人斬り新兵衛の憂鬱 其之参
「おはんな、怖くなる事はなかか?」
新兵衛は空になった盃を見つめながらつぶやいた。
「なにが?」
以蔵は新兵衛に注ぎながら尋ねた。
「こげんこつ、毎度毎度、成功すっとは限らんでな。いずれ誰かに斬られて御終じゃ」
その切れ長の目に憂いが差す。
「わしからすりゃあ、まっこと惜しいが、気が進まんなら手を引けばええやか」
しかし、仲間内でも身分の低い新兵衛には、命令を拒否する権利などない。
「そうもいきもはん。武市さあに申し訳が立たんで 」
そう言って、新兵衛はまた盃を干した。
「ほいたら、やってくれるなが?」
「話だけは聞きもそ」
そもそも、新兵衛は、進んで修羅の道に足を踏み入れたわけではなかった。
実は、人斬り新兵衛もまた、あの「寺田屋事」によって、運命を狂わされた一人である。
もともと新兵衛は、薩摩の豪商森山新蔵の奉公人に過ぎなかった。
森山家は、ごく最近まで、多くの漁船を所有して魚介などを手広く商っていたが、ある時、薩摩藩から債権放棄の代償として武士の身分を与えられた。
だが、幕末という時代は、とても武門の家柄とは言えない新参のサムライにすら、安閑とした生き方を許さない。
安政の大獄が吹き荒れる最中、森山新蔵は実の息子、新五左衛門とともに、西郷吉之介・大久保正助らが主導する薩摩の過激派、誠忠組への加盟を決意し、
そして、新兵衛も、そのズバ抜けた剣才を買われ、森山新蔵の養子として、形式上、「薩摩藩士島津織部の家臣」という身分を与えられた。
栄えある「薩摩隼人」の末席に加えられたのである。
しかし、運命が暗転するのもまた早かった。
新五左衛門が寺田屋で伏見義挙の決起に加わり、島津久光に背いた廉で切腹すると、翌日には新蔵自身も追腹を切った。
新兵衛は、もはや藩内において後ろ盾といえるものを何も持たず、今や、彼の存在意義は、ただ人を斬り殺す事、それのみにあった。
「寺田屋」以降、京における薩摩過激派は徐々に勢いを失い、西郷らの思想とは一線を画す高崎佐太郎(正風)らが台頭した。
高崎は、薩摩の国父(実質的な藩主)島津久光より因果を含められており、中川宮(青蓮院宮)と結託して、三条 実美、姉小路公知に連なる破約攘夷推進派を朝廷から追い落とすために暗躍していた。
つまり、今の新兵衛は、誠忠組の下で働き、土佐勤王党と協業していた頃とは政治的な立ち位置が変っていた。
新兵衛の不幸は、彼自身に、その自覚がなかったところにある。
それは、どうしようもないことだった。
軽輩と見縊られていた彼には、藩内外の情報を知り得る術はなく、故に政局を理解するだけの知識も持ちようがなかったからだ。
そんな新兵衛に、姉小路公知の生死にかかわる利害を見極めるなど荷が重すぎるだろう。
「律儀じゃのう。そがい難しゅう考える道理はないろう?どうせ死ぬときは死ぬがやき、今楽しまんで、どがいするがよ」
以蔵は何処までそうした事情に通じているのか、無責任に笑った。
「おはんが羨ましか」
新兵衛はそう言って、以蔵の盃を満たした。
その、二人の密やかな合議に目を留めたのは意外な人物だった。
ここで、少し時間を巻き戻して、菱屋の梅率いる芹沢鴨一派の行動を追ってみることにしたい。
葭屋町一条下ル。
その日、生糸商、大和屋庄兵衛は不在で、芹沢らの談判は不発に終わった。
予想外の不首尾ではある。
もっとも、芹沢は去り際に、番頭の喉元へ例の大鉄扇を突きつけて、脅しをかけるのも忘れなかった。
「どうにも解せないんだが。近ごろ、デカい商いをしてるお店をサムライが訪ねると、大抵の主が留守にしてやがんのよ」
番頭の喉がゴクリと鳴る。
「な?不思議な偶然だろ?オマエ、なんでだと思う?」
「さ、さあ?」
「次来るまでに、答えを考えといてくれ」
布石を打って、芹沢が身を翻すと、取り巻きもそれに続く。
平山が腹立ちまぎれに格子戸を蹴り飛ばして、
「モノをひさぐのを生業にしてる商人が、客のある昼日中に、揃いもそろって、一体どこに行っちまうんだろうなあ!」
と奉公人たちをビビらせると、
「また来るからな!」
と野口が捨て台詞を吐いてダメを押した。
一同が外に出てくると、待っていた梅が大袈裟にため息を漏らした。
「は~あ!ほな、今日の上りはボウズどすか?うち、久しぶりに菱屋へ帰ろかしらん」
菱屋のある四条堀川の方へスタスタと歩いて行く梅に、
「ツレねえなあ。大店は此処だけって訳じゃねえんだからよ?な?もう一軒つき合えよ」
と、芹沢は猫なで声で後を追った。
「ウチの先生もパッとしないな」
平間がいかつい肩をすくめ、一同は仕方なくその後へ続いた。
追腹を切る:いわゆる殉死のこと。本来は主君が死んだ後を追って切腹すること。




