デリケートな問題 其之参
「実は今しがた三条家からも催促の遣いがあってな。あれは田中新兵衛の差料に間違いないから、早々に捕えよなどと嘴を挟んできた。この合議に遅れたのも、その客に足止めを食ったせいだ」
つまり、田中の犯行は、各方面からの圧力で既成事実化しているらしい。
外島は、これ以上の疑義を封じるように任務を命じた。
「これより、浪士組諸氏には、我々と同行して賊の捕縛に協力してもらう。田中は東洞院通蛸薬師入ルに島津家が借り上げた屋敷に潜伏しているそうだ。… そうでしたな中村殿?」
「ええ。仰せの通り」
土方は、会津と薩摩の関係を訝しみ、目を細めた。
一体この男、「人斬り半次郎」は、何のために此処にいるのだろうか。
と言うより、どうしてこんなにも早いタイミングで此処にいる事が出来るのか。
そこには伏せられた事情があったのだが、浪士組が誇る頭脳、山南と土方を完全に侮っている外島は、彼らが疑念を抱くなどとは夢にも思わず、課すべき作業の説明を続けた。
「屋敷には田中の他二名が同宿しているとの情報もある。事件の共犯者である可能性が高いので、捕縛する際は、反撃に十分注意しろ」
続いて、物頭の安藤九左衛門が後を引き取り、この後の予定を伝えた。
「貴殿らは、直ちに屯所へ戻り、隊士全員を率いて来られよ。六角堂の境内で落ち合うものとする」
会津藩お預かりの浪士組としては、嫌も応もなかった。
広沢富次郎が近藤の肩を叩いた。
「初の大捕物だな。相手が三人とは言え、田中新兵衛は手強い。気を引き締めてかかれ」
「承知しました」
外島機兵衛はすでに席を立ち、部屋から出ていこうとしていたが、去り際に振り返った。
「ここで手柄を立てれば、容保公の覚えも目出度かろう。せいぜい精進するがよい」
近藤がハッと当初の要件を思い出して、外島に上申書を差し出した。
「そういえば…外島様、お待ちを!上様(松平容保)にこれを」
外島はチラと目を遣っただけで、すぐに背を向け、
「…広沢、受け取っておけ」
と言い捨てると、そそくさと出ていった。
芹沢は、安藤の出て行った襖を背中越しに親指で指して、広沢を睨んだ。
「ケッ…ナニアレ?感じ悪い」
浪士組に近しい広沢は、申し訳なさそうに上申書を受け取った。
「悪っし。気持ちは分かるが、これ以上、上様の頭痛の種を増やさんでくなんしょ」
近藤は、上申書に眼を通す広沢を見つめながら、何か気に入らないことでもあるように眉根を寄せた。
「…どうも、皆が田中を犯人にして、この話をさっさと幕引きにしたがっているように思えてならないのですが…」
芹沢が末席に座る斎藤一に話を振った。
「賊の手口に詳しい斎藤先生のご意見を伺おうじゃないか」
斎藤は目を閉じてしばらく黙考した。
「本当にこれが田中の凶行だとすれば…らしくないですな」
「は?どういう意味だ?」
「初太刀を外して獲物と揉みあうなど、これまでの仕事ではあり得ない醜態だ。何か迷いのようなものを感じる」
「ずいぶんヤツを買ってるじゃないか?」
言葉少なに語る斎藤を、芹沢が茶化した。
しかし、百戦錬磨の人斬り新兵衛が犯した初歩的なミスは、斎藤ならずとも解せないところである。
山南が広沢に向かって念を押した。
「田中が、誰かにハメられたということは?」
広沢は折り畳んだ上申書で、手のひらをパンと打った。
「それもねぇとは言えね。小笠原様の上洛騒ぎで色々な憶測が飛び交ってっがらな。いずれにせよ、奴を引っ張ってくりゃハッキリすっぺ。けんじょも、この上申書も然りだが、大樹公の東下についちゃ噂だけが先走って、皆が勝手に息巻いてる」
近藤が表情を曇らせた。
「すでに同じものを学習院と二条城にもお渡ししております。我らの行動は性急すぎたでしょうか?」
「ま、さすけね。これは私が責任をもって上様にお渡ししておこう」
と、ここまでただ静かに座っていた中村半次郎がクスリと笑った。
近藤は何やら意味深長なこの含み笑いに少し気分を害して中村を睨んだ。
もっとも、芹沢、山南の二人には、この時、中村の頭を過ったことは何となく察しがついていた。
学習院の窓口である御用掛は、つい先日まで長州の高杉晋作が務めており、このしばらく後には久留米藩の真木和泉が後を引き継ぐなど、いずれも過激な攘夷思想家で占められており、彼らが公卿の三条実美、姉小路公知と裏で通じて朝廷の意向を都合よく操作していることは、もはや公然の秘密であった。
広沢は二人の視線が交錯するのを見て、遅ればせながら、まだ彼らを正式に引き合わせていないことに思い当たった。
「ああ、申し訳ない。こちらは…」
中村半次郎は、広沢の紹介を待たず、前に出て頭を下げた。
「ご挨拶が遅れました。薩摩の中村半次郎と申します。こちらは浪士組の近藤先生、芹沢先生ですね?こちらは山南先生と土方先生。皆さまのご高名はかねがね」
以前、斎藤一や中沢琴に接した時と同じように柔らかな物腰である。
近藤は大きな口を引き結んで手をついた。
「恐れ入ります。私どもも中村様のお噂は…」
「ハハハ。あまり良い噂ではないでしょう?」
中村は近藤の社交辞令を笑い飛ばしたのち、表情を改めて深々と頭を下げた。
「この度は、当家の者が世間を騒がすような不始末をしでかし、誠に申し訳ございません。本来であれば、私が奴の首根っこを押さえてでも引っ立てて来るのが筋と存じますが、お恥ずかしい話、お家の事情で表立って動くことも叶わず、こうして陰ながらお力添えをさせていただいている次第です」
広沢は、この流暢な言い訳に思わず苦笑を漏らす。
山南敬介は形通りの謝罪に何の興味も示さず、淡々と問い返した。
「田中新兵衛殿は、攘夷思想に傾倒しておられたとか」
「ええ、その様な噂も」
中村は殊勝な台詞を吐いた舌の根も乾かぬうちに、他人事のようにさらりと受け流した。
「ではなぜ姉小路卿が、同じ攘夷思想を持つ田中新兵衛殿に殺されたんでしょうか」
中村の眼が急に鋭くなった。
「…今さら、宮中の噂話を追認する事に何か意味が?姉小路卿は攘夷思想を捨てたかも知れないし、そうでないかも知れない。こればかりは新兵衛を問い詰めても答えは出ないでしょう」
山南はその視線を正面から受け止めた。
「いえ、ただ…貴方は既に本当のところをご存知のような気がしましたので…」
「はは、まさか…」
中村半次郎は、笑いにまぎらせて言葉を濁した。




