南堀江の兄弟 其之弐
「へ~え。で?なにが言いてえんだよ。そりゃご政道の大事には違いねえが、貧乏浪人の俺たちになんの関わりがある?」
阿部は、わざと鼻をほじりながら尋ねた。
「なればこそ、この機に乗じて浮かぶ瀬もあり!谷家再興の時も近し、ということだ」
挑発など気にも留めず、三十郎が力説すると、千三郎も前のめりになって膝をただした。
「さすが兄上。三十郎兄さまの知略に、万太郎兄さまの武勇、そこにボクの美貌が加われば、決して叶わぬ夢ではありませんな」
「よく言った、千三郎。今こそ我ら谷三兄弟が力の見せ所だ。オホホホ」
「ウフフフ、アハハハ!」
調子のいい長兄三十郎と末弟千三郎が声を揃えて高笑いするのを見て、阿部は眉を顰め、万太郎に耳打ちした。
「バカバカしい…まったく、イカレた兄弟に挟まれて師匠も大変ですな」
これには万太郎もしぶしぶ同意する他なかった。
「…我が兄弟ながら気色悪いのう」
「ささ、兄上、続きをお聞かせください」
千三郎が促すと、三十郎はさらに続けた。
「ウム。で、だ。私はこのひと月というもの、壬生浪士組という会津旗下の部隊を具に調べるため、時間を費やしてきた」
それどころか、一旦は浪士組に入りかけたものの、明石屋万吉一家とのイザコザに尻込みして逃げ帰ったというのが本当だったが、もちろん、都合の悪いところには触れない。
「京都市中を見廻っておる連中ですな。しかし、アレは会津お預かりという身分で、仕官を許されたわけではありませんよ?」
「だからこそ敷居も低いし、入るのも容易いのだ。じっくり観察してきたが、奴らはいずれ大きな仕事を成すに違いない。我らも直ちに加盟し、まずは、ここを足掛かりに仕官を目指すべし」
途端に阿部は身体を反り返らせて、手をヒラヒラと振った。
「あー、やめとけやめとけ。ありゃ泥船だぜ?筆頭局長の芹沢は、酒乱のならず者だ」
しかし、三十郎は耳を貸さなかった。
「私の読みでは、いずれ次席の近藤勇が隊を掌握する。つまり、奴を落とせばいい」
「…あんたさー、さっきから何言ってんの?」
阿部としては、これ以上、バカ話に付き合って無駄な時間を浪費するのは忍びなかった。
ここに来たのは、道場の借金について相談するためなのだ。
しかし千三郎が、口出しを許さない。
「だまって聞け、不肖の弟子。兄上、詳しくお聞かせください」
「てめえ…」
阿部は末弟を睨みつけたが、三十郎は構わず先を続けた。
「まず、私が浪士組に入り、幹部になる。ここまでは問題ないな?」
そんな風に念を押されては、阿部の性分としてどうしても黙っていられない。
「ハア!?なんで?ナニがどうしてそうなんの?いくらなんでも、間を端折りすぎだろ!」
しかし阿部の質疑は、すぐさま千三郎に却下された。
「余計な口を挟むな。兄上ほどの剣士が加盟すれば、それくらいの待遇は当たり前だ」
「次に、この南堀江の道場を、浪士組に支局として提供し、万太郎が、責任者に納まる」
「ほうほう」
「さらに、由緒正しき我が家名をエサに、千三郎を近藤家の養子に送り込む」
阿部は、黙ってやり過ごしてこの夢物語を早く終わらせた方が得策だと思いなおしたが、万太郎がたまらず口を挟んだ
「ほりゃ、なんぼなんでもやり過ぎじゃろ」
三十郎は、突然膝を崩して万太郎ににじり寄ると、ペタペタと頬を撫でまわした。
「分かってないねえ、万ちゃん。我らがのし上がるには、組織の中枢まで深く根を張らねばならん。浪士組には近藤道場古参の弟子も多いと聞くから、ここへ割って入るために縁故は欠かせんのよ。血は水よりも濃いというでしょ?」
「して、兄上。その浪士組のお勤めとやら、こちらの方は如何ほどで?」
千三郎は、親指と中指で作った輪を下手に出すと、これまでになく真剣な顔で尋ねた。
三十郎は顔色を変えてスックと立ちあがり、
節穴だらけの床板が、ギイときしんだ。
「千三郎よ!我が谷家再興の目的は、大樹公への滅私奉公にこそあり!お前は大儀に殉ずる名誉と、僅かばかりの給金を秤にかけるのか?」
問われた千三郎も、頬を紅潮させて立ち上がった。
「兄上、見損なわないで下さい!名声と小銭、この千三郎、誓って、優劣をつける気などございません!」
二人は手を取り合った。
「よく言った、千三郎!……どちらか一つを選ぶなど愚か者のすることじゃ!さすが血は争えんのう?おほほほほほ」
「えへへへへ」
万太郎はゲンナリして、
「兄者、もうヤメい。聞くに堪えんわい。地位も名誉も金も、そりゃ、すべて取らぬ狸の皮算用じゃが」
「なにを言うか。ワタシの計画には、ちゃんとした担保があるぞ。…時に万太郎、おまえの義妹だが」
「妹?そんなもん、おりゃせんが」
急に話を振られた万太郎は、キョトンとして問い返した。




