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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
凶刃之章
310/404

青蓮院の人斬り 其之壱

近藤勇らが大方丈だいほうじょうを出ると、辺りはもう薄暗くなっていた。


金戒光明寺こんかいこうみょうじ山門さんもんを抜け、石段を降りながら、土方歳三が前を行く斎藤一の背中をつついた。

「…誰を斬った?」

「え?」

質問の意味がみ込めず、目をすがめて振り返る斎藤に、土方はイライラした様子で答えを迫った。

「あの半次郎って男だよ!誰か斬ったから人斬り半次郎なんだろ?」

「…さあね」

斎藤は不愛想ぶあいそうに応えた。

「ちぇ、なんなんだよ!」

スッキリしない土方の後ろで、芹沢鴨が手にした鉄扇てっせんをパタンと閉じた。

「問題は、だ。その半次郎が、なんであの場にいたのかってこった」

それは、あの時土方の胸をよぎった疑念そのものだった。

近藤勇が腕を組んで山門さんもんを振り返る。

「新兵衛も、薩摩藩士には変わりない。島津の名代みょうだいとして来ていたのでは?」

しかし、そんなありきたりな解釈では、土方や芹沢を納得させるのに充分ではなかった。

「ふん、いつから会津は薩摩とそんな仲良しになった?」


説明のつかないことが多すぎる。


山南敬介がびんきむしった。

建前たてまえ上、両者は共に公武合体こうぶがったいとなえ、思想を同じくしてはいるが…しかし…」

奥歯おくばに物がはさまったような物言ものいいに、今度は近藤が引っかかった。

「なにか気になることでも?」

「いえ、尊融法親王そんゆうほうしんのう(=中川宮=青蓮院宮)といえば、安政の大獄たいごくで干されていた公家の一人で、蟄居ちっきょ中も獅子王ししおうなどと名乗っていた攘夷じょうい強行派です。それが、復帰後、公武合体こうぶがったい尽力じんりょくしたせいで、今では三条・姉小路陣営と宮中で鋭く対立している。裏をかんぐればキリがありませんが、彼の子飼こがいの剣士が、京都守護職本陣に出入りしているというのは、何かその、きな臭くないですか?」

「連中が、裏で何をたくらんでるにせよ、どうせ俺たちゃ蚊帳かやの外に置かれてるんだ。帰ったら、八木さんにでも舞台裏ぶたいうらの事情を聞いてみるとしようぜ」

土方は冗談めかして応えたが、

近藤は、浪士組の本隊が江戸に立つ日、新徳寺で佐々木只三郎と最後に交わした会話を思い出していた。


「…薩摩には気を許すな。今は幕府に恭順(きょうじゅん)するかのような姿勢を示しているが、島津公は参政(さんせい)への野望を捨てたわけじゃない…」


彼が残した言葉は、中村半次郎が漏らした一言と、妙な符号ふごうを感じさせる。


「…そういえば、さっき彼が言ってた『お家の事情』というのは?」

山南が近藤に向き直り、

「ああ、それは多分…」

そこまで言って、突然口をつぐんだ。


石段を降り切ったところに、その中村半次郎本人が立っていたからだ。

薄紫うすむらさきの絹を羽織り、腰には白柄朱鞘しろつかしゅさやの刀を帯びている。

艶やかないでたちが、周囲の景色から浮き上がって見える。


「先ほどは、どうも」

何か話したいことでもあるのか、浪士組一行を待っていたように見える。


中村は、またあの柔らかい笑みを浮かべて、近藤に歩み寄って来た。

「…まだ何か?」

近藤が胡乱うろんげにたずねた。

「いえ、せっかくお近づきになれたので、少しお話しでもと」

「…」

近藤は無言で、ただ探るような視線を返した。

「そう身構みがまえないで下さいよ。こう見えて私は、剣術バカでね。天然理心流てんねんりしんりゅうの宗主、その人に興味があるんです」

「どうも分からない…何故なぜです?」

「え?」

その返事に何かチグハグな違和感いわかんを覚えた中村は、聴き返した。

「…あなたは、先ほど笑っておられた」

近藤は、合議ごうぎの席での意味深な笑みを忘れていなかった。

中村は、はぐらかすように目をらした。

「そうでしたか?」

トボけるのはやめて下さい。あれはどういう意味ですか?」

「いや失敬。気を悪くされたなら謝ります。しかし貴方あなた方の上申書が、玉眼ぎょくがんに触れることはないでしょう?」

近藤の眼が、一瞬見開かれた。

「どういう意味でしょうか?」

中村は、そこまで言わせるのかといやな顔をした。

勘弁かんべんしてください。貴方あなただってご存知のはずだ。姉小路卿あねこうじきょうき今、朝廷は、もはや三条と長州の意のままです。我らの献言けんげんなど、握りつぶされるのがオチです」


しかし、まつりごとうとい近藤や土方は、姉小路が長州と示し合わせて濫発らんぱつしていた偽勅ぎちょくについて、まだ何も知らなかった。


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