青蓮院の人斬り 其之伍
一方、屋敷の外では、広沢が屋敷を取り囲む浪士組隊士たちに伝令を触れ回っていた。
「新兵衛を捕えた!もう行燈の火を入れても大丈夫だぞ」
沖田総司と藤堂平助は顔を見合わせ、同時に斎藤一を振り返った。
「え?もう終わり?」
「…俺に聞くな」
斎藤はそっけなく顔を背けた。
原田左之助も信じられないといった面持ちで、永倉新八の肩を揺する。
「おい待てよ!ねえ、俺の出番は?」
「…もうねえとよ!」
肩透かしを食わされた隊士たちがザワつくなか、山南敬介だけが独りキョロキョロと辺りを気にしている。
不審に思った土方が訊ねた。
「どうした?」
「いや、例の中村半次郎の姿が見えない。彼も立ち会うと思っていたが…」
「さすがに、それは気不味いだろ」
「しかし、ではさっきの『後ほど』という言葉は、どういう意味だったんだ」
「いちいち細かいこと気に病むなよ。奴のことは、また、お琴にでも探らせればいい」
霧のような、雨が降り始めてきた。
武家伝奏坊城家の屋敷は、大宮御所(皇太后の御所)の東側の一角にあり、歩いて四半刻の距離である。
館の主、坊城俊克は、書院に通された外島らと一緒に新兵衛が座っているのを見て、ギョッとした。
「な、なんのつもりだ?」
「おかしなことをお尋ねになりますな。卿のご命令では?引っ立てろと申されました」
外島はいたって事務的に応じる。
それを聞いた田中新兵衛が、坊城をギロリとにらんだ。
何しろ、縄も打たず、腰には刀を差したままである。
坊城は震えあがった。
「ひ、引っ立てろとは申したが、此処に連れてこいとは言っておらん。会津の本陣に繋いでおけば良かろう?」
外島は露骨に嫌な顔をして見せた。
「それは出来かねます。ご存知の通り、我々の本陣は寺院を借り受けております故、罪人を拘留する牢屋などございません。そもそも、それは奉行所のお役目ではありませんか」
「で、では奉行所に計らえ」
「月番は東町奉行です。大納言様からお伝えを」
外島をはじめ会津藩士は京都守護職などというお役目には、もとより消極的である。
ここから先は武家伝奏の仕事だろうと突き放した口ぶりだ。
「ふぁ~あ」
芹沢は、これ見よがしに大きな欠伸をした。
これではまるで、荷物の押し付け合いである。
坊城と外島は、揃ってその態度を咎めるように睨みつけたが、
「よくもまあ、それだけ屁理屈が捻り出せるもんだと感心するがね。こっちはもう、あんた達の退屈なバカ話に付き合うのはウンザリだぜ」
芹沢は相手の身分など気にする様子もなく、うそぶいた。
近藤はその時、ふと酒の匂いが鼻をつき、それが芹沢の身体から発するものだと気づいて思わず顔を顰めた。
「飲んでますね?」
「悪いかよ?こんなお勤め、飲まなきゃやってられんね」
坊城は苦い顔で、傍らの文机に向かい、筆を執った。
「では東町の永井 尚志殿にすぐに遣いをやる。それまでこの罪人を見張っておれ」
外島は返事もせずに立ち上がり、そそくさと帰り支度を始めながら、後ろに控える浪士組を振り返った。
「芹沢、近藤。町奉行が来るまで見張りを頼む」
「ああ?あんたら、どこまで自分勝手なん…」「こ、こら」
芹沢が腰を浮かせ、声を荒げるのを、副長助勤の平間重助が慌てて押さえつけた。
それからさらに一刻が経ち、番傘を差した与力が、同心数人を引き連れて坊城屋敷にやってきた。
夜中に呼び出された与力は、不機嫌な顔を隠そうともしなかったが、鬼気迫る新兵衛の形相と腰の刀を見た途端、腰が砕けた。
「こ、こ、これは、ど、どういうことだ?」
血の気のひいた顔で説明を求めるも、外島はとっくに辞去しており、坊城も奥へ引っ込んでしまっている。
近藤と芹沢はまたしても矢面に立たされる羽目になった。
「俺に訊くなって。いいか?丁重に扱ってくれよ?何せこの新兵衛殿は島津の御家来衆で、おまけに腹にでっかい穴まで空いてるんだからな。分かったら、さっさと引き取ってくんねえか。俺たちゃもう眠くてさ」
芹沢は鰾膠もなく突き放した。
与力は救いを求めるように近藤の方を見たが、近藤も芹沢の言葉が全てだと頷いて見せるばかりだ。
「な、ならば、お前たちも奉行所まで来い!」
東町奉行所は、半里以上西の二条城の隣りにある。
それを聞いた沖田が大声で不平を漏らした。
「えー!なんなの、このたらい回しは?これじゃ、新兵衛殿に同情しちゃうなあ」
芹沢はちらりと沖田に目をやってから、与力に肩をすくめて見せた。
「…どうでもいいけど、東町奉行まで、ここからまた半刻はかかるぜ。こいつ、真っ青な顔してるし、死んじまうんじゃねえの?」
「ふざけるな。罪人に掛ける情けなどない」
与力の一人が声を荒げた。
芹沢は、さも残念そうに新兵衛の顔を覗き込んだ。
「…だってさ?お気の毒さま」
一同が門を出たところで近藤が見兼ねて、「肩を貸そう」と申し出たが、新兵衛は強情に撥ねつけた。
「いたらん気遣いは無用じゃ。自分の足で歩けっ」
鼻白む近藤に代わって、芹沢がそっけなく答えた。
「あっそ」
雨足が強くなってきたが、隊士たちは傘も持たない。
結局、新兵衛を奉行所まで送り届け、身柄を引き渡した頃には、皆ずぶ濡れになっていた。
同心に引き立てられる新兵衛の姿を、何やら物憂げに見送る近藤の背中を土方が突いた。
「…いくぞ。俺たちの仕事は終わった」
すでに明け方になっていた。
「名を馳せた人斬りにしては、冴えない結末だ…どうも釈然としねえ。そう思わないか?」
沈んだ面持ちで応える近藤に、山南が声をかけた。
「…だとしても、我々に出来ることはもうありません」
浪士組一行がようやく八木家の門にたどり着くと、近藤が疲れた声で皆を労い、解散を告げた。
もはや陽も高い。
「まったく、くたびれ損だぜ」
ぞろぞろと離れに戻る隊士たちが口々に不平を漏らしている。
「それでは。今日はお疲れ様でした」
近藤は芹沢に一礼すると、隊士たちをなだめるため彼らの後を追った。
「ちぇ、おかしな野郎だぜ」
芹沢がボソリと呟いたその言葉を、平間重助が聞き咎めた。
「なにか?」
「近藤さ。たまにぶっ殺してやりたくなるし、多分、向こうもそう思ってるはずだが、それでいて、あの時、こいつになら背中を預けていいなんて思っちまった」
「二人で門を破った時に?そうだな、なかなか息があってた」
「やめろ」
不機嫌に答えて、芹沢は濡れた後れ毛を掻き上げた。
こうして
事件は解決したかに見えた。
少なくとも、この時までは。




