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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
凶刃之章
313/404

青蓮院の人斬り 其之肆

その同じ頃。

場面は変って、浪士組屯所ろうしぐみとんしょの少し北、浜崎診療所。


「ああもう!」


往診おうしんから帰った浜崎新三郎は、廊下の奥からただ事でない声がするのを聴きつけた。


声のした方へ向かうと、納戸なんどの前に助手のいちがぺたりと座り込んでいる。

「どうした?」

その後ろ姿に声をかけると、いちが途方に暮れた顔で振り向いた。

「ああ、お帰りなさいませ。いえ、この列に、打ち身の薬が全部収まってたはずなのに、入らないんです」

往診用の薬箱に小分こわけした生薬しょうやくを、百味箪笥ひゃくみだんすの細かく仕切られた引き出しに戻そうと悪戦苦闘あくせんくとうしているらしい。


めずらしいな」

「そうなんです。いつもならスッキリおさまるのに」

「いや、君がそんな風にイライラしているのが、さ。というか、昨日からおかしいぞ?」

「べ、別に。イライラなんてしてません!」

「なんかあったのか?浪士組で、何か言われたとか?」

「なな、何かって、なんですか?」

「こっちが聞いてるんだろ。まあいい。今日は忙しくて浪士組に寄る時間がなくてね。悪いが、大松さんに、この薬を持って行ってくれないかい?」

「あ、はい。いってきます」

いちは、これ以上の詮索せんさくを逃れるためか、浜崎が差し出した薬を引っ手繰たくるようにして、そそくさと出て行った。



しかし、門を飛び出した途端とたんいちの足取りは重くなった。

あんなことがあった後、沖田とどんな顔をして会えばいいのだろう。

悩みながら浪士組へと向かう途中、八木家の女中(ゆう)とばったり出くわした。

屯所に出入りする二人は、当然互いの顔を見知ってはいたが、とは言え、これまであまり話す機会きかいを得なかった。


「こんにちは。ん?もうこんばんはかな?」

ゆうがペコリと頭を下げると、いちも微笑んでお辞儀じぎを返した。

「こんばんは。まだお仕事ですか?」

「いやまあ、お仕事というか…」

「ご苦労様です。ちょうどいま、八木さんのお宅にお薬を届けようと…」

「そうなん?うちも診療所へ行くとこでした」

「こんな時間にどうしたんですか?」

ゆう風呂敷ふろしきに包んだ重箱じゅうばこを差し出した。

「これ。お裾分すそわけです。一段目がこいの洗いで二段目が焼魚やきざかな。皆さんでどうぞ」

受け取ったいちはその重みに目を丸くした。

「え?こんなに!どうして?いいんですか?」

「みんなそろって出て行ってしもたから、くさらしても勿体もったいないし…」

途端とたんいちの表情がくもった。

「こんな時間に?ひょっとして、猿が辻の件でしょうか」

「そうみたい。下手人げしゅにんが見つかったんやて。どうなるんでしょうねえ」

「それは…やっぱり、沖田さんも?」

ゆうは、いちの顔をじっと見つめた。

「…え?ああ、張り切って行ったで?けど、ひとりで鎖帷子くさりかたびらもよう付けんと、着替えまで手伝わされて、まったく手のかかるヤツですわ」

「そ、そうですか」

「そう」

寂しげにうつむいちに釣られて、ゆうの方も沈んだ面持おももちでうなずいた。



そして、夜。

ここで、芹沢が田中新兵衛の潜伏せんぷくするという武家屋敷の門を蹴破けやぶったところにようやく話がつながる。


会津藩物頭あいづはんものがしら、安藤九左衛門に率いられた浪士組が、屋敷を取り囲んでいる。


芹沢が門をこわした音を聴きつけた薩摩藩士が、抜き身をぶら下げて玄関からドカドカと現れた。

小太こぶとりで背の低い男とがっしりした体格たいかくの良い男で、いずれも怪我けがをしている様子はなく、深手ふかでを負ったという田中新兵衛ではなさそうだ。

「お前らぁ、何奴なにやつじゃ!無礼じゃろう」


芹沢は、二人をにらみつけた。

「そこを退け。用があんのは人斬り新兵衛だけだ」

さらに前に出ようとする芹沢の肩を、近藤がグイとつかんで引き戻す。

「芹沢さん!一人で行っては危ない」

「おっとそうだったな、忘れてたよ。一緒に来て、俺がこいつらをぶっ殺しそうになったら止めてくれ」


そこへ、玄関からもう一人、せた総髪そうはつの男が現れた。

「…せからしか」

どす黒い顔色で、腹にはさらしいており、やつれ具合を見てもかなりの重傷らしい。


これが新兵衛だと芹沢は直感した。

「…その怪我けが刀傷かたなきずか」

「おはんらに関係なか」

その声には張りがなかったが、それでいて断固だんこたる拒絶きょぜつの響きがあった。


芹沢たちの後ろで平山五郎と野口健司が目配めくばせを交わした。

「芹沢さん、あの時の男です」

野口が芹沢の耳元にささやく。

「は?」

「ほら、因幡薬師いなばやくしで岡田以蔵と一緒にいた…」


芹沢はニヤリと口元をゆがめた。

「ほほう、そいつぁ奇縁きえんだな。じゃあ借りを返してもらおうか。大人しくばくにつきな」

「おはん、奉行所の人間には見えもはん」

せているものの、巨躯きょくほこる芹沢と同じくらい上背うわぜいがある田中新兵衛は、真正面からその視線をね返した。


玄関先での睨み合いが続く中、この場を取り仕切るべき自分を置き去りにして話が進むのにごうを煮やした外島機兵衛が、芹沢を乱暴に押し退けた。

拙者せっしゃ朝命ちょうめいにて参った会津公用人の外島機兵衛と申す。かごを用意してあるゆえ、坊城ぼうじょう家まで同道どうどう願いたい」

もちろん、かごとはいっても、罪人を護送するための唐丸籠とうまるかごである。

新兵衛は血の気の引いた顔で、外島を品定しなさだめするように見つめた。

「おやっとさあごわす。そん前に、こん狼藉ろうぜきについて説明してもらいもんそ」

「行き過ぎがあったことは認めます。しかしこれは武家伝奏坊城ぶけでんそうぼうじょう直々(じきじき)のおしです」

外島が苦り切った顔で罪状を伝える間、新兵衛は立っているのも辛そうだった。

それを聞いた薩摩藩士たちは判断に迷って顔を見合わせ、手負ておいの新兵衛に頼った。

如何いけんすかい?」


「よか。じゃっどん、科人とがにん扱いを受けっいわらなかで、こしもんあずけったぁおことわいしもす。奉行所ぶぎょうしょへは、こんあしで歩いて行っで」

新兵衛はこのに及んでも罪を認めようとしなかった。

芹沢はニヤニヤ笑いながら、(サラシ)を巻いた傷口に鉄扇てっせんの先をグイと押し付けた。

新兵衛の顔が、苦悶くもんゆがむ。

ナニ言ってっか、半分も分かんねえがな、イモ侍の兄ちゃん。とにかく、随分ずいぶんエラソーなことだけは伝わってきたぜ?確かに、あんたのカタナ一振ひとふりで、政局の潮目しおめが変わるだろう。大仕事をやってのけて、さぞいい気分だろうが、あんたはここで終わりだ。今からグルグルにしばりあげてやっから覚悟かくごしやがれ。おう、野口!ナワ持ってこい」

「は、はい」

走り出そうとする野口を、外島があわてて引き止めた。

「まて!なわを打つ必要はない」

芹沢はうんざりした顔で振り返った。

「おいおい、正気か?」

下士かしとは言え、島津公の家臣だ。坊城ぼうじょう家に身柄を引き渡すまでは、礼をもっせっするよう心得こころえよ」

芹沢は平山と目を見合わせ、あきれた様子で首を振ると、地面にツバを吐いた。


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