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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
人斬之章
278/404

水茶屋の娘 其之弐

世間話に気を取られていた秀二郎たちは、その時ようやく店先がザワザワとさわがしいのに気が付いた。

土佐弁が聴こえる。

「のう娘さん、わしゃいそいじゅうき。新兵衛に先を越される前に、滝夜叉姫たきやしゃひめに会わんならん」

男の様子は、どう見ても普通ではなかった。

加禰カネは、その男に手をにぎられて思わず叫んだ。

「いや!」


山野八十八は、ほとんど反射的に以蔵へけ寄って腕をつかむと、人差し指を立てて相手の顔前がんぜんに突き立てた。

「おい、やめろ!」

以蔵は目を見開き、山野の顔と突きつけられた人差し指を交互にながめた。

その表情は奇妙な化粧けしょうのせいで、まるで満面の笑みを浮かべているようにも見える。

「あ・あ・いかんちゃ。こん格好かっこうを見てみい?おんしゃ、こがな女子おなごのような、か弱い優男やさおとこに手え上げる気なが?弱い者いじめせられん。ほれ、みな見ゆうき」

山野は本来ほんらいなら自分が吐くべき台詞せりふを取られて、口を半開きにしたまま固まってしまった。


「わしゃ心配ながよ。若い娘さんが、こがあイカガワしい客筋きゃくすじの店をひとりで切り回しゆうがは感心かんしんせんき」

以蔵は加禰カネに肩をすくめてみせた。


「ここにアンタほど如何いかがわしい者などおらんよ」

先ほどの老人がお茶をすすりながら、なおも以蔵の顔をマジマジとながめて言った。

店にいた客がドッといた。

「いいぞじいさん!」


以蔵は襦袢じゅばんすそをつまんでわざとらしく顔をしかめた。

「…ほうかえ?」

明らかにまだ酔いが抜けていない。

しかも、どうやらこの格好かっこうがまんざらでもないらしかった。


やがて山野もわれに返った。

「…と、とにかくこの手を離せ!」

「あんたもじゃ。わしゃ人見知りするきねや」

「そっちが先…」

言い終わらないうちに、

以蔵の鋭い足払あしばらいが、山野の身体をちゅうに浮かした。

そのままドサリと地面にたたきつけられ、

そして、いつくばった山野の右手を、

三枚歯さんまいば高下駄たかげたが踏みしだく。

「…っ!」

山野は手のこうの骨をくだかれてもだえた。


以蔵は、さも申し訳なさそうに頭をいた。

「すまん!大事なお手手ててが、ちゃがまってもうたかよ。き慣れん下駄やき、加減をたがえてもうた。ちゅうか、え?おまん誰なら?」

加禰カネが泣きながら山野にけ寄る。

「おさむらいさん、おさむらいさん!」


以蔵は、不満げにくちびるとがらせた。

「なんでなが?今、わしが悪者ワルモノみたいになっちゅうやないろうか?」

辺りはシンと静まり返り、以蔵は自分への憎しみに燃えて殺気さっき立つ新入りの隊士たちを見渡して、小首をかしげた。

秀二郎は、いや、そこに居たみなが、このふざけた道化(どうけ)の内に、隠し(おお)すことの出来ない狂気を見ていた。


「だって、おまんらあ朝廷の御為おんために働く草莽そうもうの志士をしでちゅう(いじめてる)じゃいか。ほりゃあ、ちっくとみかどかろんじ過ぎぜ?」

この都の何処どこかに、夜ごと天誅てんちゅうと称し、人を斬る物の怪(モノノケ)ひそんでいる。

今更いまさらながら、みながそのことを思い出していた。

ひょっとしたら、この男がそうかも知れない。


大松系斎だいまつけいさいが腰を浮かせた。

「あの土佐野郎とさやろう、浪士組にケンカ売ってやがんな!」


八木秀二郎は、葛藤かっとうしていた。

ケンカに巻き込まれているのは、幼馴染おさななじみ加禰カネである。

当然、助けに入るのは自分であるべきだ。

男としての気概きがいを見せる時があるとすれば、今をおいて他にない。

急に「その時」が来て、情けないことに脚がふるえるのを感じた。

なにせ、こんな緊迫きんぱくした現場に居合いあわわせたのは生まれて初めてなのだ。

「クソ!」

なんとか自分をふるい立たせ、一歩を踏み出したところで、秀二郎は何者かに腕を引かれた。

「まて」

それは、先ほどの尾形俊太郎だった。


「なんです!?」

秀二郎と大松は一斉に振り返った。

「やめたまえ」

「尾形さん、あなた、まさか見て見ぬ振りをしろと?」

秀二郎は気色けしきばんだ。

動揺どうようが広がるなか、この尾形だけは、変わらず茶碗ちゃわんを手に行儀ぎょうぎよく背筋せすじを伸ばしている。

「君が行っても、犠牲者ぎせいしゃが一人増えるだけだ」

「戦う気がないなら、だまっててください」

「私が出て行ったところで、やはり結果は同じだからね」

「そ、それでも武士ですか!もういいです!」

秀二郎が声を荒げると、尾形は、ゆっくり目を合せた。

「つまり、こういうことですか?貴方あなたは、あの娘を助けたいんだね?」

「…今まで何を見て、何を聞いてたんです」

わかってないのは貴方あなたです。それは匹夫ひっぷゆうというものだ」

「かもしれんが、なんもせんよりマシです!」

尾形は、秀二郎の腕をさらにグイと引き寄せ、無理やり隣に座らせた。

それは先ほどからの消極的な言動からは思いもよらない力だった。

「…そうだな、四人もいれば、五分ごぶにやれるかもしれない」

ようやく尾形は同調のきざしを見せた。

「じゃ、じゃあ…?」

秀二郎が、大松の顔をうかがう。

「手が足りない。彼だけではダメだ」

尾形はそう断じて、少し離れた席に立っている男を指名した。

「ああ君、奥沢くん。見てないで手伝いたまえ」

「わ、私ですか?」

奥沢と呼ばれた男が、なぜ自分の名を知られているのだろうと不思議そうに自分の顔を指した。

彼は、のち、浪士組伍長となる手練てだれである。

どうやら尾形は、考試こうしの場で候補者の技量や名前をすべて記憶しているらしかった。

「いいですか?それとなく彼を三方さんぽうから取り囲む。まずは私が彼を説得しよう。話し合いで事が納まれば、無論むろんそれに越したことはない。ダメならば、私が正面から初太刀しょたちを浴びせる。もし私が斬られるようなことがあれば、そのすきに三人で後ろから斬りかかりたまえ。分かりましたね?」

彼は、生に対する執着しゅうちゃくなどまるでないように、淡々と策をさずけた。

秀二郎は耳を疑った。

「…な、なんでそうなるんですか?私があなたに助太刀すけだちいたんです。もちろん私が矢面やおもてに立ちますよ!」

尾形は、スッと立ち上がった。

「ちがうな。何故なぜならこれは、義侠心ぎきょうしん道義心どうぎしんの話ではなく、蓋然性がいぜんせいの問題だからだ。私なら彼にかなわないまでもすきを作るくらいのことはできる」

「おかしな人やな…でも見縊みくびらんといてくださいよ。これでも剣の腕には自信があります」

秀二郎は、精いっぱいの虚勢きょせいを張った。

尾形は初めて少し微笑ほほえんだ。

「その意気いきだ。だが、ここは年長者にゆずりたまえ。あの男は強いぞ」


尾形俊太郎-オガタシュンタロウ‐

のち、新選組の諸士取調しょしとりしらべ監察(かんさつ)及び文学師範(しはん)として近藤勇のブレーンの中核ちゅうかくになう。

議論好きと言われる肥後ひご人にしては珍しく物静ものしずかで目立つのを嫌う性格だが、政治向きの用件では能力を発揮し、近藤勇の出張などには常に影のように付き従った。


一方以蔵は、山野にすがる加禰カネを無理やり引きがした。

「そいたら娘さん、ちくと屯所とんしょへ案内しとおせ」

女将おかみもようやく店先みせさきの様子がおかしいことに感づいて表に出てきたものの、ただ狼狽うろたえるほか、どうすることも出来ない。

「か、加禰カネ…」

加禰カネおびえた眼で八重(はは)うったえかけながら、そのまま引きられるように以蔵と屯所とんしょの方へ消えていった。


「追いましょう」

尾形がみなうながした。


今回のサブタイトル、「イパネマの娘」みたいでちょっと気に入ってます。どうでもいいですが。

この大和屋という水茶屋は、おそらく壬生寺の裏にあった壬生遊郭の遊女屋ではないかというような話もあるんですが、まあその通りにしちゃうとなんだかウェットな話になりそうなので、ただのお茶屋さんてことにしました。

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