極秘任務 其之弐
「つまりだ。久光公が自らの意思で藩内の反動分子を処断されるのと、会津に捕らえられた薩摩藩士がご公儀に首を切られるのでは、まるで意味が違ってくるということだ」
会津藩上層部は、雄藩との間に波風が立つのを嫌っている。
どうやら広沢ら公用方一同は、現場での短慮について、容保からこっぴどくお叱りを受けたらしい。
中村半次郎が説明を付け加える。
「ましてや、今回難に遭われた姉小路卿は、今後、公武合体派の強力な後ろ盾となられたかも知れぬお方です」
山南は納得しかねるという風に小さく首を振った。
「この際、姉小路の変節は、さしたる問題じゃないのでは?なぜなら、あれが新兵衛殿の先走った結果だとしても、彼一人であんな大それた計画を企てられる訳がない。薩摩藩としては、その共謀者との繋がりが明るみに出るだけで、十分不利益を被るはずだ」
土方が含み笑いを漏らす。
「なるほど。調書が表沙汰になれば、薩摩とご公儀の関係にもヒビが入りかねない。繊細な問題とやらの扱いには慣れておられるはずの外島様としたことが、そこに気が回らなかったのは失態ですな」
「腹が立つのも分かるけんじょ、二人してそう突っかからないでけろ。と言って、あの時、罪人の身柄を他の何処に持って行きようがあった?今回の取調べが会津の手に余るのは事実だし、あの場では坊城様の意向を無視できねえべ?」
広沢の口ぶりは、まるで上役に対する言い訳だった。
山南がふと何かを思いついたように面を上げた。
「東町奉行の永井尚志様は、まだ就任されて日も浅く、もとは幕府の重職を歴任されたお方です。正直に事情を話せば、大局的な見地から裁断を下して頂けるのでは?」
広沢はうなだれて、ため息をついた。
「ああ。実のところ、事の次第は、昨夜のうちに薩摩の家老小松殿からご説明申し上げてある。永井様には、今の複雑な状況を汲んで頂けたと信じているが…ただ、取り調べには、頭に血の昇った与力や同心も同席しているのだ。建前上、永井様と言えど、筋の通らぬ口出しは出来ね」
近藤は眉根を寄せた
「分かりますが、我らではなおの事、口を挟む余地などないのでは?」
「確かに。京都守護職としても、他の天誅事件について、余罪の聴き取りをしたいと申し入れたが、剣もホロロでな…もはや、正攻法は通じん。おめ等には、謂わば苦肉の計をやってもらいたい」
重い沈黙が流れた。
「なるほど。田中新兵衛が生きていては、みなが困ると言うわけか」
土方が身も蓋もなく意訳すると、近藤は色を成して、畳に掌を叩きつけた。
「ちょっと待ってください!俺たちにヤクザの鉄砲玉みたいな真似をやれと?奉行所に押し込んで、座敷牢にいる新兵衛を始末しろって言うんですか?」
広沢は押しとどめるように両手を拡げた。
「そっだ、結論を急ぐもんでね」
中村も同調して、
「もちろん、穏便にことが済めば、それに越したことはないと思っています」
と近藤をなだめた。
土方はムッとして、荒っぽく中村に箸の先を突き付けた。
「『こしたことはない』?遠回しな言い方はよせよ。俺たちに何をやらせたい?」
広沢はジロリと土方を睨みつけ、また咳払いをひとつ入れると、意を決して話し始めた。
「奉行所への出入りは、永井様が都合をつけて下さる」
普段の土方は、秋月や広沢らに従順であったし、少なくともそう見せようと努力していたが、今日ばかりは穏やかではいられなかった。
「おやおや、心強いね。奉行所もグルときている」
近藤は、土方の挑発的な態度を眼で制して、先を促した。
「それから?」
「手筈では永井様が取り調べの間、人払いをする。そこで、奴に差料(刀)を渡してやってくれ。 久光公からのお情けで潔く自刃しろといえば、奴も観念するだろう…」
それから広沢は、なおも細々と段取りの説明をつけ加えた。
話が一通り終わったところで、中村が改めて頭を下げた。
「どのみち、お白洲に出れば田中は打ち首です。せめて彼に、武士らしい最後を遂げさせてやって下さい」
「ずいぶんと都合のいい恩情ですね」
近藤が吐き捨てるように言った。
「近藤、口が過ぎるべ」
広沢の叱責にも、近藤は無言のまま、むっつりと腕組みを解かない。
だが、彼が自らの武士道を汚されたように感じるのも無理はなかった。
この険悪な雰囲気を、何とか和らげようと中村が取り成した。
「広沢様、いいのです。無理難題を押し付けているのは重々承知ですから。近藤さん、我らも田中新兵衛の捕縛については、奉行所に抗議して、正式に身柄の引渡しを申し入れましたが、とりつく島もない有様だ。なにせ武家伝送から直々のお達しとあれば、奉行所も簡単には首を縦に振りません。薩摩としては表向き新兵衛の関与を否定したものの、実際のところ真相はわからない。結局、引き下がらざるを得なかったのです。ご理解いただけると思うが、もし新兵衛が口を割れば、我が藩は非常に不味い立場に立たされるかもしれない」
中村は、タブーをはっきりと口に出すことで、懐襟を開く意思を示した。
しかし、それも駆け引きの一部にちがいない。
山南敬介は、その巧妙な手管に、さらに警戒心を強めた。
「穿った見方をすれば、あなた方は、長州、あるいは土佐の武市半平太辺りにハメられたのかもしれませんな」
あえてこの話に乗ってみせて、裏を探る。
中村も、山南の鋭い洞察に内心舌を巻いたが、表情には出さない。
「ええ、あるいは。だとしても、我々が帯刀して奉行所にズカズカ乗り込んで行く訳にもいかない。ここは恥を偲んで、会津殿におすがり申し上げるしかなかったのです」
「背に腹は代えられん…そういうことですか」
腹の探り合いにウンザリした近藤が話を引き戻す。
「しかし、その刀で奴が歯向かってきたら如何します。相手は人斬りと恐れられた名うての剣客ですよ?」
「したがら!腕利きの揃った浪士組に、この件を頼んでいるのでねが」
つまり、これは超法規的措置の命令に他ならなかった。
広沢は、なんとか近藤の自尊心をくすぐろうと言葉を選んだが、彼もそう簡単には乗ってこない。
「光栄の至りですな」
憮然と応え、はんぺんを口に放り込んだ。
広沢は苦々しい顔で先を続けた。
「あとのことは、永井様が処理してくださる。ただし、与力や同心連中は別だ。やつらは同僚や上司を殺された恨みに燃えている。おめらの目的を知れば、全力で阻止しようとするだろう」
「今のままなら、新兵衛は放っておいてもクタバるってのに…奴の首を縛る縄で綱引きとはな。つくづく報われん死に方だぜ」
土方がまた辛辣な調子で皮肉ったが、その眼はどこか悲しげな光を帯びていた。
とうとう堪忍袋の緒を切らした広沢が、畳にドンと拳を打ちつけた。
「喧す!おめら、いい加減にしねが!礼を失するにも…」




