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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
凶刃之章
323/404

バタフライ 中篇

ようやく調べの間の前に辿り着いた時には、二人とも消耗しょうもうし切っていた。


だが、更にここからが正念場しょうねんばである。


沖田は入り口にピタリと寄り添うように立ち、小声で中に声をかけた。

「浪士組、参りました」

ふすまが少しだけ開き、中年の男が顔をのぞかせて、

「来たか」という風に無言でうなずいた。

東町奉行、永井尚志ながい なおゆきその人である。


永井は廊下ろうかの外に目を走らせ、周囲に誰もいないことを確認すると、

二人が通れるだけの隙間すきまを開けた。

沖田と斎藤は、それを合図に、調べの間に滑り込んだ。


部屋に入り、最初に目に飛び込んできたのは、憔悴しょうすいした田中新兵衛の青白い顔だった。

とは言え、彼は相変わらず縄も打たれず、手足の自由は奪われていない。


この部屋で、人斬りと恐れられた男と二人きり、差し向かいで話をするなど、永井という奉行は、思ったより豪胆ごうたんな人物と見える。

もっとも、この二人はある意味で大獄たいごくあらがった同志とも言えた。

永井が京都町奉行に赴任ふにんして早々に着手したのが、井伊直弼いいなおすけの息が掛かった与力の罷免ひめんで、

その際に首になった与力たちを、石部宿でまとめて殺害したのが田中新兵衛である。

不思議な巡りあわせだった。


永井は無造作むぞうさにつかんだ刀を、沖田にヌッと差し出した。

姉小路殺害の証拠とされた田中新兵衛の差料さしりょうである。

これを渡せということらしい。


「後のことは頼む」


言い置いて、永井は部屋を出る。


静かに閉じかけたふすまを、斎藤が手を差し入れて止めた。

「永井様」

斎藤は半身を廊下に出して、奉行に耳打ちした。

一言ひとことよろしいか…今後、“汚い仕事”は、直接拙者(せっしゃ)、斎藤一にお命じを。近藤先生を巻き込まないで頂きたい」

永井は、しばらくの間、斎藤の顔をマジマジと見つめた。

「斎藤とやら…覚えておけ。ご公儀こうぎに汚い仕事などというものは存在せん。だが、その件は、会津の広沢に伝えておこう」

「…」

斎藤は、その発言の意味するところを咀嚼そしゃくした。


「そうそう」

永井は斎藤の手を取り、何かを握らせた。

「これを田中新兵衛に返してやってくれ」

斎藤は手のひらに載せられたユニコーンの根付ねつけを見て、顔を上げた。

「これは?」

「刀や下駄と一緒に現場に落ちていた物だ。珍しい象嵌ぞうがんだから大事な物かもしれんでな」

「…承知しました」

斎藤は頷きながら、中身を改めた。

何も入っていないが、何かツンと鼻をつくような匂いが残っている。



一方、沖田は人斬り新兵衛に眼を釘付けにされていた。

「どうも」


新兵衛が瀕死ひんしの状態であることは誰の眼にも明らかだった。

それでも強がって、小バカにしたような薄笑いを浮かべている。


「会津の悪童(わるがっ)か。くさ、おさいじゃした」


沖田はツカツカと歩み寄り、新兵衛の眼前にストンとひざをつくと、無言で刀を置いた。

二尺三寸(約73㎝)の奥和泉守忠重おくいずみのかみただしげ

つかの部分には、浪士組のイメージカラーと同じ浅黄色あさぎいろの糸が巻きつけてある。


新兵衛は、問い返すように沖田の顔を見上げた。


「薩摩屋敷からのあずかり物です」

それだけ言えば分かるだろうという口ぶりだった。


新兵衛の笑みに、自嘲的じちょうてきな色が混じった。

「なるほど。武士ん情けちいう訳かい。おいが息をしちょってはマズイ奴らからん差し入れじゃっどな?」

沖田は、返事代わりに、ただ肩をすくめて見せた。


そこへ斎藤が戻ってきた。

新兵衛は、じっと自分の刀を見つめている。


「そいつは、あんたのものに違いないな?」

斎藤はおざなりにたずねた。

こんなことは、もう何十回もかれているはずだ。

「永井どんにも()したどん、覚いちょらん」

新兵衛は素気そっけなく応え、かたわらに置かれたもう一つの証拠物件、薩摩下駄さつまげたに視線を落とした。


浪士組の追跡から逃れ、窮地きゅうちを救ってくれた辻君と枕を交わした翌朝、行方ゆくえ知れずになっていたものだ。

誰かに堕とし入れられたことをさとった新兵衛は、その後、一貫して黙秘もくひを貫いてきた。


「それから。あんたの下駄と一緒にこれが現場にあったそうだ。これにも見覚えはないか?」

斎藤は、調書を取るための床几しょうぎにユニコーンの根付ねつけを置いた。


新兵衛は、ほんの一瞬、目を見開いた。

「こいは…」


自分がスケープゴートにされた計略には、やはりあの女が関わっている。

あれ以来、ずっと頭から追い払おうとしてきた疑念が、確信に変わった。


沖田は何やら考え込む新兵衛の様子をしばらく観察していたが、うつろなその眼からは何も読めない。


「これは私の純粋な好奇心から聞くんですが、一ついいですか?」

(ない)な?」

「なんで、姉小路卿を斬ったんです?あの人は、お仲間の、わば旗頭はたがしらなんでしょう?」

「あいは裏切者うらぎもんじゃ」

新兵衛は吐き捨てるように答えた。

「武市半平太がそう言った?」

「武市(さあ)は関係なか」

「つまり貴方あなたは、まあ誰かからの指示があったにせよ、自分の意思で暗殺それを決めたってことなんでしょうか?」

「当たい前じゃっど」


新兵衛の返事は、ある意味で明確な犯行の自白とも取れる。

しかし、沖田にはその言葉の何処どこかに迷いのようなものが感じられた。

彼は、ただの捨て駒(すてごま)なのかもしれず、もしかしたら、それを自覚しているのかも知れない。


沖田が新兵衛と今の自分を重ね始めていることに気づいた斎藤は、早々にこの話題を切り上げた方がいいと感じた。

独立自存どくりつじそんを気取るのもいいが、俺にはむしろ孤立無援こりつむえんという風に見えるがな。誰かへの義理立てなら、果たして沈黙を守るだけの価値があるのか?」


「うぜらしか!」

新兵衛は痛いところを突かれて声を荒げた。


「別に俺には関係ないがな。秘密は墓まで持って行くがいい」

斎藤は突き放した。


沈黙の後。


「…田中河内介ちゅう男を知っちょっどかい?」

新兵衛は、唐突とうとつたずねた。

沖田が目をすがめる。

「誰です?」

「敵からも味方からも忘いらいた男じゃ。そげな男がまこて居たもんか、今となっちゃ、そいすらアヤフヤじゃ」


その名を知る斎藤は、新兵衛が何を語ろうとしているのかいぶかった。

「あんたも関わったのか」

寺田屋事件の「事後処理」に。

鋭い目で尋ねる。

「ちごっ。おいは、でえな人を斬ったどん、会うた事もない、そん田中河内介ごたる亡霊に毎晩悩まさいちょっど」


「あんたは、今まさにその田中河内之介と似た立場にいるように見えるが」


もちろん、諸大夫しょだいぶであった田中河内之介と新兵衛では、まるで身分が違う。

しかし、組織に切り捨てられ、意図的に忘れ去られたという意味においては、何ら変わらなかった。


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