獲物が飛び出したぞ! 其之弐
「とにかく声をかけてみましょう」
若い野口健司は、彼らのやり取りに焦れて、大胆に煮売り酒屋の方へ近づいていく。
平間はその時ようやく芹沢の事を思い出して後ろを振り返った。
「芹沢さん…あれ?おい、芹沢さんはどこ行った?」
一方、岡田以蔵と田中新兵衛は、浪士組に見られているとは露知らず、物騒な謀議を続けていた。
「何時やっどかい?」
新兵衛は以蔵に訊ねた。
「聞かされとらんちや。わしゃ今回外されちゅうき、詳しゅうは大仏寺の根城で聴いてつかあさい」
「ないごて?」
以蔵は如何にも途方に暮れた様子で肩を落とした。
「姉小路卿は勝安房守に懐柔されちゅうがやき、わしゃ仲間内で信用されとらんちや。お陰でこがいお使い役を仰せつかりゆう」
「そいが、ないごておはんが外される理由になっとな…」
坂本龍馬からの依頼で勝海舟の護衛役を務めた以蔵は、土佐勤王党の面々から不評を買い、目を付けられていた。
だが、新兵衛がそこまで言ったところで、二人はほぼ同時に、五間(約9M)ほど先から近づいて来る野口健司に気づいた。
経験の浅い野口は、警戒心もなく、まっすぐ此方を見ている。
話は中途で打ち切られた。
「おはん、つけられたな」
新兵衛が盃に視線を落としたままつぶやいた。
以蔵は残っていた酒を一気に飲み干して、
「おまんも早う逃げや。あいつらぁ、まっことネチっこうて、鬱陶しいき」
そう言いおき、足早にその場を離れた。
「あ!逃げやがった」
野口が叫ぶと同時に、隻眼の剣士平山五郎と佐伯又三郎が動き出す。
「クソ、土方に協力するのは癪だが、逃げられれば追いたくなるのが悲しい性だな」
「いま恩を売っとくのも、悪うないでしょ」
辺りはすっかり暗くなっている。
通りには虎興行の客目当てに辻君(街娼)が立ち始め、皆から随分遅れて歩いていた芹沢は、千鳥足で女達を一人ずつ検分していた。
その中に、際立った容色の女を見つけた芹沢は、懲りずに声をかけた。
「よう、姉ちゃん。あんた、俺とろっかで会ったことねえか?」
明らかに酩酊していて、呂律も回っていない。
「ありきたりな口説き文句ねえ」
蓮っ葉に答える女の肩に、芹沢は馴れ馴れしく手を回した。
「固いこと言うなよ、おまえ商売女だろ」
「そうだけど、あんた肝心のお足は持ってるんでしょうね」
しゃなりと手のひらを差し出したその女は、阿部慎蔵に殺しの仕事を斡旋し、浪士達に怪しげな薬を売り捌いていた、あの辻君だった。
「いくらだ?言えよ。俺ぁ壬生浪士組筆頭局長らぞ?金なら…あら、やべ、財布はあいつらに渡してたんだっけな」
辻君は軽くあしらうように芹沢の手を払い退けた。
「はいはい、じゃあ今度、お金のある時に、またいらしてくれるかしら?筆頭局長さん。お金さえ払えば、お望みのまま、何でもして差し上げてよ」
「おい、待てよ、つれねえなあ。よし、じゃ代わりに、これれどうら?」
芹沢は帯に付けていたユニコーンの根付を女の手に握らせた。
「こ、これ…」
辻君は驚いた顔で、その根付を見つめた。
そこへ平間が血相を変えて戻ってきて、芹沢の肩を掴んだ。
「芹沢さん!」
「なんだよ!もうお梅には謝る気はねえぞ。あ、そうだ。ちょっと金貸してくれ。俺ぁこの女と遊んでいくからよ。お前ら、先帰れ」
「なに悠長なことを言ってる!隊士たちが騒いでるのが聞こえんのか!あの浪人を見つけた!」
「ち、仕事熱心だねえ。俺には関係ねえ」
「関係ないわけないだろ」
平間は芹沢の後ろ襟をつかんで、猪のような勢いで引っ張って行った。
「あ!やめろ、こら!てめ、なんて馬鹿力だよ!」
「あ、あの、ちょっと局長さん…! 」
辻君は根付を手にしたまま、引き摺られていく芹沢に数歩追いすがったが、すぐ諦めてしまった。
平山らは松原通りまで来たところで、時を同じくして因幡薬師に向っていた永倉新八ら見回り部隊と合流することになった。
「よお、野口さん!」
藤堂平助が向こうから人混みをかき分けてくる野口に気づいて呼び止めると、
「見つけたぞ!」
野口は彼らの顔を見るなり怒鳴った。
「え?誰?あぐりちゃん?」
藤堂は粟を食って頓珍漢な返事をした。
「バカ言え!昨日の浪人だ!連れを入れて二人!」
「総髪の出っ歯は、藍染の無地。もう一人も総髪で、痩せて背が高い。そっちは黒の十字絣だ」
追いついてきた平山が簡潔に逃亡者の特徴を伝えた
「二人か!屯所を襲ったのはどっちだ」
永倉が問いただす。
「出っ歯の方だ」
平山は答えて、北を指した。
「二人は同じ方向に逃げた。お前達はそこの亀山屋敷から高辻通りに回れ」
藤堂は平山の的確な指示に圧倒されて、言われた通りの方向に駆けだした。
「りょ、了解!」
永倉、原田、河合、馬詰がその後に続く。




