Dirty Work Pt.3
一方。
自室を追い出された近藤勇は、母屋の縁側に座り、八木源之丞と茶飲み話を交わしていた。
「近藤はん、少しお休みにならんでよろしおすのか」
「いや、それがその、たった今、自分の部屋を追い出されましてね」
「なんやしら、皆さん忙しそうどすなあ」
近藤は出された釜炒り茶を一口含み、小さく微笑んだ。
「…そういえば、金戒光明寺で中村半次郎殿とお会いしましたよ」
源之丞は嬉しそうに面を輝かせた。
青蓮院の寺務も務める源之丞は、中川宮(=青蓮院宮)に衛士として仕える中村半次郎とも気易かった。
「そうどすか!そりゃま、お二方のお役目柄、顔を合わせる事があっても、おかしゅうないどすな。なかなか気立てのええお人どすやろ?」
「あまりゆっくり話せる時間はなかったのですが、華やいだ風情のある人ですね。…彼は、どういった人物ですか」
近藤は出来るだけ、さりげない風を装って尋ねた。
「あの通りの洒落者どすさかい、とてもそんな風には見えんやろうけど、剣の方は薩摩でも指折りの達人らしいどすえ。近藤はんとも馬が合うんとちゃうかいなあ」
「ほう、して流派は?」
「薩摩は示現流が知られといやすけど、あのお方のは薬丸自顕流どす」
「一度、膝を交えて語りたいものです」
「ええ、ええ。そういえば、近藤はんは刀がお好きどしたなあ。中村はんが、お腰に差したはる白柄朱鞘は、名刀『之定』と聞いたことがおすえ」
趣味人の源之丞は刀剣にも通じている。
「ふうむ…」
その名は、近藤をも唸らせた
之定という刀は、刀匠和泉守兼定作の俗称で、中でも名人と謳われた二代目兼定が打ったものを指して言う。
「あの派手ないでたちの下には、稀代の剣豪“人斬り半次郎”の顔が隠されている…あの刀は、まさに中村半次郎そのものという訳ですか」
その二つ名を聞いた途端、源之丞の表情がわずかに曇った。
「宮様(中川宮)は敵も多おすさかい、精鋭ぞろいの青蓮院衛士の中でも筆頭格の中村はんなら、時には“そないなこと”もありますやろ」
「かなりの使い手という噂は耳にしますが…それほどですか」
「いやいや、とはいえ私は寺に出仕しとる一介の郷士どす。実際に中村はんが刀抜かはるとこを目の当たりにした訳やおへん。ただ一度…」
源之丞はそこまで言って、先をためらった。
「一度、なんです?」
先を促すと、
「これは本人の口から聴いた話やおへんけど、中村様の技量のほどを、興味本位で同僚の方にお聞きしたことがおしてなあ」
なにか後ろめたい事でも打ち明けるような口ぶりである。
「そのお方の言うには、中村はんは常から『ひと月、一人ずつ斬れば、日々剣法を学ぶに勝る』などと仰ってはったとか…いや、ま、これは冗談や思いますけど」
「なるほど、面白い考え方だ…」
近藤は膝に置いた拳を、知らず知らず握りしめているのに気づいた。
前川邸、近藤の個室に場面は戻る。
「いいよ。わかった」
一通りの経緯を聞いた沖田は、ケロリと答えた。
永倉とは対照的な反応だ。
島田魁は既に退席しており、部屋には山南、土方、沖田、斎藤の四人だけである。
「ホントに分かってんのか。おまえ?」
拍子抜けした土方が、念を押した。
沖田はムッとして応えた。
「分かってるよ!新兵衛に、ただ刀を渡して、腹を切れって言ってやりゃいいだけでしょ」
山南が口を挟んだ。
「田中が本当に下手人なら、それで納得もしようが、もし違ったらどうする?」
沖田を試すような口振りだ。
「ん?なにが?」
土方がため息をついて、補足した。
「つまり、刀を持った人斬り新兵衛が暴れ出したら、止められる人間など、そうは居ねえってこった。奉行所の人間が束になっても無事じゃすまんだろ」
沖田はそんなことかと呑気に笑い飛ばした。
「ハハ、お上って、ホント腰抜けしかいないんだなあ。その時はわたしがお相手つかまつりますよ。そういうことでしょ?」
「ふん。期待してるよ」
土方は沖田の虚勢を鼻であしらい、
山南は、そんな二人の様子を、ただ痛々し気に見つめることしかできなかった。
しかし実のところ、沖田の頭の中はまったく別の疑問に囚われていた。
-鉄蔵と名乗るイカレた浪人が屯所で暴れまわったとき、何かこの件に関わる言葉を聴いた気がする。
“おまえがこれ以上深入りする気なら、遠からず新兵衛と会うことになるだろう。”
鉄蔵、すなわち岡田以蔵は、たしか、中沢琴にそんなことを言っていた。
あの“新兵衛”とは、田中新兵衛のことではなかったのか…。
だが、中沢琴が、いったい何に“深入り”する気なのかはともかく、彼女が新兵衛に会うことはもうないだろう。
なぜなら、新兵衛はもう死ぬ運命にあるからだ。
事と次第によれば、沖田自身の刀で。
それまで三人のやり取りを無言で聞いていた斎藤が口を開いた。
「で?具体的には、どうやって奉行所に潜り込む?」
土方が鋭い視線を返した。
「問題はそこだ。なにせ公事方(奉行所の刑事裁判部門)は、メンツにかけても新兵衛を吐かせて粟田口(処刑場)に曳きずり出すと息巻いているからな」
沖田はゲンナリした。
「じゃあどうするんです」
「永井様が屋敷の下働きを一人、抱き込んでる。奉行所の取調べは毎日七つ刻には終わるから、八つ半を過ぎた頃に、そいつが裏門の鍵を開ける手筈になってるそうだ」
「はは、まるで石川五右衛門ですね」
「明日は永井様が直々に取調べをする予定になっている。お前たちが調べの間に着き次第、永井様は、席を外して隣室の詮議所で待つ。その後、七つまでは誰も入ってこないし、部屋の前の見張りも人払いするよう手配して下さるそうだ。つまり、与えられた時間は長くて半刻。だが、それだけあれば充分だろう?」
沖田がニヤリと笑った。
「十分じゃなくても、仕事は終わらせろってことでしょ?」
「その通り。ただし、この計画を知っているのは上の人間だけだ。与力や同心の奴らは殺気立ってる。見つかればただでは済まないし、部屋に入ってからの協力は期待できないものと思え」
「帰りは?」
「簡単なことだ。入った時と同じように人目に触れず、屋敷を出ろ」
土方は事もなげに答えた。
「これまた、ずいぶん大雑把な計画ですね」
「俺が考えたわけじゃねえよ」
土方は心外そうに沖田の批評を交わした。
「ですよね。土方さんなら、もっと抜け目ないもの」
「なんだ、てめえ?やりたくないなら、そう言えよ」
詰め寄る土方の胸板を、沖田は押し戻した。
「やるよ、やりますよ。一回引き受けたんだから」




