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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
凶刃之章
322/404

バタフライ 前篇

文久三年五月廿六(にじゅうろく)日。

暮れ七つ前…。


二条城の南。京都東町奉行所近辺。


浪士組副長助勤、沖田総司と斎藤一が、その裏門近くで所在なくウロウロと時間をつぶしていた。


「…我ながらヘタクソだと思うんだよな」

突然、なんの脈絡みゃくらくもなく沖田が打ち明けた。

斎藤には、告白の意味が分からない。

「なにが?」

「何がって、こういう…隠密おんみつ行動、みたいな?例えば今、此処ここで、あの門が開くのを待ってる訳じゃない?そうするとさ、如何いかにもそういう人待ち顔になっちゃうっていうか。ない?そんなこと。だってさ、何事もないふりなんて…」

「だったら、なぜ引き受けた?」

斎藤は取り止めのない話をバッサリ断ち切った。

「え?」

「こんな仕事は、誰もやりたがらん。だが、あんたはずいぶんあっさり承諾したな。あんたなら断れたはずだ」

「だって、土方さんと山南さんの顔、見た?アレ、ホントは永倉さんと同じ気持ちなんだ。これ以上板挟(いたばさ)みにされるのは見てらんないだろ。斎藤さんもそうじゃないの?」

斎藤は一瞬返事に詰まり、

「…俺は…」

応えようとして、またすぐに口を閉ざした。

外回りから帰ってきたとおぼしき与力よりきが、不審な二人組に気づいて、近づいてきたからである。


というのも、当時二条城にはまだ南門がなく、普段ならこの道は、近隣の上屋敷(かみやしき)の住人を別にすれば、東町奉行が月番つきばんの間だけ、わずかにその関係者の往来おうらいがあるのみだったからである。


「何をしている」

与力よりき尋問口調じんもんくちょうで二人の顔をのぞき込んだ。

幸先さいさきの悪いスタートに、沖田は耳の後ろをきながら渋い顔をした。

「さて、どう切り抜けたものかな」


ところが、それは杞憂きゆうに終わった。

「深谷様、そのお方たちは怪しい人やありません」

まるで見計みはからったように裏木戸うらきどから(カゴ)かついだ若い娘が出てきて、二人の身元を請け負った。

見れば、屯所とんしょに出入りしている八百屋の娘、あぐりである。

「おう、八百藤やおふじの。お前の知り合いか」

深谷と呼ばれた与力よりきは、あぐりと顔見知りらしい。

「ええ。うちもお世話になっている壬生浪士組の方々です」


与力よりきはあぐりの言葉を疑いはしなかったが、その名を聞いてなお不愉快な顔になった。

「こんなところに壬生狼(みぶろ)が何の用や?」


「いつもの見回りですよ」

沖田はサラリと応えた。

「バカか?ここは奉行所の前だぞ。見回りなど無用」

「一応、順路が決まってるので」

「ふん、馬の骨どもが」

与力よりきは、吐き捨てて表門の方へ去って行った。


「確かに、友好的な態度とは言えんな」

斎藤はその後ろ姿を見送りながら可笑しくもなさそうにわらった。


「助かったよ。ありがと」

沖田は頭を掻きながらあぐりに歩み寄った。

「こんなとこで、何したはるんです?」

「あぐりちゃんこそ」

「わたし?私は、お野菜売りに来たに決まってるやないですか?」

「あ、そっか。あんまり都合よく出てきたから…あのさ、今急いでるから、また今度、説明するよ。さ、ほら、行って」

沖田は追い立てるようにあぐりの背中を押した。

「あ、はあ…」

あぐりは振り返りながら小さく頭を下げ、沖田たちが来た方角に歩いて行った。

「ふう…」

沖田がため息を漏らしたそのとき、

門の中から、ガタンとカンヌキを外す、くぐもった音が響いた。

あぐりが出てきた裏木戸の隙間すきまから、初老の男が顔をのぞかせ、二人に

「壬生浪士か?」

と小声でたずねた。


永井が事前に抱き込んだという下男だろう。

二人は無言でうなずく。


「入って」


町奉行所の中は、二人が想像していたよりずっと広く、雑然としていた。

「ははあ、立派なもんですねえ」

沖田は感心しながら振り返ったが、下男はすでに何処どこかへ姿を消してしまっていた。

「あら?いない…これ以上関わりたくないって感じ?」

苦笑を漏らす沖田の肩を斎藤が叩いた。

「急ごう」


二人は山南に見せられた絵図面を頭に思い描きながら、奥へと進んだ。

一つかどを曲がるたび、耳を澄ませ、神経をとがらせる。

途中、何人かの使用人と顔を合わせたが、

みな腰を低くして、小さなお辞儀をしてすれ違ってゆく。

「いやあ、羽織の効果って絶大だね。わたしも作ろうかな…」

沖田は少し調子が出てきたらしく、上機嫌で胸を反らせる。


しかし、台所を過ぎ、勝手用人の詰所つめしょの前まできた時である。

「もし。ここは算盤侍そろばんざむらいの部屋にございます。失礼ですが、どちらかの御家来衆ごけらいしゅうでしょうか?」

内衆うちしゅと呼ばれる使用人が、行く手をはばんだ。


二人は咄嗟(とっさ)の答えに詰まり、それをさらに怪しんだのか、

内衆うちしゅは間を詰めて、二人の羽織の紋を(あらた)めるようにジロジロと眺めはじめた。

「お見かけしない顔ですな…」

沖田は粘りつくような視線を振り払うように、大袈裟おおげさな身振りで応えた。

公事人くじにんまり(待合室)で待つよう言われてたんだが、(かわや)を探すうちに迷っちゃってね。何処どこか分かる?」


「…それなら、外ですが」

内衆うちしゅは背後を指差した。

「ありがと」

二人はいそいそと、その場を離れようとしたが、

「ちょっと、待ってください」

内衆うちしゅはさらに追いすがってきた。



沖田は斎藤の左手がゆっくりと刀に伸びるのに気がついた。

このままでは刃傷沙汰にんじょうざたである。

「なにか?」

平静を装いながら斎藤の前に立ち、抜刀を封じた。

「念のため、お名前を」

沖田は内衆うちしゅの両肩をつかみ、眼で斎藤の方を指して、

「この人は厄介やっかい天誅てんちゅう事件専門の出入師でいりしだ」


出入師でいりしとは係争けいそうに介入してマージンをせしめる法曹界ほうそうかいのゴロツキで、要するに非合法の弁護士のようなものである。


沖田の視線に釣られた内衆うちしゅは、斎藤の方を見て、その刺し貫くような眼光にさらされた。

「悪いことは言わないから関わらない方がいい」

斎藤は男を斬ることも辞さないつもりでいたから、

彼が裏稼業うらかぎょう生業なりわいにしているという沖田の話は一層説得力を帯びた。

「し、失礼をいたしました。御免ごめんくださいませ」


内衆うちしゅは冷や汗をかいて退散したが、実のところは、沖田達も同じ心持ちだった。

「正気ですか?こんな所で、やめてくださいよ!」

沖田にいさみ足をとがめられると、斎藤もムッとして言い返した。

「…人の事を無法者むほうもの呼ばわりしておいて、よく言えるな」

二人はしばらく小声で言い争っていたが、鉄砲部屋を抜ければ、いよいよ白洲しらす(法廷)に通じる回廊かいろうへ出る。

山南が念を押した危険区域だと思うと、自然と口も重くなった。


斎藤がふすまの引き手に指を掛けたとき、その向こうに人の気配を感じて、ピタリと動きを止めた。


ふすま一枚を隔てた廊下ろうかを通りかかったのは、与力よりきの一人、草間烈五郎だった。

沖田は知るよしもなかったが、浪士組隊士ろうしぐみたいし殿内義雄の頓死とんしを調べていた男である。


草間は何かを感じたのか、二人の前で立ち止まり、感覚を研ぎ澄ませるように、辺りの気配を伺った。

斎藤と沖田は目配せを交わし、息を止めて、男が通り過ぎるのを待った。


「なにやつ!」


声がして、

草間が、沖田たちのいる部屋のふすまを開けた。

二人はそのふすまに背中を張り付けるようにして息を潜めたが、

もし、草間が一歩でも足を踏み出せば、すぐ視界に入る距離だ。


カチリ。

草間が刀の鯉口こいくちを切る音だけが聞こえた。


そのとき、

「草間様、お白洲しらすが始まります」

向こうから誰かの呼ぶ声がして、草間はそれでもしばらくその場を動こうとしなかったが、

やがて、「お奉行が呼んでおられます」と急かされると、

「すぐ行く」

と応えて静かにふすまを閉じた。


「ふーっ…」

危機一髪の事態を脱して、沖田と斎藤は深く息を吐き、

足音が聞こえなくなるのを待って部屋を出た。


磨き上げられた廊下に人の姿はない。

二人は神経を張り詰めながら、一歩一歩進んだ。

冷たい廊下のきしむ音が、とてつもなく大きく聴こえる。

両側に並ぶ部屋のふすまが、いまにも開くのではないかと思うと、

ほんの数間すうけんが、一里にも感じられた。


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