南堀江の兄弟 其之参
「万太郎兄さまったら、イヤだなあ。ホラ、お末さんの妹ですよ」
千三郎が、なぜかモジモジしながら万太郎の肩を人差し指で突いた。
末というのは、万太郎の妻の名前である。
「はー、お孝ちゃんのことかいの?」
三十郎は、得たりと頷いた。
「うむ。ありゃなかなかの上玉である。あれを近藤の養女に仕立て上げ、千三郎と夫婦にするのだ」
千三郎は夢見るように、両手を胸の前で合わせた。
「確かに。お孝ちゃんなら、祝言でボクと並んでも見劣りしないことだろう♥」
どうやら、ここまでの筋書きは、すでに三十郎から聞かされていた節がある。
阿部は呆れた様子で、また万太郎に耳打ちした。
「師匠、あんた、あれだけひどい目に会わされて、まだこの放蕩兄貴の戯言に付き合う気かい?」
「そう言いなや。アレでも血を分けた兄弟じゃ」
「俺は心配してんだよ。あいつのスチャラカな言動が、いずれ、あんたの命取りにならなきゃいいがね」
「そねえ大袈裟に考えんでもええじゃろ」
「だいたい、肝心のお孝って娘の気持ちを忘れてねえか?千三郎の奴、確かに2~3年前は紅顔の美少年と言えなくもなかったが、ずいぶんポッチャリして見る影もなくなっちまったからな」
すると千三郎が、器用に首だけを巡らせて阿部を睨みつけた。
「聞こえてるぞ不肖の弟子。みっともないヒガミはよせ」
「とにかく、これで近藤は雁字搦めだ。遠からず浪士組は我々のもの」
三十郎が誇らしげに計画の全貌を明かすと、千三郎は手を叩いて喝采を浴びせた。
「兄上、素晴らしい!素晴らしい策です」
「とっかかりの、アンタがいきなり都合よく幹部に納まる目算で、すでに計画は破綻していると思うが」
阿部がいつになく冷静な意見を述べるも、三十郎は耳を貸さない。
「弟子の左之助がすでに幹部として在籍しているんだ。私が平隊士では釣り合いがとれまい?」
「だから、あんたの弟子じゃねえだろ!」
千三郎がポンと手を打って、さらなる提案を付け加えた。
「あと、阿部も平隊士として仲間に入れてやろう」
「なにサラッと恩を着せてやがる。都合よく俺を巻き込むな!」
「隊内で兄上の発言力を増すためにも、派閥の頭数は必要だからな」
三十郎は、もはや誰の意見も耳に入らないようで、
「いいか、阿部。よく考えろ。私が幹部として隊の意思決定に関与し、万太郎が大坂という上方の要衝を押さえ、千三郎が組織の長と縁故を結ぶ。この上、浪士組が手柄など立ててみろ?我々は旗本も夢じゃないぞ」
と、ひとり悦に入っている。
「完璧です。兄上」
万太郎が阿部の助言に従って、兄を諌めた。
「旗本って…のう兄者、目を覚まさんか。今のこの道場を見てみい?元々、銀三枚二人扶の甲斐性しか無うて、それすら至らん夢を見たばかりに棒に振ったのを忘れたか。また同じ轍を踏むことになりゃせんかのう」
過去の醜聞まで持ち出されても、三十郎には、まったく堪えなかった。
「何を言うか。仮に近藤が会津か幕臣に取り立てられたとして、上手くいけばその跡目を継げるし、悪くても谷家はその陪臣というわけだ。この計画のいったいどこに穴がある?」
万太郎も食い下がった。
「じゃがのう、近藤には、わしと同じ道場主、天然理心流宗家としての顔があるけ。なんでも道場の塾頭を務めとる沖田総司は、天才と言われる剣士で、近藤勇に跡継が出来んかったら、道場の方は、沖田に譲るつもりやないかちゅうのがもっぱらの噂じゃ。そうなれば近藤の家も、沖田が継ぐことになるんやないかのう」
千三郎は次兄を見直したと言う風に、目を瞬いた。
「万太郎兄さま、ずいぶん内情にお詳しいじゃないですか」
「天然理心流は小流派ながら、その実力は侮れんけえのう」
万太郎自身、貧乏道場の主とは言え、武芸者としては一角の人物である。
当然、諸国の流派で主だった兵法者については、その動向を知るための情報網を持っている。
だが、
「抜かりはない。我に秘策あり」
万太郎の説得も虚しく、三十郎は、それも想定内であるとして、更なる打開策を打ち出した。
「その時は、お孝に沖田をたらし込ませる」
こうなるともう、阿部もほとほと感心するほかなかった。
「…人間ヒマだと、ずいぶん下らねえことを色々考えつくもんだなあ」
だが、ここに来て、急に千三郎の顔色が曇った。
「……え?」
三十郎は、弟の動揺など気にも留めず、とくとくと「秘策」を開陳し始めた。
「つまりだ、沖田とお孝が引っ付いて、千三郎との婚約が反古となれば、お孝を紹介した我々に対して近藤にも負い目ができるし、万太郎と近藤との縁戚関係だけは残るというワケだ」
千三郎は突然立ち上がって、ハラハラと涙を流した。
「お、お、お孝ちゃんは、そんな尻軽女じゃないやい!兄上のバカアーッ!」
大声で叫ぶと、そのまま道場を出て行ってしまった。
マイペースの万太郎は、スッと立ち上がると、千三郎が開けっぱなしにした扉を閉め、何事もなかったように戻ってきて阿部に尋ねた。
「そういやあ、阿部さんは何しにおいでんさったんじゃ?」
「…なんか、もういいよ」
ここまでの話を聞けば、金の当てなどわざわざ確認するだけ無駄なことは、阿部にもよく分かった。
そして、小笠原長行、来るの一報は、一日遅れて京にも伝わった。




