明里 其之参
「新見さんは突然いなくなっちゃうし、どうも浪士組の人の出入りは解せないよなあ」
ブツブツ言いながら離れに戻るため玄関に引き返してきた沖田は、そこで台所からやってきた祐と鉢合わせた。
そういえば、帰って来てから、まだろくに言葉を交わしていない。
「あ!あの…」
二人は同時に何か言いかけて、同じように口をつぐんだ。
「沖田はんから」
「お祐ちゃんから」
また同じタイミングで譲り合ったあと、祐が少し微笑んだ。
「ほんなら、その、忠兵衛さんとは会えたん?」
「え?」
「ほら!船宿の御主人!京屋忠兵衛」
「ああ!会った会った!お龍さんは去年、ホントに京屋に来てたんだ。女衒と対決して妹さんを無事取り返せたってさ」
「へえ、そんなことホンマにあるんやなあ。これでやっとモヤモヤが晴れたわ」
「八木さんにも教えてやってよ」
「いやや。あの人はずっとモヤモヤしとったらええねん。で?沖田はんの用事は?」
沖田は口を半開きのまま一拍おいた。
「…あ、わたし?え、いや、その後、お琴さん此処に来たかなと思って」
「お琴さんて、あの、山南さんの?なんで?」
祐は目を眇めて少し首をかしげた。
「あのひと、まだクロのこと預けっぱなしじゃないの?」
八木家では中沢琴が拾ってきた子猫を1ヶ月近く預かっていた。
祐はハタと気づいた風に胸の正面で掌を合わせた。
「ああ!なんかもう、ウチの子みたいになっとるから忘れてた。そう言えば、まだ引き取りに来いへんなあ」
「あの人、忘れてないだろうな」
沖田は心配そうに空をにらみ、そして祐に視線を戻した。
「あのさ、バタバタしててお土産買いそびれたんだよ、申し訳ない」
「ま、無事に帰ってきたしええわ。常安橋の騒動は、あのちょっとええ感じのオジサマに聞いたで」
祐は笑って言った。
「ああ、安藤さんね。さっき会ったよ」
「うん…」
また会話は途切れてしまった。
「…20日も会ってへんのに大した話題もないなあ」
「そうだなあ。五月十日も過ぎたけど、まだなんの実感も湧かないし…」
すると、祐が手をパンと叩いた。
「あ、そうそう!ご飯!離れに用意できてるで」
「ああ。そういえば腹減ったな」
沖田は離れの方に足を向けた。
「そや、沖田はん」
「え?」
沖田が振り向くと、祐はにっこり微笑んだ。
「おかえり」
沖田も、何かホッとした様子で笑顔を見せた。
「ただいま」
薄曇りの夜空には、十日夜の月が淡く光を放っていた。
その頃、局長近藤勇らは、島原傾城町の大門をくぐっていた。
一番後ろを歩く永倉新八が腕組みをして島田魁に肩を寄せた。
「ひひひ、土方さん馴染みの揚屋に行くらしいぜ?けど、なんでこの顔ぶれなんだ?」
近藤に同道しているのは、副長の山南啓介と土方歳三、副長助勤井上源三郎と永倉新八、斎藤一、そして諸士調役兼監察の島田魁である。
「だいたい予想はつくが、いずれにせよ屯所ではできない相談でもあるんだろ」
島田の言う通り、わざわざ島原に寄り道したのは、芹沢たち水戸派に話を聞かれるのを避けるためだった。
目抜き通りの花屋町通りを突っ切り、揚屋町の路地を入ったところに、「角屋」はあった。
路地に面した豪奢な門をくぐると、美しい赤壁に囲まれた玄関まで石畳が続く。
「おいおい、土方さんよお、マジでこんな店で遊んでんのかい?」
贅を尽くした建物(現在では重要文化財に指定されている)に圧倒された永倉が土方歳三の肩を突いた。
「バカヤロ、俺だってこんな店にはそうそう来れねえよ。今日のは源さんの兄貴の金だ」
「主人、すまんが、今日は食事と酒だけ頼む」
近藤は玄関に生けてある菖蒲にチラリと目をくれただけで大股に廊下を進んでゆく。
出迎えた主人の徳右衛門はしばらくキョトンとして、ようやく意味が飲み込めたらしく、近藤の後を追った。
「ほ、ほんなら、お酌は飯盛りの下女に?」
「ななな、なにを言い出すんだ旦那!」
永倉が慌てふためいて近藤にすがった。
土方は、近藤に並んで肩を小突いた。
「バカ、揚屋に登楼してそういう訳にもいかねえだろ。別に芸妓に聞かれて困る話でもねえし、これは無事大坂のお勤めを終えた打ち上げも兼ねてんだからな」
近藤は少し考えて小さくため息をつく。
「…わかったよ。だが、お堅いことは言いたくねえが玉代もバカにならねえんだ」
土方は小言を最後まで聞かず、すでに顔見知りらしい主人の肩を抱いて引き寄せた。
「じゃ主人、輪違屋の太夫……は目立つから天神に逢状を」
と、近藤の視線を気にして、少しだけ譲歩してみせる。
徳右衛門は浪士組から声の掛かる芸妓の名を把握していた。
「一之天神と糸里天神をお呼びしましょうか」
「おっと、糸里ってのはダメだ」
土方がピシリと言った。
糸里は、水戸派の平間重助馴染みの芸妓だった。
「できれば、うちの幹部連中と面識のないのを頼む」
主人はピンと来たように手を打った。
「ほんなら、輪違屋に無愛想やけど、えらい別嬪の天神がいたはります」
座敷に腰を据えるなり、土方歳三が口を開いた。
「さてと、色気のねえ話は女が来る前にさっさと終わらせようぜ。斎藤の話じゃ、俺たちの留守中、京屋に例の仏生寺が訪ねて来たらしい」
永倉が大きなため息をつく。
「ハア…ホント色気のねえ話だな。お目当ては芹沢か?」
井上源三郎が座りながら尋ねた。
「それが、そんなに問題なのかい?」
「俺もこいつにそう言ったんだが…」
近藤が土方を顎で指した。
「大アリだ。奴は神道無念流を介して長州に通じているし、水戸藩士を兄に持つ芹沢とも親しい。奴が加われば隊内の勢力図が大きく変わり、浪士組そのものが攘夷、いや、勤王に大きく舵を切ることにもなりかねん」
土方は近藤らの甘い認識を打ち消した。
「大げさだ」
近藤が鼻で笑った。
給仕の女中が入ってきて膳を並べるのを横目に、山南敬介が口を開いた。
「いえ。私もそう思う。これは仏生寺弥助という一人の浪士の問題じゃない。知っての通り、水戸家は光圀公の時代より勤王の志も厚く、一方の毛利(長州)は古来より大名家で唯一武家伝奏(朝廷と武家の取次)を通さず朝廷と接触できる特権を持っている。つまり、この二つは親藩と外様であるにも関わらず相性がいい。土方さんの話がただの杞憂とは思えません」
「だが、その仏生寺自身も侮ったもんじゃねえぞ」
永倉新八が珍しく神妙な面持ちで口を挟んだ。
そこに、島田魁が、仏生寺について調べ上げた身上を付け加える。
「確かに。以前、芹沢局長が言ったとおり、剣の腕に関しては、超がつく一級品です。 仏生寺弥助の強さを物語る逸話にはこと欠きません。笠間藩の竜虎といわれた小松恒三郎を軽くひねり、あの桂小五郎を子供扱いにしたという宇野金太郎ですら、奴には完膚なきまでに叩きのめされている。道場剣法とは言え、ちょっと信じられないくらいの戦歴です」
自身も一流の武芸者である近藤の表情が険しくなった。
「相手は名だたる剣豪ばかりか。それが本当なら…」
「多分、すべて本当です」
斎藤一が、筍とフキの煮物を箸でつまみながら、はじめて口を開いた。
直接手を合わせた彼には、それが噂に尾ひれのついた与太話の類でないことがはっきり分かっていた。
「お前の突きとヤツの上段、どっちが速い?」
永倉が煽るように意地の悪い質問をしたが、斎藤は取り合わなかった。
「焚きつけても無駄だぞ」
しかし、その目には暗い炎が揺らめいている。




