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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
凶刃之章
307/404

デリケートな問題 其之壱

文久三年五月廿五(にじゅうご)日。深夜。

東洞院通蛸薬師入ひがしのとういんどおりたこやくしはいル。


会津藩物頭あいづはんものがしら安藤九左衛門あんどうきゅうざえもんが発したひそやかな号令一下ごうれいいっか暗闇くらやみに紛れて、四十人の黒い影が、その屋敷を取り囲んだ。


「おい!指示を聞いてなかったのか!貴様きさまらは南側の裏口を固めろと言ったはずだ!」

安藤に背中を小突こづかれた影が振り返った。

「なんだあ?お前なんかにエラそうに命令される筋合すじあいはねえぞ」

原田左之助の声である。

浪士輩ろうにんばらが!ここでは、足軽頭あしがるがしらの私の指示に黙って従うのがお前たちの仕事だ」

「ふざけんな!」

原田が突っかかると、安藤は後ろを振り返った。

「山南!土方!お前らの兵卒へいそつは、いったいどうなっている」

山南敬介が進み出て頭を下げた。

統率とうそつの乱れは申し訳ないと存じますが、ご容赦ようしゃ願いたい。何せ彼らも、つい先ほど捕縛ほばくに協力せよとの命を聞き、急ぎ駆けつけた次第にございますれば」

「そういう問題ではないだろう?こいつが今口応(くちごた)えしたのを聞いたな?浪士組では、上の者に従うよう教育しておらんのか!?」

山南は無表情のまま、安藤にひたいを突きつけるほど詰め寄った。

「そのご不満には承伏しょうふくいたしかねます。我らは近藤、芹沢両局長の配下ゆえ、そこまで上下の指示系統にこだわられるのであれば、貴殿きでんの命令に従う道理はない。ご不満なら、ご自身の部下を率いればよろしいでしょう」

山南には普段見せることのない勝気かちきな一面があって、こうなるとテコでも動かない。


現実家の土方歳三が、めずらしく山南をなだめた。

「よせ。気持ちは分かるが、とにかく今、内輪揉うちわもめしてる時間はない。先に仕事を片付けちまおうぜ」

「…うむ」

山南が渋々(しぶしぶ)引くと、土方は続いて原田を振り返り、

「おい左之助、お前もちったぁ辛抱しんぼうしろ。ガキじゃあるめえし」

と背中を叩いた。

「ちっ。山南さんに免じて許してやらあ。おうみんな、南に周れとよ」

原田が手のひらで後続に合図を送る。


「なんやねん。結局、ワシらはただの捕手(とりて)ちゅうことやんけ!」

手柄てがらだけは、会津藩のもんてワケかよ?」

松原忠司と藤堂平助が隊士たちの気持ちを代弁するように不平を漏らす。

年長の安藤早太郎が、皆をさとした

「そう言うな。なんと言っても相手はあの人斬り新兵衛だ。ここは俺たちの腕を見込まれたと思って、意気いきに感じようや」

屋敷の塀伝へいづたいにヒタヒタと走りながら、永倉新八が毒づいた。

「けっ!なんかあっても死ぬのは俺たちだからな」


彼らが取り囲んだ屋敷の門の前には、外島機兵衛(としまきへえ)をはじめ、公用方の松坂三内まつざかさない、広沢富次郎と、浪士組局長芹沢鴨、近藤勇が立っていた。

外島は手勢てぜいの片隅が騒がしいのを気にしながら、二人の局長にたずねた。

「あちらで、何やらめていたようだが?」

芹沢が別段(べつだん)珍しい事でもないと肩をすくめる。

無作法ぶさほう者が多くてすんませんね。食ってるものが貧しいせいか、どうもみな、気が短くていかん」

「芹沢さん、軽口かるくち沢山たくさんだ。さっさと踏み込もう」

そう言って刀の鯉口こいくちを切る近藤を、外島が押しとどめた。

「まあ待て近藤。まずは正面玄関から入り、取り次ぎに田中への面会をう」

芹沢が信じられないという風に、自分のこめかみを指した。

「ハア?あんた、気は確かかい?相手は人間の頭なんか肩の上に載ってる漬物石つけものいしくらいにしか思ってない連中だぜ?そんなケダモノの巣穴すあな御免下ごめんくださいって首を突っ込むのかよ?」

「この捕り物は、貴様らには考えの及ばぬ繊細せんさいな問題を含んでおるのだ。薩摩との関係を考えれば、まずは彼らの面子めんつを立てねばならん」

「やれやれ、ここでもまた政治か」

近藤はゲンナリした顔で芹沢と目を見合わせた。


まったく、三百年近くのあいだ惰眠だみんむさぼってきたサムライという人種の緊張感のなさと堕落だらくぶりときたら、信じられないほどだ。


芹沢と近藤は、ほぼ同時に抜刀ばっとうした。

「行くぜ、近藤。手負ておいとはいえ、相手は名腕なうての人斬りだ。下手ヘタ打って足を引っ張るなよ」

「芹沢さんこそ、慢心して不覚ふかくを取るなど、みっともない姿をさらさぬよう」

「ホザけ」

芹沢は、ニヤリと笑うと派手にくぐり戸を蹴破けやぶった。

かんぬきの棒が折れ、蝶番ちょうつがいが曲がっている。

驚くべき脚力きゃくりょくだった。


これには外島が血相けっそうを変えた。

「おい!私の話を聞いてなかったのか!」

芹沢は怒声どせいを無視して刀を構え、油断なく周囲に気を配りながら敷地に踏み込んだ。

続いて近藤が中に入り、芹沢に背中を(あず)ける形で内側からかんぬきを外し、門を開放する。

「失礼の段は我々浪士組のせいにすればよろしい。扉を開くなり示現流じげんりゅうの一撃を食らえば、繊細せんさいな問題とやらに悩ませるアタマも失いますぞ」




さて、ここで、この深夜のドタバタ劇が演じられることになった経緯けいいを追っていきたい。


この日、芹沢、近藤、谷、山南、土方ら浪士組の大幹部は、近ごろ二条城内でしきりに取り沙汰(とりざた)されている将軍の江戸帰還を押しとどめ、このまま京に留まっていただくよう上申するため、朝から奔走ほんそうしていた。



最初に訪れたのは、禁裏きんりのなかにある学習院である。

学習院というのは、本来朝廷と諸藩をつなぐ調停機関ちょうていきかんであるが、浪士組のような末端組織や、あるいは市井しせいの政治結社などから日々山のように届く意見書などを受け付ける業務も行っていた。

隊士全員が署名した上申書を提出して禁裏(きんり)中立売門なかだちうりもんを出ると、近藤がに落ちない顔で土方に問いかけた。

「俺もそれほど此処ここを知ってるわけじゃないが、何か、いつもと違って妙にザワついてなかったか?」

「学習院を牛耳ぎゅうじってた姉小路が斬られたばかりだ。(むべ)なるかなってやつさ」

土方は笑って取りあわない。

この日も浪士組隊士たちは、方々に散って探索を続けていたものの、ここまでの結果は捗々(はかばか)しいとは言えず、依然暗殺者の正体も知れなかった。



続いて、老中板倉勝静ろうじゅういたくらかつきよ宛の書簡しょかんを二条城に提出して、残すところは京都守護職(きょうとしゅごしょく)本陣(ほんじん)金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)だけであったが、城の大手門おおてもんを出るころには、もうが傾いていた。

お役所仕事の緩慢かんまんさという伝統は、今も昔も変わらない。


「やれ疲れた。会津中将に上申書を差し上げるのは、明日にした方がいいんじゃないかな?今からあの石段をのぼるのは、わたしゃ考えただけでゾッとするんだがね」

谷右京老人が、肩で息をしながら皆に提案した。

「私がぶって行きましょうか?」

ともの島田魁が申し出ると、もう一人のお供、林信太郎が首を横に振った。

「しかし、この時間じゃあまり歓迎かんげいされないかも知れませんよ」

そんなことを話しながら歩いていると、門の外で副長助勤(ふくちょうじょきん)の斎藤一(ひき)いる一隊が、一行を待ち構えていた。


「どうした?」

近藤勇が立ち止まってたずねた。

屯所とんしょに黒谷本陣からのつかいがあり、至急来られたしとのこと」

斎藤は簡潔かんけつに用件を述べた。


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