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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
252/404

Don Quijote Pt.4

その頃、


中沢琴と安藤早太郎は、京街道を北上して守口宿に差し掛かろうとしていた。

この辺りは、文禄時代に秀吉が築いた堤防の上を街道が走っており、美しい田園風景が見渡せる。

「平和なもんだねえ」

そこには黒船が来るまえと何も変わらない日常があった。

水田の雑草をとる農夫たち。

家々から立ち上る、飯をかしぐ煙。

安藤は歩きながら、愛おしそうにそれを眺めている。

「だがこの調子じゃ下手すると枚方辺りで宿をとらにゃならんな」

琴は安藤の横顔をじっと見つめた。

「なんだよ?ここ数年、精進しょうじん料理しか食べてないから、変な気は起こさないってば」

「…いえ。あなたみたいな人がなぜ浪士組なんかに入るのかと思って」

安藤は目を閉じて微笑み、肩をすくめた。

「変かい?見ての通り、仏門ぶつもんに入ってたんだが、ほとほと嫌気イヤケが差してね。歳を食うと、知りたくもないような事を知っちまったり、見たくもないものが見えちまったりするもんさ。坊主どもは、自分の立場もはっきりさせないで、ご公儀(幕府)や攘夷派のやることにいちいち文句をつけるばかり。この数年、寺で学んで分かった事と言やあ、本願寺が東と西に分かれて200年もケンカしてんのに、挙国一致きょこくいっちだとか公武一和こうぶいちわなんてお伽噺とぎばなしを信じろなんて、どだい無理な相談ってことくらいだな」

その言葉は琴の胸をチクリと刺した。

弟良之助と清河八郎、山南敬介と桂小五郎、どっちつかずの個人的な動機で、この国の行く末に関わる重大事に干渉することへの罪悪感が頭をもたげる。

「でも、私にはこの争いが早く終わるのを祈ることしかできない」

「そんなことないだろ。あんた強いじゃない」

達人は達人を知るという。

安藤には琴と仏生寺の強さが、どれほどの研鑽けんさんに裏打ちされたものかが分かっていた。

「刀を振り回すのが上手いからって、それが何になるっていうの?ましてや私は女です」

琴は自嘲的じちょうてきに笑った。

「知ってるかい?人は死んだ後も戒名かいみょうってやつで位付くらいづけされるんだ。仏さんは衆生しゅじょうを均しく救ったりはしないのさ。だから、神様や仏様に手を合わしてるヒマがあったら、自分で何とかしなきゃな。そしたら、ほんの少しでも何かが変わる。それが良いことか悪いことかなんてのは、死んだ後で誰かが決めることだ」

「…ええ。そうかもしれない」

琴は、もう少し京でもがいてみようと思い直して、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

「今は友人として最後の務めを果たすだけ」


だが、そうするには、もっと切迫せっぱくした問題が目の前に横たわっている。

長期戦を覚悟した琴は、小寅の好意に甘えて、島原の揚屋「角屋すみや」を訪ねてみようと決めた。



夜の四つ(21:00)。

ふたたび船宿、京屋忠兵衛宅。

常安橋の会所に詰めていた隊士たちも、すでに戻っている。


食事も終わり、隊士たちが部屋でダラダラ過ごしているところへ、

ほろ酔いの芹沢鴨が鼈甲べっこうくしを手にフラリと帰ってきた。


「早いお帰りだな」

じっとりと見つめる平間重助に対して、芹沢はうるさそうに手を払う仕草しぐさで応えると、ふすまを取っ払った大部屋に散らばる隊士たちの中から、沖田総司を目ざとく見つけ出した。

「沖田あ!結局、俺が会所の前のうんこ踏んじまったぞ!どうしてくれんだテメエ!」

土方歳三と碁を打っていた沖田は胡坐あぐらをかいたまま振り返った。

「知りませんよ、そんなの!…ん?それなんです?」

芹沢は手にしたくしをもてあそびながらニヤリと笑う。

「あ、これか?お梅にちょっとな」

沖田は急に何か思い出したように土方の顔を見た。

「あーっ!そういえば、結局何にもお土産みやげ買ってないや」


平間がイライラした様子で芹沢の肩を後ろからつかんだ。

「仏生寺さん来てたが、待ちきれなくて帰ったぞ」

芹沢は、肩越しに視線を流した。

大坂ここに?…なんか言ってたか」

「下関に行くとさ」

同じく水戸派の副長助勤、平山五郎が歩み寄ってきて芹沢の耳元に顔を寄せる。

「家里の件、アテが外れましたな。アレは梁川星巌やながわせいがんの弟子で勤王きんのうを叫ぶ連中とも近い。弟が我らにばらを切らされたと知られれば、後々面倒なことになりますよ」


思想家にして詩人、梁川星巌やながわせいがんはすでに故人だったが、安政の大獄で刑死した吉田松陰や橋本左内とも交流があり、りし日は尊王攘夷派そんのうじょういはの大物と見做みなされていた。

脱走した家里次郎の兄はその門下であり、京で攘夷じょうい運動に関わっていることを知った芹沢達は、仏生寺を使って謀殺ぼうさつを企てていた。


「わぁってんだよ、んなこたあ!」

芹沢は途端とたんに不機嫌になって、平山を突き飛ばした。

ガヤガヤとしていた部屋の中が一瞬静まり返った。


「…家里新太郎の件なら、俺が手を打っといたぜ」

碁を打っていた土方がボソリと言った。

「なんだと?」

芹沢と平山が同時に土方を振り返った。

「身分をいつわり、新町で飲んでた長州の青二才どもと仲良くなってな。ちょいとつついといた。放っときゃ奴らが勝手に始末してくれるさ」

「どういう意味だ?」

平山が土方のえりをつかんで問いただす。

「離せよ」

土方は汚いものにでも触れるようにその手を振り払い、

「ほら、お前の番だぜ」

と沖田にあごをしゃくった。


芹沢鴨は黙って次の言葉を待った。

土方は沖田の手を吟味ぎんみするようにほおさすりながら、芹沢達だけに聞こえる声で先を続けた。

「奴らにチクったのさ。家里新太郎が、弟の次郎つぐおを通じて幕府方こっち情報ネタ漏洩もらしてたってな」

「そりゃ本当ほんとか?」

平間が疑わし気に目をすがめる。

「それが重要か?お白州しらすで裁くわけじゃねえんだ。別に証拠なんか必要ないさ。要は長州の奴らが裏切りを信じれば、実際がどうあれ、それが事実ってことだろ」


土方は碁盤ごばんを見つめながら薄く笑った。

「先を読めなきゃ俺には勝てねえぞ、総司」



浪士組の大坂滞在は月をまたいだ。

運命の五月十日は近い。


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