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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
247/404

カッパ島の決斗 其之漆

さて、この騒動のさなか、谷三十郎は、いつの間にかちゃっかり乱闘から抜け出し、気がつけば土手の上から近藤に手を振っていた。

「局長殿!ソレガシの加盟かめいをお望みとあらば、この谷三十郎、あるじゆるしをうて、弟二人を引き連れ、京まで追いかけましょう!しからば!」


沖田は、竹刀でかろやかに侠客きょうかくの群れをさばきながら、去っていく三十郎を目で追った。

「あのひと、逃げちゃいましたけど…」

喧嘩ケンカに没頭する原田は、振り向きもせずに答える。

「いつものことだよ!ほとぼりが冷めたら、絶対また舞い戻って来るぜ!」


土方歳三が、三十郎の背中を指して、意地悪く山南にたずねた。

「じゃあ、あいつの使い道を教えてくれよ?」


先ほどまで気配を消していた河合耆三郎が、いつのまにか土方と山南の後ろからボソリと口を挟んだ。

子曰(しい)わく、巧言令色(こうげんれいしょく)(すく)なし(じん)と」

口の上手うまいヤツにロクなのはいないという「論語ろんご」の一節である。

山南は、河合の腰をポンと叩いて笑った。

「河合くん、なかなか辛辣しんらつな評価だが。人皆ひとみな、有用の用を知るも、無用の用を知るきなり、とも言いますからね」

「ナ、ナハッ!荘子そうしですね!恐れ入りました」


飾り立てた言葉などに惑わされない土方は、二人のやりとりを一笑にした。

「は!バカバカしい。無用むようの用ってな、奴の縁故えんこのことを言ってるのか?」

山南は笑って答えなかったが、老中ろうじゅう板倉勝静いたくらかつきよとのコネを付けることは、マイナスにはならないだろう。


兄よりいくらか世事せじに通じた菊の方は、コネすら持たない兄の挽回ばんかいを計るのに必死だった。

「土方様、山南様!けれど兄は、商家の跡取あととりですから、算術の方で何かお役に立てるのではないかと存じますが…!」


井上源三郎がまた割って入り、土方の肩を強く抱きよせた。

「そいつぁ助かるねえ?いやね、浪士組ってのは、ほら、腕っぷしの強い奴には事欠ことかかないが、数字なんてものにゃ、みなてんでうとくてさあ。そりゃ、算盤勘定そろばんかんじょうけた人がいてくれりゃあ、天恵てんけいですよ!ねえ?のどから手が出るほど欲しいよなあ?」

河合耆三郎も、上目遣うわめづかいに頭を下げて、自分を売り込んだ。

「播州は算盤そろばんが名産ですから、幼少のみぎりより慣れ親しんでおります」



浪士、侠客、町人入り乱れての大喧嘩おおげんかは、何時(いつ)果てるとも知れない。



そこへ、大親分おおおやぶん明石屋万吉が、悠々(ゆうゆう)と遅れて姿を現した。


「あらあら、えらい騒ぎやがな。慎助!三郎治!庄助!あかんて!この人らは、小鉄さんのお仲間や!」

土手の上から、手にした扇子せんすを軽く振って、渋い顔を作る。


それだけで、ヤクザたちは嘘のようにシンと静まり返った。


「あら?」

心底しんそこ喧嘩を(ケンカ)楽しんでいた原田と松原は、突然の中断に顔を見合わせた。


松原が、土手の上の万吉に気づいて指さす。

「あー!オマエ!万吉やないか!」

「おや、松原はん。なんでまた、こないなとこに…?まあ喧嘩両成敗けんかりょうせいばいちゅうことで。今日のところは、この辺で堪忍かんにんしたってや。奉行所ぶぎょうしょが乗り込んでくる前に、手打ちにしまひょ」


近藤勇が、明石屋万吉に歩み寄った。

「あなたは?」


万吉は、風体ふうていこそ見るからに渡世人とせいにんだったが、細面ほそおもてで、押し出しが効くタイプとは言えない。

手前てまえは、小野藩から大坂の見廻りを任せられとります明石屋万吉ちゅう渡世人とせいにんだす」


これが、蔵之介の言う大親分「キタ赤万あかまん」か、と近藤はしげしげ値踏ねぶみした。


「ケンカを収めて頂き、かたじけない。私は壬生浪士組の…」

「近藤局長さんでっしゃろ?お名前は存じあげとります」

二人はつまり、それぞれ大坂と京都の治安部隊を率いるおさという訳だ。


近藤は、深々と頭を下げた。

「これは、ご挨拶あいさつが遅れました。徳川宗家とくがわそうけのため、互いに力を尽くしましょう」

だが、万吉の方は、その申し出をすんなりとは受け入れなかった。

「あいにくやが近藤はん、わしは将軍様と言えど、(へつら)うつもりはないで。ワシはワシの正義を通させてもらう。それが、この仕事をお受けした条件や」

気持ちのいい返事に、近藤は大きな口から歯をのぞかせた。

「お言葉、感じ入りました。ですが、私も闇雲やみくも御交誼ごこうぎに従うつもりはござらん。言うべきことは言い、通すべき筋を通すのが、誠の忠節ちゅうせつと心得ます」

万吉は大笑たいしょうした。

「ヒャッヒャ、気に入ったで近藤はん!お気張きばりやす」



河原には、気絶した者や怪我で動けなくなった者が、累々(るいるい)と横たわっている。

樽廻船たるかいせんが尾を引く波の音に紛れて、あちこちからうめき声が聴こえていた。


「いま、立ってる人が、合格って事でいいんじゃないスかねえ」

藤堂平助が、無責任な審判を提案した。

だが、何より実戦を重視する土方は、案外あっさりとそれを認めた。

「…だな。合格だ」


最後に立っていたのは、浪士組のメンバーを除けば、

松原忠治と、その子分、柳田三次郎と菅野六郎、林信太郎、

そして河合耆三郎である。


あえて付け加えるなら、谷三十郎もそうだろうか…。



明石屋万吉が、子分たちに大声で指示した。

「よっしゃ、引きげじゃ。動けるもんは、そこらで伸びとるボンクラをかつがんかい!」


今にも万吉に飛びかからん勢いの松原忠司を、三次と六郎が二人がかりで羽交はがめにしている。


万吉は、去り際にふと振り返った。

「せや、近藤はん」

「え?」

「西町奉行の内山ゆう与力よりきが、あんたらに目えつけとるちゅう話でっせ?」

近藤が、まゆを寄せる。

「内山…しかし、そのような方には、会ったこともありませんが」


「ワシもどういう経緯いきさつで、そないなことになったかは知らんが、人のげ足取るのが生甲斐いきがいみたいな男や。不逞浪士ふていろうし退治もええが、足元すくわれんように気をつけなはれ。ほな、失礼しまっせ」


再び訪れた静寂のなか、カラスの鳴き声が聞こえる。

今まさに、陽も暮れなんとしていた。


※えらいこっちゃ侍の出典は司馬遼太郎先生「侠客万助珍談」です。

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