流転の浪士 其之弐
さて、店に着いてみると、すでに石塚岩雄がぜんざいをパクついていた。
そういえば、この店は、以前にも二人で入ったことがある。
ゴツゴツした悪人面の大男が甘いものを食べている姿は、なんとも珍妙だった。
「おう阿部さん、久しぶりやのう。金の都合はついたんかい」
石塚は、阿部の顔を見るなり、上機嫌で手をあげ、さっそく催促をはじめた。
「バカかあんた?そんなすぐ、どうにかなる額じゃねえのは知ってんだろ」
「ま、大方そんなとこやろ思たわ。さっさとせな、谷の道場を抵当に入れてまうど」
「もうその脅し文句は聞き飽きたよ」
阿部は憮然とした顔で、石塚の向かいにドスンと腰を下ろした。
「ほんなら、例の薩摩の蔵屋敷をやるしかないのう。決心はついたんかい?」
金がないと分かった途端、石塚は窃盗団への加担をチラつかせ始めた。
「ちぇ、あの話はまだ生きてんのか?」
それは、前回、北新地で会ったときに持ち掛けられた計画で、
薩摩藩が抜け荷(密輸品)を運び込んでいる蔵屋敷に忍び込もうというのだ。
「おお。着々と進行中やで」
「そんなこと、すぐに決められるかよ」
「考える時間なら、ひと月やったはずや。もう悠長なことも言うとれんようになってな。明日中には仕事を終わらさなあかん」
「ちょっと待てよ、今は時期が悪い!あんたも知ってるだろ?例の老中が大坂へ乗り込んできたせいで、町には与力やら同心やらがウロついてやがるし、おまけに“北の赤万”の乾児どもが路地という路地を見廻ってるんだぜ?」
そこまで言って阿部は口を閉じた。
店の主人がやってきたからだ。
「あ、ご主人、俺にも同じやつをひとつ」
注文を済ませて主人が奥に引っ込むと、阿部は先を続けた。
「…そんな中でどうやって盗品を運ぶ?廻船問屋の積み荷なんて嵩も張るし、売り捌く手間だってかかる。悪いことは言わねえから今回は手を引いた方がいい」
しかし石塚は愉快そうに笑い飛ばした。
「ほほ、泥棒稼業の何たるかが分かって来たやないか」
「褒められたって嬉しかねえよ。だいたいそうまでして拘るお宝ってなんだ?」
「そこまではわからん。ただ、噂では、かなり値の張るもんらしいで」
「なんだそりゃ?そんなテキトーなネタで命を張れるかよ!」
阿部は、つい声を荒げて、周囲の客が振り返った。
石塚は身を乗り出して、阿部の口をふさいだ。
「しーっ!声がでかいがな!な、ええか?長崎の港には運上所(現在で言う税関)ゆうもんがあって、外国からの積み荷は全部、荷改めして関税を巻き上げよるんじゃ。つまりや、わざわざ沖で荷物を積み換えて、大坂とか神戸に陸揚げするようなブツは、カネメのもんか、さもなくば、ご禁制のヤバい代物しかないちゅーこっちゃ。どっちにしても高値でさばけるねん」
「なるほど。勉強になったぜ。だが、それだけじゃねえな。ひょっとして、例の宝剣か?」
阿部は鎌をかけてみた。
なぜなら、密輸品が横流しされるのは、今回が初めてではないし、最後でもないからだ。
そして確かに、石塚がこの蔵破りにこだわるには、もう一つ理由があった。
「七星剣」という雌雄一対の宝剣が、この蔵屋敷にあるらしいという不確かな情報を得ていたからである。
石塚は、七星剣の片方を所持しているある“高名な”志士から「残る一振りが手に入るなら、相応の報酬を支払う」と約束を取りつけていた。
「ふん、まあ…それもある」
詳しいことは言いたがらなかったが、石塚はしぶしぶ認めた。
しかし、実のところ阿部は、石塚のクライアントの正体を知っていた。
そして、この話には、阿部だけが知る続きがあった。
依頼主、清河八郎は、この時すでに死んでいたのだ。
それを知りつつ黙っていたのは、今まさに自分が腰に差しているカタナこそ、清河が持っていた七星剣の片割れだったからである。
「おまちどうさん」
阿部のぜんざいが到着した。
店の主人が十分離れるのを待って、石塚は話を再開した。
「正直言うとな、狙っとるお宝が、明後日には蔵屋敷から運び出されるちゅう話なんじゃ。そんなわけで、すぐにも人手が要る」
「ほう、どうした?珍しく、弱みをみせるじゃないか?俺が取り分を吹っ掛けたらどうするんだい?」
阿部は、敵の弱みに付け込んでブラフをかけたが、石塚は動じなかった。
「隠し事する理由なんかないやろ?あんたに選択肢はあらへんのや」
「ちぇ、言ってろよ。悪いが、もうご法度破りはゴメンこうむるね」
阿部はぜんざいに手を付けようともせず、席を蹴って店を出ていこうとしたが、その時、戸口に二人の大男が立ちはだかって、行く手を阻んだ。
「あ、おまえら!」
阿部はその二人の顔を見て驚いた。
木賃宿で阿部の隣に泊まっていた、あの男たちだ。
「これで分かったやろ?どこに隠れても、あんたの居場所は筒抜けや、わしからは逃げられへんで」
石塚はそう言って、狡猾な笑みを浮かべた。
配下に阿部を見張らせていたのである。
大男の一人が、阿部の右肩をガッシリと抑えた。
「大将、さっきは、ついカッとなって、心にもないことを言うてもうた。スマンかったなあ」
石塚は、その様子を面白そうに眺めながら、阿部のぜんざいに手を付けた。
「これ、食わんのやったら、勿体ないからワシがいただくで?あ、それからな、今度の仕事はこいつらと組んでもらう。高沢民部と柴田玄蕃や。二人とも気のええ奴らやさかい」
「同宿の誼で、よろしゅう頼むわ」
紹介されたもう一人の部下が、空いている肩に手を置いた。
今朝の様子を見る限り、「気のいい」連中でないことは確かだ。
阿部はもう観念するほかなかった。
「…盗みが成功したら、本当に谷さんの道場の借金はチャラにしてくれるんだな?」
「そりゃ、おまえさんの働き次第、ゆうことになるなあ」
石塚は、舌なめずりして、口のまわりに付いた小豆を拭うと、ニンマリ嗤った。




