表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
遊里之章
264/404

千里を駆ける天馬 其之弐

「わしはそうは思わんぜ。お上は腰抜こしぬけやが、長州の心意気こころいきはまっこと天晴あっぱれじゃ」

那須は赤ら顔で反論した。

かなり酒が回っているように見える。

「ほうかのう?お上と長州がほうやって脚の引っ張り合いをしちゅうがは、アメリカやイギリスの思うつぼやないがか?」

「ほりゃあ、ようだい(屁理屈)じゃ」

琴には坂本の理屈がもっともに思えた。

しかし坂本は那須を言い負かすようなことはせず、ただ笑い飛ばした。

「なんの!那須さんも、一端いっぱしのいごっそうじゃいか!さあさあ、一献いっこん

那須のさかずきを満たすと、今度は琴にも銚子を突き出す。

「ほれ、おまんも飲みや。今日は無礼講ぶれいこうじゃ」

琴はニコリともせずにさかずきを受けた。

そこへ、浪士の1人が膝で擦り寄ってきて、

「坂本さん、独り占めはズルいぜよ!傾城けいせい、わしらにも酌をさせとおせ」

と、戯れに琴のたもとに手を差し入れた。


「われ、ちっくとほげちゃあせんかよ」

那須が見兼みかねてたしなめたが、琴はまゆ一つ動かさない。


と、

「いてててててて!」

突然、その浪士が悲鳴を上げた。


琴はさかずきを持ったまま、もう一方の手で不埒ふらちな男の腕をひねり上げていた。


「おほっ!一滴もこぼれとりゃせんぜ」

坂本は、妙な風に感心して、琴のさかずきに見入っている。


琴は一息に酒を飲み干し、つかんだ腕を乱暴に払った。

「おさむらい様、是非お相伴しょうばんあずかりたいところでしたのに、私たちのかいなは、あまりりが合わないようですねえ」

「なんじゃと!」

浪士はものすごい形相ぎょうそうで琴をにらみ据えている。

坂本は取りすように中に入り、そして大声で笑った。

「あはははははは!まっことハチキンじゃあ!けんど、めった(困った)ねや。わしらぁ、どういたら、あんたみたいなええ女と寝られるがよ?」

「そうですねえ。アメリカ船の一つも沈めてご覧あそばせ。皆さまが本懐ほんかいげて凱旋がいせんなされば、楼を挙げて歓待かんたいさせていただきましょう」

琴はそう言うと、同意を求めるように花香太夫に視線をった。

「やり過ぎや」

花香は眉を潜め、くちびるの動きだけでそう伝えた。

さすがの花香も、琴の高飛車たかびしゃな口振りにはハラハラし通しだった。


坂本は、話題を変えるように琴の背中をポンと叩いた。


「気に入った!おまん、よさこいは知っちゅうかえ?」

「ごめんなさい。不勉強で」

「よし!ほんなら、そん三味線しゃみせん貸しとうせ」

坂本は鹿恋女郎かこいじょろうの三味線を取り上げ、

慣れない手つきでかき鳴らしながら、朗々(ろうろう)と唄い始めた。


「土佐の高知の はりまや橋で

坊さんかんざし 買うを見た

よさこい よさこい」


浪士たちは、みな手を叩いて一緒に歌いだした。


御畳瀬みませ見せましょ 浦戸を開けて

月の名所は 桂浜

よさこい よさこい

言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ

潮吹く魚が 泳ぎより

よさこい よさこい…」


坂本は笑いながら、三味線を鹿恋かこいゆずり、琴の隣に戻ってまた酒をあおった。

歌は賑やかに続いている。


「さっきはすまんかったのう…」

坂本はボソリと謝った。

「いえ」

「わしらぁ、田舎もんじゃき。みなには、おまんの皮肉も通じとらんがよ」

先ほどのアメリカ船云々(うんぬん)の話のことだろうか。

「そんなつもりでは…」

琴は少し気後れした。

「ええがじゃ、分かっちゅう。…どいつもこいつも。あの大砲と同じくらい古臭い理屈にとらわわりゆう。こん国はすすけて、汚れきっちょる」

坂本は、琴にしか聞きとれないような声で(つぶや)き、行灯(あんどん)の火を見つめながらしばし黙り込んだ。


「あの…」

「わしゃ決めたぜよ。日本を、こん国を洗濯しちゃるき」


その決意表明がどういう意味なのか、琴には分からなかった。

坂本自身、誰に言ったわけでもなかったのかも知れない。


琴は、不思議な感覚に囚われていた。

坂本を見て、その言葉を聞くほどに、なぜかあの清河八郎を連想してしまう。

あの暗く残酷なごうを背負った清河と、このまぶしい理想をかかげる坂本には、一見、何の共通点もないように思えるのに。


しかし、清河八郎と坂本龍馬は、写真のネガとポジのようなものなのかもしれない。

二人は革命という同じゴールを見据みすえ、同じ熱量をもって、例えば、マルコムXとマーティン・ルーサー・キングのように、まったく正反対のアプローチを試みたに過ぎないのではないだろうか。



「那須さん、おまん、お父上には、ちゃんと手紙書いとるがかえ?」

「いや、筆不精ふでぶしょうでいかんちゃ」

歌が終わると、坂本と那須は何事もなかったかのように、また話し始めた。

「平井さんや間崎さんのこともあるき。わしらは国事こくじに尽くすと決めたその日から明日をも知れん命じゃ。せめて今何処(どこ)なんしゆうがか知らせちゃらんといかんちゃ」

坂本の口から出た名前の二人は、実質的な藩主山内容堂に行き過ぎた攘夷活動をとがめられ、投獄とうごくされていた。

「…そうやねゃ」

「お二人は、お国に御内儀ごないぎが?」

話しが故郷くにの土佐に及んだので、琴はしゃくをしながらたずねてみた。

「おうおう、那須さんは国許くにもと別嬪べっぴんの嫁さんが待っちゅうろう?」

坂本が冷やかした。

「あやかしい事を言いなや。為代ためよとは、もう会えん覚悟はできちゅうき。事が成るまで、嫁さんが居ろうが居るまいが、関係ない。みな一緒クタに瓦屋の座敷で雑魚寝ざこねしちゅう」

「瓦屋って?」

琴は水を向けた。

「おう、わしらあ、大仏寺の向かいにある瓦屋の御隠居ごいんきょ間借まがりしちゅうがよ」

酔いが回ってきたせいか、口が軽くなっているらしい。

「ええところやないどすか。秋には紅葉もみじ綺麗きれいやし」

花香は、場の雰囲気が落ち着いたことにホッとした様子で、その光景を思い浮かべるようにうなずいた。

「なんちゃじゃないが」

那須は嫌な顔をした。

花香が小首を傾げて不思議な顔をすると、坂本は手を打って笑った。

「これがまたケッサクじゃき。ええ歳した男衆おとこしゅうが、こんまい部屋にスシ詰めにされてゴロゴロしちゅうち、たまるか。ほりゃもうくそうてかなわん」

おどけて、鼻をつまんで見せる。


「会津も、薩摩も、長州も、此方こちらに来られる若いお武家様やご浪人には、同じような暮らしをされている方が大勢おおぜいいらっしゃいますけどね」

琴が水を差すようにボソリとつぶやいた。

「なんや?わしらぁは報国ほうこくこころざしを持ってやっちゅうがよ。あがなへこすい奴らと一緒にしな」

那須が聞きとがめるのを見て、花香がまた引っき回すつもりかとあわててたしなめる。

「これ!明里」


「まあまあ、ええじゃいか那須さん」

坂本の方も那須をなだめた。


琴は謝ろうともせず、にらみつける花香から、床の間に生けてある躑躅(ツツジ)花水木(ハナミズキ)に視線を()らせた。

坂本はそんな琴の横顔をじっと見つめた。


「おまんの言いゆうこともわかるき。わしらのほんまの敵は、アメリカじゃ!イギリスじゃ!フランスじゃ!ほいじゃき、いまつらおもいをしゆう皆が、それを分かってくれよったら、この国は、なんらあなるき。のう?」

琴はまだ納得した訳ではなかったが、坂本を見て小さくうなずいた。

ねた少女のように、目には薄っすらと涙を浮かべている。


「まっこと、大きな眼ぇやにゃあ!」

坂本龍馬はそう言って、また笑った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=929024445&size=135
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ