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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
角力之章
337/404

花街の諜報戦 其之参

善助は琴を帳場ちょうばすみに引っ張ってくると、声をひそめてたずねた。

「本来、こんなことに口を挟むのは剣呑けんのんどすけどな。西郷様のお()しでこの店に入ったあんたが、壬生浪みぶろ御仁ごじん身請みうけされるだけでもかどが立つうのに、このうえ、長州なんかに深入りして大丈夫なんか?」

善助は、琴が浪士組の用件で度々(たびたび)外出していることを知っていたから、桜木の客、つまり攘夷派と不用意に近づくのは、危険であると警告したのだ。

他の芸妓げいぎに聴かれるのを嫌ったのは、

例え同じ置屋おきやにあっても、公武合体こうぶがったい派、尊王攘夷そんのうじょうい派、両陣営の贔屓(ひいき)が入り混じっているためである。


夜の島原では、常に複雑な情報合戦が繰り広げられている。

実際、琴よりもずっと危ない橋を渡っている遊女も珍しくはなかった。


「気にかけて頂いてありがとうございます。今のところ、会津と薩摩は公武一和(こうぶいちわ)歩調ほちょうを合わせていますから、ご心配されているような凶事ことは起きないと思います。今日のお座敷は…ほら、ただのお手伝い?桜木ねえさんを立てて、それ以上深入りするつもりはありません」

琴はにっこり微笑ほほえんで見せて、その場をやり過ごした。

しかし、機微きび(さと)い善助の目は、簡単に誤魔化ごまかせなかった。

彼は、琴の様子を見ただけで、何か裏があるのを感じ取っていた。

老婆心(ろうばしん)ながら言わせてもらうと、まつりごとには関わらんことどす。政局せいきょくうもんは、何時いつ、どう転ぶや分かれへん。厄介(やっかい)ごとに巻き込まれんためには、余計なものは見聞きせん、知ろうとせんことが肝要(かんよう)どすえ」

それが置屋(おきや)の主人として遊郭(ゆうかく)に生きてきた男が、琴にしてやれる最良の忠告であり、唯一の処世術しょせいじゅつだった。

「ええ、(きも)めいじておきます。でも、だからこそ、旦那様は、詳しい事情をお聞きにならない方がいいわ」

「そないなもん、知りとうもないわ」



「じゃあ、行ってまいります」

支度したくを済ませた琴が、玄関を出ていこうとすると、善助が帳場ちょうばから姿を現し、けわしい顔でうなずいて見せた。

その眼が「先ほどの忠告の意味を、本当に理解したのか」と念を押している。

本来、善助にとっては、お節介せっかいを焼くメリットなど何もないはずで、つまり、根は善良な人物なのだ。

物言ものいいはないが、彼なりに琴の身を案じているらしい。



その日、琴たちは井筒屋いづつやという揚屋あげやのお座敷に上がった。

同じ輪違屋わちがいやからは、桜木太夫と嬉野天神うれしのてんじん

その他にも、桔梗屋ききょうやという置屋おきやから、高砂太夫たかさごたゆう吉栄天神きちえいてんじんという芸妓げいぎが呼ばれている。


障子しょうじが開いて、宴席えんせきを見渡した途端とたん、琴は小さく目を見開いた。

以前、高瀬川の小橋で剣をまじえた長州藩士、山縣小輔やまがたこすけと杉山松助がいたからだ。

もっとも二人の方は、あの時の着流きながしの浪人と、美しく着飾きかざった芸妓げいぎが同一人物などとは全く気付いていない。


そして、さらにもう一人、見知った顔を見つけた。

北新地の料亭、紀伊国屋きのくにやの店先で見かけた二人組の一方、寺島忠三郎である。

しかし、お目当てのもう一方、桂小五郎の姿が見えない。


客は他に三人、だが、どれも違う。


嬉野天神うれしのてんじんが、琴のそでを引いて耳打ちした。

とおみ、あのおさむらいさん、まるで女形おやまみたいに綺麗きれいやわ」


嬉野うれしのは、見覚えのない三人のうちの一人、若い男の方に目配めくばせした。

女形おやまという表現がぴったりの美青年、いや、まだ美少年と言ってもいいくらいの年頃だ。


「よし、綺麗きれいどころもそろったことだし、始めるか」

一番年長で物静かな中村道太郎という男が号令をかけると、男たちはいっせいに騒ぎ始めた。

「ほれ、桜木、しゃくじゃ、酌をせい」

吉栄きちえい嬉野うれしの

どうやら、琴以外はみな顔なじみらしい。

京の揚屋あげやは「一見いちげんさんお断り」が通例で、それは別にめずらしい事ではなかった。


「若いおさむらい様ばっかりや。みんなあんたを見てはる」

桜木が優しく琴の背中を押した。

確かに、琴は背が高いのもあって目を引いたし、「明里」と言えば「その美貌びぼうは伝説の吉野太夫もかくやあらん」などと少々大袈裟おおげさな前評判も長州藩士たちの耳に届いていて、まるで見世物みせもののような好奇の目にさらさされた。

琴は挨拶あいさつを兼ねて、一通りしゃくをして回った。


杉山松助は、いたく琴が気に入った様子で、いいところを見せようと、難しい顔で人生観を語り始めた。

「なあ、天神。俺は、京に出てきたときから、大儀たいぎのために死ぬ覚悟はできてる。こうやって、飲んでさわぐのも、明日の夜には生きてる保証がないからだ。でもな、それでもいいと思ってる。俺を踏み台にして、桂先生や、高杉や、久坂たちが…」

初会しょかいにしては話の内容がおもすぎるうえ、

なかなか放してくれそうになかった。

すると、琴をはさんで反対側に座っていた松井龍二郎という男が、

「ずいぶんおカタい話をしてるなあ、杉山さん。ホレ、明里天神のさかずき干上ひあがっとるじゃないか」

と、笑って琴のさかずきを満たしながら、言い寄ってきた。

「無理して飲まなくてもいいぞ?あんた、天神なのに、変に世間ズレしとらんところがわしの好みだ。初会しょかいってことは、ここにいるみんな、まだ横並びってわけだろ?なら、次はきっと、わしが明里を呼んでやる。のう?しかし、京女きょうおんなというのは、本当に柔らかい手をしとるのう」

右側に座っている松井は、琴の手がふさがっているのをいいことに、れしく手やひざで回した。


やがて二人は、露骨ろこつに琴を取り合い始めた。

「ベタベタと触るな!明里がいやがっているだろう」

杉山が松井の手を払い退ければ、

「あんたこそ、ダラダラ退屈な話を続けるのはしたらどうだ?明里がずっと困った顔をしとるのが分からんのか」

そう言って、松井は琴の肩を引き寄せる。


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