青蓮院の人斬り 其之弐
「バカな。そんなことが許されていい訳ないでしょう!」
近藤の反発に、中村半次郎は苦笑を浮かべながら首を横に振った。
「…やれやれ初心なことですな。しかし、悲しいかな、それが現実です」
近藤は、「そうなのか」と問い詰めるような目で、芹沢を振り返った。
芹沢は無言のまま、珍しく気不味そうにうなずいた。
「…では芹沢さんも知ってたんですか?知っていて…」
「ああ。だが、それを知ったところで、何が変わる?それにな、今回に限っては事情が違う。少なくとも大樹公を都に留め置きたいという点においては、奴らも同意見のはずだ」
だが、そう言った芹沢自身、自分たち幕府方の提出した案件が、まともに取り扱われることなど期待していなかった。
自称勤王家の彼からすれば、学習院に宛てた上申書は、帝への筋を通すという儀礼的な意味合いを持つにすぎない。
しかし近藤には、その理屈すら言い訳がましく聞こえた。
「それでは我々は、まるで道化だ!」
中村は二人のやり取りを見つつ、謎めいた微笑みを浮かべた。
「近藤先生、少々学問をかじったところで、私も貴方も所詮は武人だ。宮中では口八丁の長州に敵わない」
諭す中村に、近藤は棘のある口調で切り返した。
「我々は連中の掌で転がされるほかないと?慰めにもならん!」
「そう悲観したものでもありませんよ。首を落としてしまえば、奴らとて口は利けん」
中村がさらりと吐いた台詞に、芹沢と近藤は一瞬ギクリとした。
「お時間もないでしょうから、これにて失礼します。お話が出来て良かった」
二人が二の句も継げずにいるうち、中村は話を切り上げた。
「中村さん…!」
「ではまた、後ほど」
近藤は、その意図を問い糺そうとしたが、機先を制するように中村は背を向けてしまった。
芹沢が込み上げてくる笑いを噛み殺すようにつぶやいた。
「ふん、なかなか面白い野郎だ」
去ってゆく中村を見送りながら、近藤はやり場のない怒りを吐き出した。
「なにが尊王攘夷だ!クソったれ!」
山南が少し意外そうに近藤の顔を眺めた。
「どうしたんです。珍しく感情的になっている」
「あんな話を聞かされて、冷静でいられるか!」
毒づく近藤の肩に土方歳三が手を置いた。
「奴や芹沢さんに当たっても仕方あるまい。しかし…確かに。あのニヤケ面は気に食わねえな」
近藤はまるで中村半次郎を睨みつけるような目で振り向き、
そして、数秒のあいだ、土方をじっと見つめた。
「フン…奴は、どこかお前と雰囲気が似てやがる。そう思わないか」
「あのキザ野郎とかい?ハ、よしてくれ」
「…俺はな、情けない話だが、奴が敵じゃなくてよかったと、いま心底そう思ってるぜ」
そう言って、もう一度中村を顧みる近藤に、山南が問いかけた。
「達人は達人を知る、というやつですか?」
「そんなんじゃねえ。なんつーか、底が知れねえ野郎だ」
「貴方は言葉とは裏腹に、彼を敵だと断じている。なぜです?」
「何となく気に食わんだけさ」
「それだけ?まさかそんな直感を拠り所に彼を疑うんですか?」
納得のいかない様子の山南に、土方が笑みを漏らす。
「ま、気を許すなってこった。こういう時のかっちゃんの勘は大抵当たる。どういう訳だかな」
近藤はようやく気が済んだのか、踵を返した。
「あれは人を斬ったことのある眼だ。斎藤、間違ってもあんな野郎と事を構えんじゃねえぞ。命がいくつあっても足らん」
無意識に、町道場の主の伝法な口調に戻っている。
これだけの手練を揃え、自身も一代の名人と謳われた近藤勇をして、かくも恐れさせたというだけで中村半次郎の腕前のほどが知れようというものだった。
釘を刺された斎藤は、切れ長の目を閉じて、静かに応えた。
「覚えておきましょう…しかし、人斬り新兵衛の方は、そういう訳にもいかんでしょうな」
なにしろ、これから隠れ家に踏み込んで刀を持った新兵衛と対峙しなければならないのだ。
大人しく縄目の恥を受けるとは考えにくい。
「だな」
うなずいた近藤の顔は、浪士組の局長に戻っていた。
土方の口から、思わず愚痴がこぼれる。
「かったりいな。会津の連中、都合のいい時だけコキ使いやがって。これから壬生に帰って、具えをして、また六角堂まで引き返せってかよ?」
「しかし、お前はこういうのを待ってたんだろ?」
ようやく近藤が例の魅力的な笑窪を見せると、今度は土方が神妙な面持ちで親指の爪を噛んだ。
「どうだか…俺が期待してるような展開になりゃいいがな」
「急ごう」
芹沢の号令で、一行は足早に屯所へと歩き出した。
ただひとり、山南敬介だけが立ち止まったまま、小さくなってゆく中村の背中を見送っていた。
「また後ほど…か」
中村の最後の挨拶が、彼の耳にはまだ残っていた。




