八木家の井戸端会議 其之弐
土方の提案に、近藤は顎を撫でて唸った。
「そうしたいとこだが…実は大坂から帰る船中で、秋月様から釘を刺されてる。『今は微妙な時期なので勝手な行動は厳に慎むように』ってな」
と、そこへ母屋で飯を食べ終わった原田左之助が離れに戻ってきて、二人の間にどっかりと胡坐をかいた。
「おいおい!俺抜きで勝手にその話を進めんなよ」
「お前は黙ってろ」
近藤が原田を睨みつける。
「そうはいかねえ!この件は俺にも口を挟む権利があるぜ?ここまで来て手を引くなんて言うなよな!」
すると土方が、珍しく原田を後押しした。
「そうさ。何も土佐屋敷に踏み込もうって訳じゃねえんだ。相手はただの瓦屋だぜ?」
早飯の近藤は、動議に耳を傾けながら朝餉の膳をほぼ平らげてしまった。
「そうだが。この件には一考を要する…ああ、たまにゃ納豆と焼魚が食いてえ」
ゆったり食事を摂りたい井上源三郎は、味噌汁を一口すすってから、箸の先を近藤と土方の鼻先で行き来させた。
「しかしねえ、仮に運よくその吉村を捕らえたとしてだ、その後どうするんだい?奴の家はさ、庄屋だって話だ。村役人とはいえ、つまり歴とした土佐の人間てこった。後から扱いに苦慮するのは会津じゃないのかい?」
土方は何か言う代わりに、胡座をかいたまま畳に後ろ手をつき、フンと鼻を鳴らした。
その無言の抗議を、原田左之助が代弁した。
「そこまで会津の顔色を窺う必要があんのかよ?押し借りを引っ捕らえんのは俺たちの仕事だろ?吉村を吐かせりゃ、芋蔓式に性悪の素浪人どもを挙げられんだぜ?」
近藤は、皆の意見は一通り聞き終えたと強調すように、パタンと箸を置いた。
「建前上は左之助の言う通りだ。しかし、いいか?この話はここまでだ。芹沢さんに聞かれた日にゃ、止める間もなくその瓦屋に押し込むだろうからな。とにかく少し考えさせてくれ」
土方が、山南敬介の隣に用意された膳の前にドスンと腰を降ろした。
「ちっ、煮え切らねえ。らしくないぜ」
山南が漬物をつつきながら苦笑いした。
「会津が、芹沢さんではなく近藤さんに指示したというところがミソですよ。せっかく風向きが変わろうとしているのに、今、我々が勝手に動いて近藤さんの顔をつぶすのは不味い。…ところであの紙は?」
「ああ、明里が角屋のお座敷で仕入れてきたネタだ。おっと、俺とあいつの仲を勘ぐるのは止めてくれ」
土方は茶碗に目を落としたまま何食わぬ顔で答えた。
山南がウンザリした顔で箸を置く。
「…別に心配はしてない」
中沢琴は、土佐浪士から情報を得たその日のうちに、禿に書き付けを持たせて花君大夫の元へ走らせていた。
同じ輪違屋の芸妓である花君が、その夜土方と過ごすのを知っていたからだ。
お茶を運んできた祐が土方を睨んだ。
「土方はん、チャッチャと食べてや。早よ片付けたいんやから!」
「はいはい、分かったからあっち行ってくれ」
祐は口を尖らせて、そっぽを向いた。
「近藤はん、お茶は?」
「あ、じゃもう一杯もらおうかな。ありがと」
祐は近藤にお茶を注ぐと、去り際にもう一度振り返って末席に座る佐々木愛次郎に声をかけた。
「せや、愛次郎。裏にあぐりちゃん来てるで?」
佐々木愛次郎は、周りの隊士たちを気にして嫌な顔をした。
「やめてくださいよ、こんな時に」
祐が台所に戻ってみると、原田左之助と永倉新八と沖田総司が、額を突き合わせるように座り込んでいる。
そして気の毒なことに、たまたま居合わせたあぐりも捕まっていた。
雅がイライラした様子で祐に近づいてきて肩を寄せた。
「今度はあの人らが来て、なんやさっきから隅でヒソヒソ始めましたんや。もう、邪魔やさかい追い払うて」
原田左之助は、まだ納得がいかないようだった。
「近藤さんの立場も分かるが、モタモタしてたら機会を逃すぜ?俺が独断でやったことにすりゃいいだろ」
そもそも、八幡屋という油問屋を吉村らが強請っているというのは彼が突き止めてきた情報だったから、拘るのもムリはない。
「バ〜カ言え!」
永倉新八が諌めたが、原田は収まらない。
「一人で乗り込めば、そんな大事にゃならねえよ」
「中に何人いるか分からねえんだぞ。ねえ?あぐりちゃんはどう思う?」
「えっ!私ですか?」
帰ろうとしていたところを無理やり永倉に引き止められていたあぐりは、無茶振りをされて狼狽えた。
そこへ、勝手口から現れた佐々木愛次郎が、助け舟を出した。
「そうなったら、屋敷の中でやり合うことになる。原田さんの長い得物じゃ不利ですよ」
二人に嫉妬している永倉は、愛次郎を睨めつけた。
「おめえにゃ聞いてねえんだよ!」
原田左之助は胸板を叩いてみせた
「バーカ!任せとけって!てか、なんでおまえが此処にいんの?」
「え!いや…」
「あぐりちゃんに会いに来たんやろ?」
話を止めに来たはずの祐も面白がって愛次郎を冷やかした。
「お、お祐ちゃんが大変そうなんで、お膳を下げに来ただけですよ」
「ていうかさ。そもそも原田さん、場所知ってんの?」
沖田が脱線した話を引き戻した。
「問題はよ、そこなんだ。木屋町で大体の当たりを付けてきたつもりだったが、あそこは引き払っちまったのかなあ?」
「でもさ、その、瓦屋の五郎兵衛さん?聞き覚えがあるんだよなあ。誰かそんな話してませんでしたっけ?」
沖田は記憶の片隅にある何かを引っ張りだそうと、こめかみの辺りを押さえた。
その時、祐が何か閃いたように、目を見開いた。
「あ…八木さんや!ほら、表の道場で棟上げの話してたとき、腕のええ瓦屋がおったけど隠居してもうたとか言うて!」
沖田もパッと表情を明るくして祐の顔を指差した。
「あww!言ってた!」
雅が祐の肩を小突く。
「これ!あんたも一緒になってダベっててどないしますのえ」
雅に袖を掴まれて洗い場に引っ張られていきながらも、祐はさらに続けた。
「五郎兵衛さんの家やったら方広寺の南門前や言うてはったで」
沖田はあぐりの顔を見た。
「それ、どの辺り?」
「洛東の方ですね。大仏寺言うて近所で聞かはったら誰でも知ってます」
とうとうあぐりまで話に加わり出したので、雅は話の輪の中心に踏み込んで皆を追い散らした。
「ほれ!あぐりちゃんも早よ帰りよし。お父はんに叱られますえ」
あぐり笑いながら籠を担ぎ、皆に頭を下げた。
「ほな、また来させてもらいます」
「うん、じゃあね」
愛次郎が小さく手を振った。
「なあにがジャアネ〜だ!テメエこの野郎、堂々としやがって!あーヤダ、あーもうやってらんね!」
永倉は板間に大の字になってフテ寝を始めた。
雅は永倉を睥睨して、床を踏み鳴らした。
「永倉はん!!こんなとこで寝んとおいて!」
「なあ、それやったら、うちら四人でコッソリ行かへん?」
祐が悪戯っぽい目で皆をそそのかした。
原田が膝を打つ。
「そうだな、少数精鋭で行くか!あ、おまえはダメだけど」
「なんでやねん!うちも行くで」
沖田は、もうすっかりその気になって立ち上がった。
「バーカ、連れてくわけないだろ、危なっかしい」
「ウチが八木さんから聞き出したんやからな!だいたい、あんたら場所もよう知らんくせに!」
すっかり拗ねてしまった永倉は動こうとしない。
「めんどくせえ、一抜けた!おれは行かねえからな!」
原田が愛次郎の頸に腕を回してグイと引き寄せた。
「じゃ愛次郎、おまえちょっと付き合え」
「付き合えって、え?なんです?」
愛次郎は嫌な予感を覚えた。
「お前はあのお転婆の護衛だ」
原田は、有無を言わせず愛次郎を勝手口の外へ押しやった。
気の早い沖田と祐は、すでに随分先を歩いている。
雅が勝手口から顔を出して怒鳴った。
「あんたら、帰ってきたら覚えときや!」




