HUSH-HUSH Pt.1
文久三年五月中旬、某日。
気の早いセミが遠くで鳴いている。
「…なんかさあ、祐、忠司が来てから更に言葉遣いが悪くなってねえ?」
「あー、ねえ?若い娘が、忠司を真似んのは感心しないね」
八木家の通い女中、祐に屯所を追い出された永倉新八、原田左之助、藤堂平助ら、浪士組一行は、愚にもつかないことを駄弁りながら壬生寺の境内を抜けた。
一応、船宿が集中する伏見界隈を探索するのが今日の予定である。
しかし、ようやく壬生寺の裏手まで来たというとき、原田が驚くべき提案を持ちかけた。
「ちょっと休憩しねえ?」
藤堂平助が、ナツメのような目を見開いた。
「イヤイヤ、本気スか?だってまだ10間(20M弱)くらいっきゃ歩いてないんスけど!」
「でもほら、すぐそこに“やまと屋”があるよ?な?お茶にしようぜ?」
藤堂は、永倉に目配せして助けを求めた。
しかし、藤堂は忘れていたのだが、その水茶屋の看板娘はなかなか可愛いのだった。
「昨日、揉め事があった水茶屋だろ?その土佐浪士の人相風体とか、お加禰ちゃんに聴き取りしなきゃだな!」
馬詰柳太郎、河合耆三郎ら新入りは、先輩たちのダメっぷりに、呆れ返っている。
一行がその水茶屋にたどり着くと、見覚えのある先客があった。
浪士組副長、土方歳三と山南敬介である 。
二人は並んで縁台に腰かけながら、何やらヒソヒソと話し合っている。
土方は目敏く永倉たちを見つけて先に声をかけてきた。
「おまえら、こんな近所でサボりか?」
「おっと、不味いのに見つかっちったぞ」
原田は露骨に嫌な顔をしたが、かといって休憩時間を先送りにするつもりもない。
永倉に至っては、開き直って逆に茶々を入れる始末だ。
「仕事だよ、しーごーと。ま~た二人で良からぬ相談かい?」
何しろ八木家が手狭だったせいもあって、山南と土方は隊内で聞かれたくない案件をこの水茶屋で話し合うのが習慣になっていた。
土方歳三は、ニヤリと笑みを返した。
「ま、そんなとこだ。あの女と待ち合わせてんだよ」
「あんたの場合、どの女だか言ってくんなきゃ分かんねえな」
永倉が皮肉ると、土方は面倒くさそうに答えた。
「ああ、そうだった。アレはそういう艶めいた話からは一番遠い女だ」
しかし、永倉にはそれだけで伝わったようで、
「え!?え!?お琴ちゃん来んの♥ここに?えー、どうしよう、どうしよう?」
と、ソワソワしながら身をよじりはじめた。
「なに?三角関係のモツレってやつか?お琴ちゃん、ついに山南さんと縁を切って、土方さんに乗り換えようとか、つまり、そういう話し合い?」
茶化す原田の襟首を永倉が荒々しくつかんだ。
「バカヤロウ!てめえ、ぶっ殺すぞ!乗り換えるなら、おれだろ!おーれ!」
藤堂平助も奇妙な取り合わせの密会に興味を引かれて話に加わった。
「なんで?ひょっとして昨日の騒ぎの件と何か関係あるんですか?」
「形式的な取り調べだよ。彼女も現場にいたから」
山南がウンザリしながら応じると、
原田は何やらしみじみとその肩に手を置いた。
「そうなの?そんなの、俺たちゃ聞いてねえぞ?しかし、あんたの女てなぁ、つくづくお転婆だねえ」
「ごめんなさいね」
ようやく現れた中沢琴が、原田の背後から近づいて声をかけた。
「うわ!」
「こんな簡単に後ろを取られるなんて。焼きが回ったんじゃないかしら?原田先生」
「常在戦場」がモットーの原田は、琴にやり込められて悔しがった。
「ちぇ。今回は不覚をとったよ」
「おまたせしました。土方、山南両先生」
お辞儀をした琴が頭を上げる間もなく、山南は堰を切ったように質問を始めた。
「ええ。随分待たされましたが、まあいいでしょう。ただし、今日は納得のいく説明をしてもらいますよ。なにせ、分かってるでしょう?あの男は隊士相手に刃傷沙汰を起こした。きっかけはどうあれ、貴女だけの問題で事は済まされない」
永倉が慌てて二人の間に割って入り、
「ちょ、ちょ、ちょ、待てよ、山南先生。いきなりソレじゃあ、お琴ちゃんだって戸惑っちゃうだろ?」
と押しとどめたものの、当の琴は落ち着き払っている。
「いいの、永倉さん。あの土佐者が屯所に乗り込んで来たのは、私のせいだから」
山南は苛立ちと諦めの入り混じった笑みを浮かべて、腕を組んだ。
「それなら話は早いな。では、なぜあの男をみすみす逃がしたんです?」
琴は山南の剣幕には抗えないと宙を睨み、「なんとかしてくれ」と土方に目配せで救いを求めた。
しかし、土方は指揮者のごとく優雅に手のひらを振って、薄情に先を促した。
「どうぞどうぞ、俺の事なら気にせず、痴話ゲンカを続けてくれ。俺もその先には興味がある」
これには琴だけでなく、山南も閉口させられた。
見かねた原田左之助が、前段の経緯を説明した。
「てかさ、大仏餅の店にガサ入れしたのが原因で、土佐の連中がちょっかいを出してきたなら、浪士組を名乗ったのは近藤局長だぜ?お琴ちゃんのせいばかりにするのは酷ってもんだろ?」
琴はかろうじて味方を得たものの、援護の甲斐なく、山南はさらに詰め寄った。
「なにも貴女にすべての責任があるとは言ってない。我々が聞きたいのは、あの男が何処の誰で、壬生で何をやっていたのか。貴女はそれにどう関係してるのかという事です」
ある程度の真実を晒さなければ、この追求から逃れる術はないと琴はとうとう観念した。
「あの男の本当の名は岡田以蔵、それとも”人斬り以蔵“と言った方が通りがいいかしら?」
永倉が、得心したように小さくうなずいた。
「土佐勤王党武市瑞山の飼い犬、か…な~るほど。で、そいつはどういう男なんだ?」
眼には、普段見せることのない、射るような光が宿っている。
琴は口をへの字に曲げて肩をすくめた。
「なんていうか…そうね、一言で言えば、イカレたヤツよ」
「ほう…」
山南は、ただ一言発して、まるで瞳の奥にある真意を覗こうとするように琴を見つめた。
「けど、目的までは私も知らない。誰にも分からないわ。だって彼、イカレてるもの」
琴はおどけてみせ、核心の部分には触れなかった。
いったい、どこまで山南や土方、そして永倉を騙し果せたかは分からない。
しかし、いずれにせよ、いま明かせるのはここまでだった。




