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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
角力之章
334/404

南堀江の兄弟 其之参

「万太郎兄さまったら、イヤだなあ。ホラ、おすえさんの妹ですよ」

千三郎が、なぜかモジモジしながら万太郎の肩を人差し指でつついた。

すえというのは、万太郎の妻の名前である。

「はー、おコウちゃんのことかいの?」

三十郎は、得たりとうなずいた。

「うむ。ありゃなかなかの上玉じょうだまである。あれを近藤の養女に仕立て上げ、千三郎と夫婦めおとにするのだ」

千三郎は夢見るように、両手を胸の前で合わせた。

「確かに。お孝ちゃんなら、祝言しゅうげんでボクと並んでも見劣りしないことだろう♥」

どうやら、ここまでの筋書きは、すでに三十郎から聞かされていたフシがある。


阿部はあきれた様子で、また万太郎に耳打ちした。

師匠ししょう、あんた、あれだけひどい目に会わされて、まだこの放蕩兄貴ほうとうあにき戯言ざれごとに付き合う気かい?」

「そう言いなや。アレでも血を分けた兄弟じゃ」

「俺は心配してんだよ。あいつのスチャラカな言動が、いずれ、あんたの命取りにならなきゃいいがね」

「そねえ大袈裟おおげさに考えんでもええじゃろ」

「だいたい、肝心かんじんのお孝っての気持ちを忘れてねえか?千三郎の奴、確かに2~3年前は紅顔(こうがん)の美少年と言えなくもなかったが、ずいぶんポッチャリして見る影もなくなっちまったからな」


すると千三郎が、器用に首だけをめぐらせて阿部をにらみつけた。

「聞こえてるぞ不肖ふしょうの弟子。みっともないヒガミはよせ」


「とにかく、これで近藤は雁字搦(がんじがら)めだ。遠からず浪士組は我々のもの」

三十郎が誇らしげに計画の全貌ぜんぼうを明かすと、千三郎は手を叩いて喝采かっさいを浴びせた。

「兄上、素晴らしい!素晴らしい策です」


「とっかかりの、アンタがいきなり都合よく幹部に納まる目算ところで、すでに計画は破綻はたんしていると思うが」

阿部がいつになく冷静な意見を述べるも、三十郎は耳を貸さない。

「弟子の左之助がすでに幹部として在籍ざいせきしているんだ。私が平隊士では釣り合いがとれまい?」

「だから、あんたの弟子じゃねえだろ!」


千三郎がポンと手を打って、さらなる提案を付け加えた。

「あと、阿部おまえも平隊士として仲間に入れてやろう」

「なにサラッと恩を着せてやがる。都合よく俺を巻き込むな!」

「隊内で兄上の発言力を増すためにも、派閥はばつの頭数は必要だからな」


三十郎は、もはや誰の意見も耳に入らないようで、

「いいか、阿部。よく考えろ。私が幹部として隊の意思決定に関与かんよし、万太郎が大坂という上方(かみがた)要衝ようしょうを押さえ、千三郎が組織のおさ縁故えんこを結ぶ。この上、浪士組が手柄など立ててみろ?我々は旗本はたもとも夢じゃないぞ」

と、ひとりえつっている。

「完璧です。兄上」


万太郎が阿部の助言に従って、兄を(いさ)めた。

旗本はたもとって…のう兄者、目を覚まさんか。今のこの道場を見てみい?元々、銀三枚二人扶(ににんぶち)甲斐性(かいしょう)しかうて、それすらいたらん夢を見たばかりにぼうに振ったのを忘れたか。また同じ(てつ)を踏むことになりゃせんかのう」

過去の醜聞(スキャンダル)まで持ち出されても、三十郎には、まったく(こた)えなかった。

「何を言うか。仮に近藤が会津か幕臣に取り立てられたとして、上手くいけばその跡目(あとめ)を継げるし、悪くても谷家はその陪臣ばいしんというわけだ。この計画のいったいどこに穴がある?」

万太郎も食い下がった。

「じゃがのう、近藤には、わしと同じ道場主(どうじょうぬし)天然理心流宗家(てんねんりしんりゅうそうけ)としての顔があるけ。なんでも道場の塾頭(じゅくとう)を務めとる沖田総司は、天才と言われる剣士で、近藤勇に跡継(あとつぎ)が出来んかったら、道場そっちの方は、沖田に(ゆず)るつもりやないかちゅうのがもっぱらの(うわさ)じゃ。そうなれば近藤の家も、沖田が継ぐことになるんやないかのう」

千三郎は次兄じけいを見直したと言う風に、目を(しばた)いた。

「万太郎兄さま、ずいぶん内情におくわしいじゃないですか」

「天然理心流は小流派ながら、その実力は(あなど)れんけえのう」

万太郎自身、貧乏道場のあるじとは言え、武芸者としては一角(ひとかど)の人物である。

当然、諸国の流派で主だった兵法者へいほうしゃについては、その動向を知るための情報網じょうほうもうを持っている。

だが、

かりはない。我に秘策ひさくあり」

万太郎の説得も(むな)しく、三十郎は、それも想定内であるとして、更なる打開策だかいさくを打ち出した。

「その時は、お孝に沖田をたらし込ませる」


こうなるともう、阿部もほとほと感心するほかなかった。

「…人間ヒマだと、ずいぶん下らねえことを色々考えつくもんだなあ」


だが、ここに来て、急に千三郎の顔色が(くも)った。

「……え?」


三十郎は、弟の動揺どうようなど気にも留めず、とくとくと「秘策」を開陳(かいちん)し始めた。

「つまりだ、沖田とお孝が引っ付いて、千三郎との婚約が反古ほごとなれば、お孝を紹介した我々に対して近藤にも負い目ができるし、万太郎と近藤との縁戚(えんせき)関係だけは残るというワケだ」


千三郎は突然立ち上がって、ハラハラと涙を流した。

「お、お、お孝ちゃんは、そんな尻軽女しりがるおんなじゃないやい!兄上のバカアーッ!」

大声で叫ぶと、そのまま道場を出て行ってしまった。


マイペースの万太郎は、スッと立ち上がると、千三郎が開けっぱなしにした扉を閉め、何事もなかったように戻ってきて阿部に尋ねた。

「そういやあ、阿部さんは(なん)しにおいでんさったんじゃ?」


「…なんか、もういいよ」


ここまでの話を聞けば、金の当てなどわざわざ確認するだけ無駄むだなことは、阿部にもよく分かった。



そして、小笠原長行おがさわらながみちきたるの一報は、一日遅れて京にも伝わった。


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