デリケートな問題 其之弐
芹沢と近藤は顔を見合わせた。
「こんな時間になんだ?」
「姉小路卿の件で何か進展があったんでしょうか?」
気の早い土方は、すでに黒谷の方角へ向かって歩き始めている。
「ちょうどいいじゃないか。さっさと行こうぜ」
「例の刺客絡みの話なら、私も同行します」
斎藤が自ら近藤に申し出た。
「なんで?」
「あなた方より、多少は奴らの手口に通じている」
芹沢が、お気に入りの大鉄扇で肩を叩きながら口元を歪めた。
「は、心強いね」
二条城から京都守護職が本陣を敷く金戒光明寺までは、徒歩で半刻(1時間)足らずの距離である。
芹沢、近藤、土方、山南、そして斎藤の五人は、そのまま本陣へ向かった。
「こちらです」
歯並びの悪い厩番の案内で、浪士組一行が大方丈の一室に通されると、すでに会津藩の面々が物々しく顔を揃えていた。
公用方の松坂三内、広沢富次郎、その隣には物頭安藤九左衛門が座っている。
その他に、もう一人、薄紫の羽二重を羽織った見慣れない男が同席していた。
顔ぶれを見る限り、何かまた厄介な事案が持ち上がったらしい。
近藤もそれを察して、神妙な面持ちで着座した。
「遅くなりました」
上座には主催者であり議長でもある公用人外島機械兵衛の席が用意されていたが、まだその姿は見えない。
近藤は正面に座る正体の知れない男と目が合い、黙礼を交わした。
「あれは?」
山南敬介の脇腹を突いて小声で訊く。
「え?」
「あの、派手な羽織を着た目つきの鋭い…」
「青蓮院宮衛士、中村半次郎です」
答えたのは山南ではなく斎藤一だった。
「顔見知りか?」
近藤は正面を向いたまま尋ねた。
「以前、青蓮院宮の傍で一度会った事があります。気になったので少し調べました」
なるほど、斎藤が気になるのも無理はないと近藤は思った。
まだ若く、派手な羽織のせいで一見遊び人風だが、それでいて、男の居住まいには、一廉の剣豪たる趣がある。
「青蓮院宮衛士?」
山南はその寺院の名に何か思い当ることがあるように繰り返し、土方と目を見合せた。
「青蓮院宮といやあ、八木さんの勤め先だよな?」
土方の言葉に、斎藤がうなずく。
「しかし寺院の守衛は建前で、詰まるところ、薩摩が尊融法親王(先の青蓮院宮、後の中川宮)の身辺警備に貸し出している部隊です。中でもあの男はかなりの使い手らしい」
当時の公家は、それぞれが金蔓の大名をバックにつけており、薩摩藩は尊融法親王のいわゆるパトロンという訳だった。
「薩摩には人斬りと呼ばれる男が二人いて、一人が人斬り新兵衛、そしてもう一人が、あの男、人斬り半次郎です」
「何人殺せばそんな名前で呼んでもらえんのか、後で聞いてみようぜ」
芹沢のくだらない冗談を近藤が小声で制した。
「しっ。外島様が来られたようです」
部屋の外からドスドスと足音が近づいてきて、勢いよく襖が開けられた。
「お待たせした。急な客があって遅くなった」
外島機兵衛は、四十絡みの体格の良い男で、大股に上座へ向かうと、言葉とは裏腹に反り返って胡坐をかいた。
陰謀の渦巻く都で公用方を束ねる中間管理職の重責が、眉間に深い皺を刻んでいる。
「来てもらったのは他でもない、姉小路卿殺害の一件だが。下手人が判明したそうだ」
浪士組一同は、身を乗り出した。
ある程度予想はしていたものの、その言葉は、やはり張り詰めた空気を生んだ。
「して、何者です?」
全員を代表して、芹沢が尋ねた。
「武家伝奏、大納言坊城俊克様からの遣いによれば、賊の名は、薩摩藩士、田中新兵衛」
武家伝奏とは、幕府が天皇に具申した意見を取り次ぎ、裁可を請う役割の公卿である。
「…人斬り新兵衛ですか」
近藤が低く呟いた。
たった今、斎藤一の口から出た名前である。
「フン、”ただの”新兵衛だ。そのような二つ名を得意げにひけらかすバカ者には、もう飽き飽きしている」
外島は不機嫌も露わに、もう一人の人斬りに当て擦った。
「は。不徳の致すところで」
中村半次郎が初めて言葉を発して、平伏した。
しかし、俯いたその面に、薄笑いが張り付いているのを土方歳三は見逃さなかった。
どうやら、広沢ら会津側の出席者は、事前に聞かされていたらしく驚きは見られない。
だが、なぜここにきて、急に公家からの情報で犯人の名前が分かったのか。
そして、なぜ犯人と同じ藩の男が、この場に同席しているのか。
土方は、何か不自然なものを感じながら、探りを入れた。
「間違いないのですか?武家伝奏が彼を下手人と断定した根拠は?」
「姉小路卿の遭難現場に落ちていた刀と、下駄だ。調べによれば、土佐の那須信吾と申す者が、この刀を田中のものであると証言している」
「恐れながら」
山南が発言の許可を求めた。
「那須と言うのは土佐勤王党の過激派、云わば仲間では?彼が田中を売ったのは、どう考えれば良いのでしょう?」
山南と土方は、中沢琴の口から那須信吾の名を聞かされていた。
件の坂本龍馬と角屋でお座敷を上げた土佐の脱藩浪士である。
しかし、外島にとって、そうした話の細部はどうでもいいらしい。
「仲間割れか、あるいは蜥蜴の尻尾切りか…それは分からんが、那須が申すには、あの刀の持ち主については、長州・土佐、多くの藩士が証言出来るだろうということだ」
「いずれにせよ、その話の信憑性については、どの程度信の置けるものか、今一度吟味が必要と存じますが?」
食い下がる山南に、外島は明らかに気分を害した様子で、高圧的な態度に転じた。
「口出しは無用。我らとて土佐のならず者の言を、裏取りもせずに、そのまま鵜呑みにするほど間抜けではないわ。聴き込みによれば、竹屋町の刀屋、油小路の塗師の二名から、最近、同じ拵の刀を田中から預かったと証言を得ている」
「…失礼しました」
山南は決して納得したわけではなかったが、一先ず畏まって見せた。




