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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
遊里之章
260/404

大望の残像 其之壱

近藤勇たちが京に戻った日に話を戻す。


夜も更け、角屋での乱痴気騒らんちきさわぎもお開きに近づいた頃。

天神の明里あけさとは浪士組副長山南敬介に耳打ちした。


「西門の脇にある住吉神社で」


遊里の逢引あいびき場所としてはいささか風変りだが、

山南は、無言で明里の眼を見返しただけだった。



やがてうたげも果て、皆は壬生みぶ屯所とんしょに帰っていった。



うしノ刻(2:00am)。

雨の匂い。

夜の街、島原の通りにも人気ひとけが絶える頃。


明里、すなわち中沢琴は、提灯ちょうちんも持たず、一人遊郭のすみにある神社の鳥居をくぐった。

拝殿はいでんの脇に建つ石灯篭(いしどうろう)の陰に、傘を差す男がたたずんでいる。

「山南さん?」

琴はゆっくりと歩み寄った。


「山南なら来ないぜ?」


予期せぬ声がして、琴の足が止まった。

姿を現したのは、もう一人の副長、土方歳三だった。


「土方さん」

「あんたが山南に耳打ちしたのが聞こえたんでな」


「…気づいてたの?」

それは遊女、明里としての質問ではなかった。

土方の口振りから、琴は自分の正体が知られていると悟っていた。


「あんな唐変木とうへんぼくどもと一緒にしてもらっちゃ心外だな。女についちゃ見る目はある。それに、何だかんだで、あんたとの付き合いも古いからな」

「ビックリね。私のこと、ちゃんと女に見えてたなんて。牡牛おうしか何かと勘違かんちがいされてるんだと思ってた」

琴は皮肉を込めて微笑ほほえんだ。

「ああ。馬鍬まぐわを引っ張る力があるからといって、その二の腕に色気がないとは限らん。だから、あんたが自信家で、自分の見た目を鼻にかけてるのも、よおく存じ上げてるぜ?…にしても、島原の天神とは恐れ入ったがな」

土方は肩をすくめた。

「大きなお世話なんだけど。さっさと本題に入れば?」

「で、思い出したんだ。そういえば、あんたには借りがあったってな」

若鶴わかづる太夫のことなら、礼には及ばないわ」

「そんなんじゃねえ。古い話だが、江戸を出る前、俺が女と手を切るのに、許嫁いいなずけのフリをしてもらったことがあったよな」

琴はしばらく考えるふりをして、顔をしかめた。

「女?ああ、そうね、正確には”あちこちに作った女” と手を切るのに手を貸したかも。思い出したくもないけど」

「いちいちかんに触る女だな。まあ今夜はそのお礼と言っちゃなんだが、お節介せっかいを焼きに来た」


琴は土方が用件を切り出すより先に、諦めたように小さくかぶりを振った。

「…山南さんは、やはり許してくれなかったのね。わたし、ひどいことを言ったから」

「そう結論を急ぐなよ。何を言ったのかは知らんが、山南なら輪違屋わちがいやへ行ったぜ?あんたを取り返す気じゃねえのか」

「もう!バカなことを」

あわてて輪違屋へきびすを返そうとする琴の腕を土方がつかんだ。

琴のぽっくり下駄が飛沫しぶきを上げる。

「待てよ!いいから聞け。事情が変わったんだ」

いつもの皮肉が混じった口調とは少し様子が違う。

琴は土方の顔をマジマジと見返して、その続きを待った。


「清河が斬られた」


「…」

琴は何も答えなかったが、

その眼を見れば、土方には充分だった。

「そうか。知ってたんだな」


「…ええ。じゃあやっぱり本当だったのね」

「俺たちも詳しくは知らん。誰が殺ったのか、あんたは知ってるのか」

「分からないけど、知る限り、少なくとも長州の仕業じゃない」

「とすれば、やはりご公儀こうぎすじ…佐々木只三郎か」

琴は威嚇いかくするように土方をにらんだ。

「ご満足かしら?」

「ふん、ま、因果応報いんがおうほうってとこだな。稀代きだい奸物かんぶつとして相応ふさわしい最期さいごには違いねえ」

「やめて。『稀代きだい奸物かんぶつ』なんて称号は、あの人なら地獄で手を打って喜ぶだけ」


「…じゃあ、何故なぜだ」

土方は琴の眼をまっすぐ見据えてたずねた。

「え?」


「清河の仕事から手を引くにせよ、あだを討つ気にせよ、あんたが京にいる意味はもうないはずだ。それを知った上で、まだこっちに残るのは何故なぜだといてる」


「…」琴は言葉に詰まった。

土方は人差し指で琴のあごの先をクイと持ち上げ、顔を寄せた。

「別に答えなくていいが、詰まるところ、あんたは山南のそばに残る大義名分たいぎめいぶんが欲しいのさ。俺が山南に話をつけてやるよ」

琴は間近に迫る土方の顔から眼をらし、苦笑した。

「清河と同じことを言うのね。どういう魂胆こんたん?」

「感謝はしなくていい。俺の得にもなる話だ。あの時のお返しに、今度は俺が嫌われ役を買ってやるよ」



同じ頃、

山南敬介は輪違屋わちがいやに乗り込んでいた。

せまい島原のこと、角屋すみやからは、ほんの二町にちょう(118m)足らずである。


山南は玄関の格子戸こうしどを叩き、驚いて出てきた下男げなんに寝ている主人を起こさせた。

ずいぶん長い間そこで待たされたものの、きちんと羽織に着替えて出てきた輪違屋わちがいや主人善助は、普段通り穏やかに応対した。

「おこしやす。取り次いだ下男げなんの聞き違いやおへんのどしたら、浪士組の山南副長様どすな。そやけど、はて、わたしにはその名に聞き覚えがおへん」

「ああ。ここには初めて来る」

山南はぶっきらぼうに答えた。

「そしたら、その山南様が、こんな時間になんの御用どすか」

「主人、身請みうけにはいくら必要だ」

唐突とうとつな質問に、善助はわずかに眉をひそめた。

「なんどす?」

「いいから教えたまえ」

善助は目を伏せて、山南の切羽詰せっぱつまった表情から視線を外し、小さく微笑ほほえんだ。

「で?誰を身請みうけしたいんどす」


山南はめずらしく狼狽した。

「え…あ、いや、ここに居るお琴…いや、天神の明里だ」

「ははあ。山南様は天神の馴染なじみという訳どすな。…それとも、恋人(ええひと)と言い換えた方がよろしおすか」

「なんでもいい。いくらだ」

輪違屋わちがいやは可笑しそうに笑った。

身請みうけ…身請みうけねえ」

「何がおかしい」

山南がさらにけわしい表情で迫る。


「ほんまなら、タダでも引き取って欲しいとこどすけど、いや…まあ、あれだけ極上ごくじょうたまや。身代金みのしろきんの相場なら500両ゆうとこどすかいなあ」

本来、身代金みのしろきんとは、文字通り遊女を身請みうけするときの代金である。

「ご…」

山南は絶句した。

しかし、輪違屋わちがいやの立場から見れば、見知らぬ女が押しかけ同然で天神に納まり、

数日後には、みすぼらしい浪人が明け方に怒鳴どなり込んできて、その女を返せと騒ぎ立てるなど、これではまるで美人局つつもたせのやり口で、迷惑もいいところである。

少々おどしをかけてやるくらいのことは許されてしかるべきだろう。

寛政かんせいの頃、お上から芸妓げいぎ身代金みのしろきんは500両にとどめるよう妓楼ぎろう御触おふれがおしてなあ。けど、もっと昔、吉原の花魁瀬川おいらんせがわは千五百両の値がついたと言いますさかい、容色ようしょくだけならあのにはそれくらいの値打ちはおすやろ」

「無茶な」

青白い顔で歯がみする山南を、善助は玄関から見下ろした。

「ええ、問われたから答えたまで。失礼ながら一介のご浪人に払える金やおへんなあ。…よろしおす、二十両で手を打ちましょう。まあ、うちとこも着物やかんざしやゆうて、衣装代にはそれなりのお金は掛けてますさかい」

山南は当惑とうわくした。

「どういうことだ?いや、それでも私には大金だが…何故だ?」

「私の口からわけは申せまへんな。山南様がほんまにあののええ人なら、直接お聴きやす」

山南としてはもう善助の条件を飲むほかなかった。

「わかった…主人、その言葉にうそはないな」

「ええ。二十両、耳をそろえてくれはったら証文しょうもんを差し上げましょう」

「なんとかしよう」

とは言ったものの、今のところ何の当てもないが正直なところだ。

「そない難しい顔せんでもよろしおすやろ。あのは、この数日で五十両からのお金をかせぎ出したんやさかい」

「え?」

山南は耳を疑った。


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