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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
人斬之章
288/404

HUSH-HUSH Pt.2

「現場にいた隊士たちの話では、男はずいぶん貴女あなた執着しゅうちゃくしていたようだ。ではまた貴女あなたねらう可能性もあるんじゃないですか」

本心を言えば、山南が一番心配していたのはそれだった。

しかし、土方の前(ここ)で私情を持ち出すわけにはいかない。

一方、琴は、沖田総司と安藤早太郎に感謝していた。

この様子では、琴と以蔵の間で交わされたやりとりまでは聞かされていないようだ。


「なあに、心配するこたねえさ!おれがまもってあげるよ…お琴」

抱きすくめようとする永倉の腕を、琴はツネりあげた。

「いてててて!」

「ありがと。でもご心配なく」


頬杖ほおづえを突きながら、土方が皮肉っぽく笑う。

「名高い人斬りが向こうからノコノコ現れてくれるんなら、狩り出す手間も省けるってもんだよな?」

「そうね」

無表情に応じる琴に、山南がまた厳しい口調でたずねた。

「じゃあなぜ、そんな奴を野放しにしたんだ」


「奴の口から、知人の名前が出たの。土佐の坂本龍馬」


「聞き覚えのねえ名だが」

土方は記憶の糸を手繰たぐって眉をひそめ、その場にいたほとんど全員が一様の反応を示した。

ただ山南だけが、わずかに動揺どうようの色を見せたのを琴は見逃さなかった。


琴はさりげなく山南に寄り添うと、

「…ほら、はだけてるわ」

えりを直しながら、その耳元にくちびるを寄せた。

「…何日か前、角屋すみやでお座敷を上げた客の一人で、岡田は彼のことを同郷の友人だと言ってた」

山南は、耳打ちした琴の瞳を間近で見つめた。


「あ~!なに見つめ合っちゃってんだよ!山南さんにだけか?おれは?おれのえりは?ほら!」

琴は胸元むなもとを開いて駄々(だだ)をこねる永倉に向き直って、荒っぽくえりを正した。

「ぐえ…!」

「…坂本は、海軍操練所かいぐんそうれんじょの立ち上げに深く関わってる」

土方が思わず腰を浮かせた。

「おいおい、もうそこまで話が進んでんのか?摂海巡視せっかいじゅんしから間もないってのに、腰の重い幕府にしちゃ随分ずいぶん手回しがいいじゃねえか」

「てか、あんた、なんでそんなこと知ってんだよ?」

原田が口にした疑問は、もっともだった。

「それは秘密」

はぐらかす琴に、しつこく永倉がり寄った。

「お琴ちゃんは、この謎めいたとこがいいんだよ!おれは信じるね!ああ、信じますとも!」

ただ、琴が隠密おんみつまがいの仕事をしている事は、永倉も原田も薄々勘付かんづいている。



山南がようやく重苦しい口を開いた。

「…坂本さんは北辰ほくしんの同門です。今は勝安房守かつあわのかみの下で動いてるはずだ」

軍艦奉行並ぐんかんぶぎょうなみ、勝海舟のことは、彼らも摂海巡視せっかいじゅんしに同行したおり、遠目ながら姿を見たことがあった。


土方は、なにか考え込むように親指の爪をみ、

「となれば、その話も俄然がぜん真実味を帯びてくるな」

そう言って、ふと顔をあげた。

「いや、ちょっと待ってくれ?まさかそのイカレ野郎も、武市のもとをおん出て、軍艦奉行ぐんかんぶぎょうに飼われてるなんて言う気じゃねえだろうな?」

「それは分からないけど」

正直、琴にもそれ以上の事は言えなかった。


「事実は小説より奇なり」などと言うが、実際、以蔵は勝の護衛ごえいの任務にいたこともあり、その行動は予測できないところがあった。


「確信が持てない以上、下手に手を出さなかったのは賢明けんめいかもしれません」

山南は渋々(しぶしぶ)認めるほかなかった。


藤堂平助が、誰にともなくつぶやいた。

「しかし幕府の肝煎きもいりで黒船の艦隊かんたいを作るなんて、外国嫌いの姉小路が黙っちゃいないんじゃないスかねえ」


「それがそうでもないらしい」

背後からそれに答える者がいて、皆が驚いて一斉に振り返ると、局長近藤勇が眉間みけんしわを寄せて立っている。


新参の隊士たちは、油を売っているところを見つかって震えあがった。

「近藤先生!」


「昼間っから、こんなところで幹部が雁首揃がんくびそろえてお茶会か?」

腕組みをして一同をにらむ近藤に、永倉があてつけがましく手をヒラヒラと振ってみせた。

「へいへい。ほんじゃま、若いのを引き連れて、その辺をブラッと一周見廻ってきますかね…お琴ちゃん、マタネ?」

名残惜なごりおしそうに去っていく永倉に、他の隊士たちも続く。

最後に藤堂平助が、お茶をすすりながらかたくなに立ち上がろうとしない原田の後ろえりをつかんで引きずって行った。

「行ってきまーす!」


土方は悪びれもせず笑って見せ、

「あいつらと会ったのは、たまたまだぜ?」

山南もさりげない風を装っている。

「黒谷(金戒光明寺に会津藩が構える京都守護職本陣)からのお帰りですか?」


近藤は、からかうように土方をにらんだ。

「俺抜きで密談か?」

ねんなよ。それより、さっきのはどういう意味だ?」

「姉小路卿の話か?いや…」

近藤は言葉をにごし、一見、関連のない話を始めた。

「通達があってな。近々、老中ろうじゅう小笠原長行おがさわらながみち様が上洛じょうらくされるって話だ」

「清河八郎の台詞せりふじゃねえが、今さらお城のお偉方エラがたが何の用だい」

「例の横浜で起きた英国人無礼討(ぶれいう)ちの件(生麦事件のこと)だが、小笠原様が独断でイギリスに賠償金ばいしょうきんの支払いを決めたことで、天子様がたいそうお怒りらしい。表向きは朝廷に対してその申し開きにくるって話だが…」

もちろん、如何いかに老中といえ、孝明天皇と直接接見することはできない。

特に今回の弁済べんさいに関する決定は、将軍家茂(いえもち)すらあずかり知らぬところで行われたものであったから、まずは家茂への釈明しゃくめいという手順を踏むのが妥当だとうな筋書きだろう。

土方があごでながら近藤を見上げた。

「表向きってことは、ほんとの理由が別にあるってことか?」

「いや、そういう訳じゃないが…と言うのも、ここから先は、実にマユツバものの話でな。広沢様が漏れ聞いたうわさを又聞きしただけなんだ」

近藤が言いよどむのを見て、土方がせっ突いた。

「いいから言えよ。此処ここには俺たちしか居ねえんだ」


言外げんがいに自分への牽制けんせいが含まれるのを察した琴は、

「私は外した方がよさそうですね」

躊躇とまどいがちに後退あとずさった。


「いや、いてくれ。ただし、此処ここで聞いたことは他言無用たごんむように願う」


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