多士済々 其之肆
さて、
近藤と土方がケンカを始めるのを、取り残された谷三十郎と耆三郎が青ざめた顔で眺めていた。
もっとも、血の気が引く理由はそれぞれ違っていたが。
「つ、ついに仲間割れを始めましたよ」
「ヌゥ、彼奴が土方歳三か!」
「…オ、オソロシヤ」
三十郎は、なぜか土方に敵愾心を燃やし、
耆三郎の方は、予想以上にガサツな浪士組の気風に気後れしている。
「ひとまず、通りの向こうで成り行きを見ましょう」
三十郎は、耆三郎の手を引いて会所を離れ、野次馬たちの中に紛れた。
「まあまあ、局長も副長も……あ。」
ケンカを止めようとした島田魁が、会所の入口の方を見て、小さな声をあげた。
「お客のようですよ」
一同が振り返れば、不審な虚無僧が、玄関の中を覗き込んでいる。
しきりと辺りを気にしていて、見るからに挙動が怪しい。
「あのー、応募者の方?」
沖田が近づいて行って訊ねると、虚無僧は天蓋笠を少し持ち上げた。
現れたのは、五厘頭のニヤけた中年男の顔だ。
男は中を指して、無言のまま”入っても?”と眼で問いかけてきた。
「いらっしゃいましー!」
近藤のお説教から逃れたい原田左之助が、一目散に駆け寄っていくと、
五厘男は、さも迷惑そうな顔で人差し指を口の前に立てた。
「シッ」
男は先に立って玄関をくぐると、原田の腕をつかんで引っ張り込んだ。
「…実は、追われててね」
ワケアリな様子で、外を気にしながら声を潜める。
原田が、釣られて引き戸の陰から外を覗くと、人相の悪い一団が、肥後橋の方からやってくる。
会所の外では、藤堂平助がうれしそうな声をあげた。
「おいおい!侠客の団体みたいのが、血相変えて来るぞお!」
もちろん、揉め事が大好きな原田左之助は、理由も聞かずにこの話に飛びついた。
「ほほう、なにやらお困りのご様子で。俺が、いっちょ追っ払ってやりましょうかい?」
すかさず、近藤が原田の頭を叩いた。
「ややこしくなるから、お前はこれ以上首を突っ込まなくていい!」
沖田がイソイソと帳場に座り直し、男に墨を付けた筆を突きつけた。
「で?入るの?入らないの?」
「いや、だから入りますよ、入りゃいいんでしょ!なに?ここに名前書けばいいの?」
「入りゃいいんでしょって、おじさんねぇ…何があったか知らないけど、うちは駆け込み寺じゃないんですけど!」
「寺だって?とんでもない!たった今その寺から逃げ出してきたとこなのに」
男は怖気だったように身震いして見せた。
そうこうするうちに、侠客の一団は、と言っても2、3人だが、安治川方面へ駆け抜けていった。
入隊志願者、耆三郎は、通りを挟んだ場所に立ち尽くしたまま、その悪魔の軍勢を見送り、さらにたじろいだ。
「な、なんて入るきっかけの難しい処なんだろう」
ところが谷三十郎は、まるで反対の方角を眺めている。
「ときに妹君が、まだ帰ってこないが」
「アレは脚が早いので、大丈夫ですよ」
「それは頼もしい。ではまだ我慢です。出ていくべきではありませんよ」
会所では、島田魁が虚無僧の書いた名前を見て、小首を傾げていた。
「…挙母藩安藤早太郎?んー、聴いたことあるような…」
藤堂が軽くうなずく。
「ですよね?オレもどっかで…失礼ですが、どちらのお寺から?」
安藤は、親指で背中の方を指して、顔をしかめて見せた。
「一心寺、ほら、知恩院の」
近藤が、胡散臭げに顎を掻いた。
「いや、存じ上げないが、何か事情があるなら前もって仔細を聞いておかなくては。隊に厄介ごとを持ち込まれても困る」
「そんな大層な話じゃないんだよ。ただ、わたしゃ抹香臭い生活が性に合わなかったから、寺を抜けただけでね」
「しかし、あのヤクザどもの様子は、ただ事とは思えなかったが」
「いやまあ、有態に言うとですよ。凡欲が捨てがたかったというか、人肌が忘れ難かったというかね」
「…私は戒律には詳しくないが、要するに女犯を犯した(女性と関係をもつこと)わけですね」
山南が呆れ顔で意訳した。
「キミたちねえ、そうあからさまに。世間じゃみんなやってることじゃないか」
「しかし、世俗を捨てたあなた方には、禁忌でしょう。世が世なら、遠島の罪だ」
原田が、また安藤早太郎の顔に鼻づらを突きつけた。
「おーお、まさかヤクザの女房に手ぇ出しちゃったの?やるねえ」
たしかによく見ると、安藤は、なかなかダンディな伊達男である。
「島原の太夫と、しっぽり一夜を過ごしただけだよ」
土方が、耳の後ろを逆手で掻きながら、鼻を鳴らす。
「ふん…さっきのありゃ、ヤクザじゃねえよ。腰のもんを見たか?長ドスじゃなくて、二本差しだったろ?」
安藤はニヤリとして、土方の前でパチンと指を鳴らした。
「おっとこちら、なかなか鋭うございますな?連中、あのご面相で、歴とした小野藩の足軽だってんだから、まったく笑っちゃうだろ?」
「んじゃ、あのゴロツキみたいのが、サムライだってのか?世も末だねえ」
原田が、わざとらしく嘆いて見せ、
「あんた、寺の通報で、京から手配の触書きでも出されてんじゃねえのか。まったく、身から出た錆だぜ」
土方が説教めいた台詞を吐くと、
近藤が、二人を冷ややかな目で睨んだ。
「お前らが言っても、なんの説得力もないがな…」
破戒僧は、ゲンナリして肩を落とした。
「そりゃまあ、そうなんだがね。いやもう参ったよ。八軒家で舟を降りた途端に、四方八方から追い回されてさあ。坊主が一人いなくなったくらいで、なんだってこんな…大袈裟な騒ぎになんのかなあ?」




