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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
凶刃之章
314/404

青蓮院の人斬り 其之伍

一方、屋敷の外では、広沢が屋敷を取り囲む浪士組隊士たちに伝令でんれいを触れ回っていた。

「新兵衛をとらえた!もう行燈あんどんの火を入れても大丈夫だぞ」


沖田総司と藤堂平助は顔を見合わせ、同時に斎藤一を振り返った。

「え?もう終わり?」

「…俺に聞くな」

斎藤はそっけなく顔をそむけた。

原田左之助も信じられないといった面持ちで、永倉新八の肩をする。

「おい待てよ!ねえ、俺の出番は?」

「…もうねえとよ!」


肩透かたすかかしを食わされた隊士たちがザワつくなか、山南敬介だけがひとりキョロキョロと辺りを気にしている。

不審に思った土方がたずねた。 

「どうした?」

「いや、例の中村半次郎の姿が見えない。彼も立ち会うと思っていたが…」

「さすがに、それは気不味きまずいだろ」

「しかし、ではさっきの『後ほど』という言葉は、どういう意味だったんだ」

「いちいち細かいこと気に病むなよ。奴のことは、また、お琴にでも探らせればいい」


霧のような、雨が降り始めてきた。


武家伝奏ぶけでんそう坊城家の屋敷は、大宮御所おおみやごしょ(皇太后の御所)の東側の一角にあり、歩いて四半刻の距離である。

やかたあるじ坊城俊克ぼうじょうとしかつは、書院しょいんに通された外島らと一緒に新兵衛が座っているのを見て、ギョッとした。

「な、なんのつもりだ?」

「おかしなことをおたずねになりますな。きょうのご命令では?引っ立てろと申されました」

外島はいたって事務的に応じる。


それを聞いた田中新兵衛が、坊城をギロリとにらんだ。

何しろ、なわも打たず、腰には刀を差したままである。

坊城は震えあがった。

「ひ、引っ立てろとは申したが、此処ここに連れてこいとは言っておらん。会津の本陣につないでおけば良かろう?」

外島は露骨ろこつに嫌な顔をして見せた。

「それは出来かねます。ご存知ぞんじの通り、我々の本陣ほんじんは寺院を借り受けておりますゆえ、罪人を拘留こうりゅうする牢屋ろうやなどございません。そもそも、それは奉行所のお役目ではありませんか」

「で、では奉行所にはからえ」

月番つきばんは東町奉行です。大納言だいなごん様からお伝えを」

外島をはじめ会津藩士は京都守護職などというお役目には、もとより消極的である。

ここから先は武家伝奏ぶけでんそうの仕事だろうと突き放した口ぶりだ。


「ふぁ~あ」

芹沢は、これ見よがしに大きな欠伸あくびをした。

これではまるで、荷物の押し付け合いである。

坊城と外島は、そろってその態度をとがめるようににらみつけたが、

「よくもまあ、それだけ屁理屈へりくつひねり出せるもんだと感心するがね。こっちはもう、あんた達の退屈なバカ話に付き合うのはウンザリだぜ」

芹沢は相手の身分など気にする様子もなく、うそぶいた。

近藤はその時、ふと酒の匂いが鼻をつき、それが芹沢の身体から発するものだと気づいて思わず顔をしかめた。

「飲んでますね?」

「悪いかよ?こんなおつとめ、飲まなきゃやってられんね」



坊城は苦い顔で、かたわらの文机ふみづくえに向かい、筆をった。

「では東町の永井ながい 尚志なおゆき殿にすぐにつかいをやる。それまでこの罪人を見張っておれ」

外島は返事もせずに立ち上がり、そそくさと帰り支度じたくを始めながら、後ろに控える浪士組を振り返った。

「芹沢、近藤。町奉行まちぶぎょうが来るまで見張りを頼む」


「ああ?あんたら、どこまで自分勝手なん…」「こ、こら」

芹沢が腰を浮かせ、声を荒げるのを、副長助勤ふくちょうじょきんの平間重助があわてて押さえつけた。


それからさらに一刻(いっとき)が経ち、番傘ばんがさを差した与力よりきが、同心どうしん数人を引き連れて坊城屋敷にやってきた。

夜中に呼び出された与力は、不機嫌な顔を隠そうともしなかったが、鬼気迫ききせまる新兵衛の形相ぎょうそうと腰の刀を見た途端とたん、腰がくだけた。

「こ、こ、これは、ど、どういうことだ?」

血の気のひいた顔で説明を求めるも、外島はとっくに辞去じきょしており、坊城も奥へ引っ込んでしまっている。


近藤と芹沢はまたしても矢面に立たされる羽目ハメになった。


「俺にくなって。いいか?丁重に扱ってくれよ?何せこの新兵衛殿は島津の御家来衆ごけらいしゅうで、おまけに腹にでっかい穴まで空いてるんだからな。分かったら、さっさと引き取ってくんねえか。俺たちゃもう眠くてさ」

芹沢は鰾膠にべもなく突き放した。

与力は救いを求めるように近藤の方を見たが、近藤も芹沢の言葉が全てだとうなずいて見せるばかりだ。

「な、ならば、お前たちも奉行所まで来い!」

東町奉行所は、半里以上西の二条城の隣りにある。


それを聞いた沖田が大声で不平をらした。

「えー!なんなの、このたらい回しは?これじゃ、新兵衛殿に同情しちゃうなあ」

芹沢はちらりと沖田に目をやってから、与力よりきに肩をすくめて見せた。

「…どうでもいいけど、東町奉行まで、ここからまた半刻はんときはかかるぜ。こいつ、真っ青な顔してるし、死んじまうんじゃねえの?」

「ふざけるな。罪人に掛ける情けなどない」

与力よりきの一人が声を荒げた。

芹沢は、さも残念そうに新兵衛の顔をのぞき込んだ。

「…だってさ?お気の毒さま」


一同が門を出たところで近藤が見兼ねて、「肩を貸そう」と申し出たが、新兵衛は強情にねつけた。

「いたらん気遣きづかいは無用じゃ。自分の足で歩けっ」

鼻白はなじらむ近藤に代わって、芹沢がそっけなく答えた。

「あっそ」


雨足が強くなってきたが、隊士たちはかさも持たない。

結局、新兵衛を奉行所まで送り届け、身柄を引き渡した頃には、みなずぶ濡れになっていた。

同心どうしんに引き立てられる新兵衛の姿を、何やら物憂ものうげに見送る近藤の背中を土方が突いた。

「…いくぞ。俺たちの仕事は終わった」

すでに明け方になっていた。

「名をせた人斬りにしては、えない結末だ…どうも釈然しゃくぜんとしねえ。そう思わないか?」

沈んだ面持おももちで応える近藤に、山南が声をかけた。

「…だとしても、我々に出来ることはもうありません」



浪士組一行がようやく八木家の門にたどり着くと、近藤が疲れた声で皆をねぎらい、解散を告げた。

もはや()も高い。

「まったく、くたびれ損だぜ」

ぞろぞろと離れに戻る隊士たちが口々に不平を漏らしている。


「それでは。今日はお疲れ様でした」

近藤は芹沢に一礼すると、隊士たちをなだめるため彼らの後を追った。


「ちぇ、おかしな野郎だぜ」

芹沢がボソリとつぶやいたその言葉を、平間重助が聞きとがめた。

「なにか?」

「近藤さ。たまにぶっ殺してやりたくなるし、多分、向こうもそう思ってるはずだが、それでいて、あの時、こいつになら背中を預けていいなんて思っちまった」

「二人で門を破った時に?そうだな、なかなか息があってた」

「やめろ」

不機嫌に答えて、芹沢は濡れた後れ毛をき上げた。



こうして

事件は解決したかに見えた。


少なくとも、この時までは。


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