな」

「ええ、まあ」

彼は大坂の出身で、ここしばらくは今橋の自宅を拠点きょてんとして、大坂に常駐じょうちゅうしている。

船着き場のある八軒家浜のほど近くである。


「この土地に明るい隊士がてくれて助かったよ。大坂にも屯所とんしょがほしいところだが、先立つものがなくてな」

近藤が頭をくと、蔵之介は大阪人らしく大袈裟おおげさに手を振って恐縮きょうしゅくした。

「そんな、かまいませんて。こんな時ですから」

近藤たちの目的を察して、言外げんがいに、老中ろうじゅう小笠原長道おがさわらながゆきの件をほのめかす。

小笠原の軍勢は、市中に駐留ちゅうりゅうこそしなかったが、多くの町人はその軍容ぐんようを目撃しており、町はザワついていた。


「で、どうだい大阪こっちの様子は?」

井上が軽い調子で探りを入れた。

「やっぱり小笠原様の件が気になりますか?市中しちゅうじゃあんな大軍勢を置いとく場所もあらへんし、本隊は枚方ひらかたまで行って、そこで足止めをろとるみたいです。そりゃそうや、あんな武装かっこうしたまま京に入られたら、いくさが始まってまう」

無政府むせいふ状態のような混乱ぶりを思い描いていた近藤は、少し拍子抜ひょうしぬけしていた。

「ま、たしかに、町は思ったより静かだな。例の明石屋万吉はやり手らしい」

安藤早太郎の言った通り、百聞ひゃくぶんは一見にかずである。


近頃ちかごろじゃ播州小野藩ばんしゅうおのはんやとわれたあのヤクザもんが、乱暴狼藉らんぼうろうぜきを働くサムライを取り締まっていますよ。もうどっちがどっちやら、出鱈目デタラメなありさまです」

実のところ、治安を守っている侠客きょうかくたちは、小野藩から俸禄ほうろくすらもらっておらず、それどころか、自腹を切って街を守っていたのである。

見ヶ〆料(みかじめりょう)を財源とする侠客きょうかくとしては、街の平穏へいおんを取り戻して、経済活動に注力ちゅうりょくしたいという打算ださんがあったにせよ、このに及んで商家を困らせている壬生浪士組より、その行いははるかに立派だと言わねばなるまい。


近藤は小さなため息をついた。

桜田門さくらだもんの一件以来、天地てんちはひっくり返ったままだ。俺たちもそれに乗じたクチだが、上には上がいるもんだな」

「あいにく私はヤクザやないので、浪士組の方に志願しましたが」

佐々木が茶化ちゃかすと、

「言いにくい事をズバズバ言いやがる」

近藤も苦笑しつつ、もう一度通りに目をやった。。


現にこの同じ日、朝廷は京都守護職きょうとしゅごしょく松平容保まつだいらかたもりを呼びつけて、一軍をもってこの「侵攻しんこう」を食い止めるよう指示していた。

もっとも、そんなことをすれば本当に武力衝突ぶりょくしょうとつが起きかねないので、容保は公家連中を説き伏せ、二条城から若年寄わかどしより稲葉正巳いなばまさみを使者として派遣はけんすることで妥協だきょうさせた。

これは、一歩間違えば、徳川を守護すると誓った近藤たち自身が、幕軍ばくぐんと刀を交える可能性もあったという事である。


「(小笠原の軍を)見に行かれますか?」

佐々木がたずねた。

「いや、その前にいくつか片づけなきゃならん仕事がある」

近藤は、不逞浪士捕縛ふていろうしほばくの件を簡潔に伝えた。

高沢民部たかざわみんぶ柴田玄番しばたげんばって素浪人すろうにんだ」


この二人の不逞浪士ふていろうし、実は、阿部慎蔵が例のぜんざい屋で石塚岩雄に紹介されたならず者コンビである。


「大坂もいよいよ物騒ぶっそうになってきましたねえ」

蔵之介は、まゆをひそめたが、その時はじめてあることに気付いて辺りを見渡した。

「あれ?そう言うたら、近藤先生と井上先生、お二人だけ別行動なんですか?」

としと山南さんは、そのおたずね者の身上しんじょう(情報)をあらために、奉行所へ寄ってる」

近藤が事情を説明すると、井上が補足を加えた。

「他のみんなは、ほら、手分けして被害のあった商家しょうかに聴き込みってやつだよ」

「なるほど。それは『芹沢先生たち以外の』みんなって意味ですね?」

近藤は思わず吹き出して、

「ああ。この時間なら、芹沢さんたちはもういい酔い心地ごこちだろうな。もっとも、大坂へ来たついでに、また何処どこぞから100両ほど融通ゆうずうしてもらうつもりらしいから、大人おとなしく飲んでくれていた方が気をまずに済むが」

「つまり今回の下坂げはんは、副業も兼ねとるわけですか」

「京じゃ、最近どこへ行っても露骨ろこつに嫌な顔をされるからな」

近藤がボヤくと、

「しかしねえ、こうちょくちょく来られては、いくら大坂商人と言えど、たまらんだろうねえ」

井上は、まるで他人事ひとごとのように気の毒がって見せた。

これでは、どちらが不逞浪士ふていろうしなのか分からない。

「そやけど、西町奉行にしまちぶぎょう与力よりき内山が浪士組に目をつけとる件はご存じでしょう?あまり目立つことはせん方がええと思います」

「やれやれ、俺たちは大坂でも歓迎されていないわけか」

近藤は半ばあきらめたように、大きな口をへの字に結んだ。

井上などは、無意識に現実から目をそむけることで、精神の安定を保つすべを身につけている。

「ハハ、もうそんなに名前が売れてるのかい?どこかにニセモノでもいるんじゃないか?」

面白いことに、井上の当てずっぽうは、はからずもくだんの石塚岩雄がやっている押し借りの手口てぐちを言い当てていた。


「ま、そんなわけで奉行所ぶぎょうしょの協力は期待できそうもないので、ものの方は自力じりきでやるしかなさそうですね」

蔵之介はそう言って、迷いのない足取あしどりで谷町筋の方へ歩き出した。

「なにか心当たりでも?」

「ああ、すんません。その不逞浪士ふていろうしとかいう奴ですが、地場じばのゴロツキやないとすれば、長町あたりに宿やどをとってるんやないかと」

「というと?」

井上が身を乗り出す。

「あそこは安宿やすやどが多いんで、そういった連中が集まりやすいんです」

「さすが、こっちの事情に詳しいな。案内してくれるか」

「もちろん、そのつもりです」

蔵之介は、こころよく近藤たちの案内を買って出た。


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