青蓮院の人斬り 其之壱
近藤勇らが大方丈を出ると、辺りはもう薄暗くなっていた。
金戒光明寺の山門を抜け、石段を降りながら、土方歳三が前を行く斎藤一の背中を突いた。
「…誰を斬った?」
「え?」
質問の意味が呑み込めず、目を眇めて振り返る斎藤に、土方はイライラした様子で答えを迫った。
「あの半次郎って男だよ!誰か斬ったから人斬り半次郎なんだろ?」
「…さあね」
斎藤は不愛想に応えた。
「ちぇ、なんなんだよ!」
スッキリしない土方の後ろで、芹沢鴨が手にした鉄扇をパタンと閉じた。
「問題は、だ。その半次郎が、なんであの場にいたのかってこった」
それは、あの時土方の胸を過った疑念そのものだった。
近藤勇が腕を組んで山門を振り返る。
「新兵衛も、薩摩藩士には変わりない。島津の名代として来ていたのでは?」
しかし、そんなありきたりな解釈では、土方や芹沢を納得させるのに充分ではなかった。
「ふん、いつから会津は薩摩とそんな仲良しになった?」
説明のつかないことが多すぎる。
山南敬介が鬢を搔きむしった。
「建前上、両者は共に公武合体を唱え、思想を同じくしてはいるが…しかし…」
奥歯に物が挟まったような物言いに、今度は近藤が引っかかった。
「なにか気になることでも?」
「いえ、尊融法親王(=中川宮=青蓮院宮)といえば、安政の大獄で干されていた公家の一人で、蟄居中も獅子王などと名乗っていた攘夷強行派です。それが、復帰後、公武合体に尽力したせいで、今では三条・姉小路陣営と宮中で鋭く対立している。裏を勘ぐればキリがありませんが、彼の子飼いの剣士が、京都守護職本陣に出入りしているというのは、何かその、きな臭くないですか?」
「連中が、裏で何を企んでるにせよ、どうせ俺たちゃ蚊帳の外に置かれてるんだ。帰ったら、八木さんにでも舞台裏の事情を聞いてみるとしようぜ」
土方は冗談めかして応えたが、
近藤は、浪士組の本隊が江戸に立つ日、新徳寺で佐々木只三郎と最後に交わした会話を思い出していた。
「…薩摩には気を許すな。今は幕府に恭順するかのような姿勢を示しているが、島津公は参政への野望を捨てたわけじゃない…」
彼が残した言葉は、中村半次郎が漏らした一言と、妙な符号を感じさせる。
「…そういえば、さっき彼が言ってた『お家の事情』というのは?」
山南が近藤に向き直り、
「ああ、それは多分…」
そこまで言って、突然口をつぐんだ。
石段を降り切った処に、その中村半次郎本人が立っていたからだ。
薄紫の絹を羽織り、腰には白柄朱鞘の刀を帯びている。
艶やかないでたちが、周囲の景色から浮き上がって見える。
「先ほどは、どうも」
何か話したいことでもあるのか、浪士組一行を待っていたように見える。
中村は、またあの柔らかい笑みを浮かべて、近藤に歩み寄って来た。
「…まだ何か?」
近藤が胡乱げに尋ねた。
「いえ、せっかくお近づきになれたので、少しお話しでもと」
「…」
近藤は無言で、ただ探るような視線を返した。
「そう身構えないで下さいよ。こう見えて私は、剣術バカでね。天然理心流の宗主、その人に興味があるんです」
「どうも分からない…何故です?」
「え?」
その返事に何かチグハグな違和感を覚えた中村は、聴き返した。
「…あなたは、先ほど笑っておられた」
近藤は、合議の席での意味深な笑みを忘れていなかった。
中村は、はぐらかすように目を逸らした。
「そうでしたか?」
「惚けるのはやめて下さい。あれはどういう意味ですか?」
「いや失敬。気を悪くされたなら謝ります。しかし貴方方の上申書が、玉眼に触れることはないでしょう?」
近藤の眼が、一瞬見開かれた。
「どういう意味でしょうか?」
中村は、そこまで言わせるのかと嫌な顔をした。
「勘弁してください。貴方だってご存知のはずだ。姉小路卿亡き今、朝廷は、もはや三条と長州の意のままです。我らの献言など、握りつぶされるのがオチです」
しかし、政に疎い近藤や土方は、姉小路が長州と示し合わせて濫発していた偽勅について、まだ何も知らなかった。




