カッパ島の決斗 余談
以下は、余談である。
副長土方歳三は合格者を一列に並ばせると、卒業証書のように一人ひとり小さな紙包みを手渡していった。
「なんやこれ?」
松原忠司が、怪訝な顔で手のひらの上を見ると、包みには「石田散薬」と木版刷りされている。
沖田が、それを指さして説明を加えた。
「それ、必ず渡されるんですよ、土方さんの実家で作ってる薬。まだ残ってたのか」
「ハハア、土方副長のご実家は薬屋さんなんですねえ」
河合は妙なところに関心を覚えている。
土方は、あらたまった様子で彼らを見渡した。
「いいか?これは土方家当主のみに製法の伝わる霊験あらたかな妙薬でな…ちょっと、お前ら近くに来い」
「はあ?」
一様に怪訝な面持ちをした合格者の小さな輪ができると、土方は声を落とした。
「これは秘密だが、土方家には、代々こういう話が伝わってる。今から百年以上前、あの富士山が、火を噴いた頃のことだ」
「ということは、つまり宝永年間ですな?」
河合には、そういう細かい部分が気になるようだ。
「そうだっけ?まあ、だいたい、その頃の話だと思え」
同じ商人上がりでも、土方歳三には、どうでもいいことらしい。
「日野の、多摩川と浅川が合流する陸の舳先に、深い淵があってな。そう、ちょうど此処みたいな地形だ。そこには、河童が棲みついてるって噂があった。
ある夕暮れ時のことだ。俺のご先祖にあたる土方隼人てえ男が、その日の行商を終え、家路を急いでいた。帰り道には、件の淵の近くを通らねばならん。だが、淵の前に架かる橋を渡る頃には、もうすっかり陽も落ちていた」
「ほうほう」
なにやら、面白くなりそうだ。
その熱弁に引き込まれた松原と河合は、いつしか身を乗り出していた。
話術に長けた土方は、二人が前のめりになったのを見計らって、声を張り上げた。
「その時!」
「う、うわあ!」
仰け反る二人。
「ザバーッ!!水しぶきを上げて、川面からバケモノが姿を現し、隼人の脚をつかんで淵の底に引きずり込もうとしやがった!」
大抵の人間は、このあたりで胡散臭げに目を細めるものだが、まだ、松原と河合は食いついている。
「か、か、河童や!」
「河童ですね!」
「ああ。だが、隼人は慌てず騒がず、スラリと刀を抜くと、勇敢にも、そいつの腕をバッサリ斬って落とした!」
「ゲッ!!」
「橋の上は血の海、河童は、奇声を発しながら、水底へ姿を消した。…隼人は、なんと一撃で、バケモノを追っ払ったのだ」
「なな、なんたる猛者!」
「で、隼人は、河童の腕を手土産に、石田村へ持ち帰った」
松原が、興味を押さえきれずに尋ねた。
「やっぱり、水掻きとかあったんけ?」
「知らん!」
土方は、言い切った。
「というのも、その夜、隼人の夢枕に河童明神が立ってな。肩から血をダラダラと滴らせながら、隼人に、『腕を返してくれ』と懇願したんだ」
「ほ…ほんで、ほんで?」
「隼人は、無造作に枕元に置いてあった緑色の腕をつかむと、ヌッと差し出し、啖呵を切った。『おうおう、このカッパ野郎。俺さまの尻子玉を抜こうとしやがったくせに、腕一本、タダで返せってか?ずいぶんと厚かましい物言いじゃねえか』」
「ひ、ひいぃぃ!河童に、そんな口を利いて、大丈夫なんでしょうか?」
「当然よ!腕を持っているご先祖の方が、立場は上だ。河童は、カッパ語で謝りたおし、自らの腕と引き換えに、冥界に伝わる万能薬の調合を隼人に授けた。で、その秘法で作られたのが、この石田散薬というわけだ」
「…ご、ごご、ご先祖様は、カッパ語も解したですか?」
河合の当然の疑問を、土方は黙殺した。
「な?カッパつながりで、縁起もいいってもんだろうが?」
「なな、なんと面妖な謂れをもつ霊薬でしょう!して、効能は?」
「家伝では、骨つぎ、打ち身に効くとされているが、ぶっちゃけ、なんにでも効く!」
「えっ?ええっ!!」
二人は驚愕したが、
元来、医者や薬というものが苦手な松原は、恐々薬包をつまみあげて、遠慮を申し出た。
「い、いやあ、ワシは幸い、病気や怪我とは無縁の身体やから、ちょっとこれは…」
謂われを聞けば、なおのこと気味が悪い。
「いいから!持っとけってば!とにかく、効くんだから!これはなあ、酒と一緒に飲むんだ。いざという時のために、あっても困らないだろ!な?」
土方の口調は、行商をやっていたころの強引なそれに変わっている。
「それじゃ、まあ…」
押し切られた二人は、渋々薬を受け取った。
多摩出身組は、少し離れたところで声を潜めて囁きあった。
「…い、いつ聞いても、眉唾な売り口上ですよねえ…」
沖田総司が、近藤勇に耳打ちした。
「てぇか、どこまで本気で喋ってるのか、さっぱり分からん」
井上源三郎も、同意するようにうなずいた。
「あたしにゃ、あれ聞いて試してみようかって奴の気が知れないがねえ」
土方歳三は、一仕事終えたような顔で戻ってくると、
沖田の掌にも、残った薬包をそっと握らせた。
「ほら、お前にもやろう。もっとけ!」
「え」
「遠慮すんな。今日はおまえ、よく頑張ったから、その褒美だと思え」
土方は、沖田の渋い顔を気にもかけず、
その手を包み込むようにして、ポンポンと叩いた。




