再び、大坂へ 其之壱
文久三年六月二日、夜。
大坂。
「お疲れ様です」
船宿の主人が手をついて一行を出迎えた。
八軒家の船着き場に降り立った近藤勇らは、旅籠京屋に到着するや荷物を解き、直ちに手分けして事に当たった。
近藤が副長助勤の井上源三郎を伴って宿を出ると、若い隊士がひとり、玄関口に控えていた。
「蔵之介、遅くにすまないな」
「いえいえ、とんでもない」
そう応えて白い歯を見せたのは、最近浪士組に入った、佐々木蔵之介である。
井上源三郎が、労うように彼の肩を叩いた。
「そうか、蔵之介は大坂に居残ったんだったな」
「ええ、まあ」
彼は大坂の出身で、ここしばらくは今橋の自宅を拠点として、大坂に常駐している。
船着き場のある八軒家浜のほど近くである。
「この土地に明るい隊士が居てくれて助かったよ。大坂にも屯所がほしいところだが、先立つものがなくてな」
近藤が頭を掻くと、蔵之介は大阪人らしく大袈裟に手を振って恐縮した。
「そんな、かまいませんて。こんな時ですから」
近藤たちの目的を察して、言外に、老中小笠原長道の件をほのめかす。
小笠原の軍勢は、市中に駐留こそしなかったが、多くの町人はその軍容を目撃しており、町はザワついていた。
「で、どうだい大阪の様子は?」
井上が軽い調子で探りを入れた。
「やっぱり小笠原様の件が気になりますか?市中じゃあんな大軍勢を置いとく場所もあらへんし、本隊は枚方まで行って、そこで足止めを食ろとるみたいです。そりゃそうや、あんな武装したまま京に入られたら、戦が始まってまう」
無政府状態のような混乱ぶりを思い描いていた近藤は、少し拍子抜けしていた。
「ま、たしかに、町は思ったより静かだな。例の明石屋万吉はやり手らしい」
安藤早太郎の言った通り、百聞は一見に如かずである。
「近頃じゃ播州小野藩に雇われたあのヤクザ者が、乱暴狼藉を働くサムライを取り締まっていますよ。もうどっちがどっちやら、出鱈目なあり様です」
実のところ、治安を守っている侠客たちは、小野藩から俸禄すら貰っておらず、それどころか、自腹を切って街を守っていたのである。
見ヶ〆料を財源とする侠客としては、街の平穏を取り戻して、経済活動に注力したいという打算があったにせよ、この期に及んで商家を困らせている壬生浪士組より、その行いははるかに立派だと言わねばなるまい。
近藤は小さなため息をついた。
「桜田門の一件以来、天地はひっくり返ったままだ。俺たちもそれに乗じた口だが、上には上がいるもんだな」
「あいにく私はヤクザやないので、浪士組の方に志願しましたが」
佐々木が茶化すと、
「言いにくい事をズバズバ言いやがる」
近藤も苦笑しつつ、もう一度通りに目をやった。。
現にこの同じ日、朝廷は京都守護職松平容保を呼びつけて、一軍を以てこの「侵攻」を食い止めるよう指示していた。
もっとも、そんなことをすれば本当に武力衝突が起きかねないので、容保は公家連中を説き伏せ、二条城から若年寄の稲葉正巳を使者として派遣することで妥協させた。
これは、一歩間違えば、徳川を守護すると誓った近藤たち自身が、幕軍と刀を交える可能性もあったという事である。
「(小笠原の軍を)見に行かれますか?」
佐々木が尋ねた。
「いや、その前にいくつか片づけなきゃならん仕事がある」
近藤は、不逞浪士捕縛の件を簡潔に伝えた。
「高沢民部と柴田玄番って素浪人だ」
この二人の不逞浪士、実は、阿部慎蔵が例のぜんざい屋で石塚岩雄に紹介されたならず者コンビである。
「大坂もいよいよ物騒になってきましたねえ」
蔵之介は、眉をひそめたが、その時はじめてあることに気付いて辺りを見渡した。
「あれ?そう言うたら、近藤先生と井上先生、お二人だけ別行動なんですか?」
「歳と山南さんは、そのお尋ね者の身上(情報)を改めに、奉行所へ寄ってる」
近藤が事情を説明すると、井上が補足を加えた。
「他のみんなは、ほら、手分けして被害のあった商家に聴き込みってやつだよ」
「なるほど。それは『芹沢先生たち以外の』みんなって意味ですね?」
近藤は思わず吹き出して、
「ああ。この時間なら、芹沢さんたちはもういい酔い心地だろうな。もっとも、大坂へ来たついでに、また何処ぞから100両ほど融通してもらうつもりらしいから、大人しく飲んでくれていた方が気を揉まずに済むが」
「つまり今回の下坂は、副業も兼ねとるわけですか」
「京じゃ、最近どこへ行っても露骨に嫌な顔をされるからな」
近藤がボヤくと、
「しかしねえ、こうちょくちょく来られては、いくら大坂商人と言えど、堪らんだろうねえ」
井上は、まるで他人事のように気の毒がって見せた。
これでは、どちらが不逞浪士なのか分からない。
「そやけど、西町奉行の与力内山が浪士組に目をつけとる件はご存じでしょう?あまり目立つことはせん方がええと思います」
「やれやれ、俺たちは大坂でも歓迎されていないわけか」
近藤は半ばあきらめたように、大きな口をへの字に結んだ。
井上などは、無意識に現実から目を背けることで、精神の安定を保つ術を身につけている。
「ハハ、もうそんなに名前が売れてるのかい?どこかにニセモノでもいるんじゃないか?」
面白いことに、井上の当てずっぽうは、図らずも件の石塚岩雄がやっている押し借りの手口を言い当てていた。
「ま、そんなわけで奉行所の協力は期待できそうもないので、捕り物の方は自力でやるしかなさそうですね」
蔵之介はそう言って、迷いのない足取りで谷町筋の方へ歩き出した。
「なにか心当たりでも?」
「ああ、すんません。その不逞浪士とかいう奴ですが、地場のゴロツキやないとすれば、長町辺りに宿をとってるんやないかと」
「というと?」
井上が身を乗り出す。
「あそこは安宿が多いんで、そういった連中が集まりやすいんです」
「さすが、こっちの事情に詳しいな。案内してくれるか」
「もちろん、そのつもりです」
蔵之介は、快く近藤たちの案内を買って出た。




