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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
上洛之章
23/404

メタファー

文久三年二月二十三日


浪士組一行は、逢坂の関所せきしょを越えて、いよいよ京の都がある山城国に入った。


晴れて宿割やどわりのお役目から開放された近藤勇は、土方歳三と肩を並べて歩いている。

土方は、昨夜の一件を近藤には話していない。

いなくなっていた隊士、すなわち中沢琴の話をすれば、なりゆき芹沢鴨と一触即発いっしょくそくはつの事態におちいったことにも触れなければならないからだろう。

ともかく、これで六番組のあたま数はそろったわけだし、結果的には芹沢たちとも何ごともなく済んだのだ。

あと半日も無事にやり過ごせば、この旅も終わる。

万事ばんじ順調といってよかった。

ただひとつ、隊列を勝手にはなれた原田左之助が、走井茶屋で餅を食っているところを、小頭こがしらの西恭助に連れ戻されたことを除けば。


「おまえは子供か!」

西恭助から監督不行かんとくふゆとどきを責められた土方が、原田にどなり散らしている。

しかし、原田はいっこうにわるびれる様子もない。

「ガミガミうるせえなあ。子供じゃないんだから、餅食ったらちゃんと戻るよ。いいだろ別に」

近藤を振り返った土方は、そのうでを手のこうたたいて、まくしたてた。

「な?な?聞いたか、いまの言い草。俺は江戸からずっとこんな奴らの面倒を見てきたんだ!」

重圧から開放された近藤は、悠揚迫ゆうようせまらぬ態度というやつで、にっこり微笑んでみせた。

「まあまあ。それよりトシ、山科だ」

「や…山科?山科がどうした」

「バカおまえ、忠臣蔵の大石内蔵助が、討ち入り前に潜伏せんぷくしたところじゃないか」

近藤は、有名な歴史の舞台をじかに見られたことを無邪気に喜んでいる。

土方は、故郷こきょうの多摩とそう変わらないありふれた田園でんえん風景を見わたして舌打ちすると、まえを歩いていた山南敬介に顔をよせて毒づいた。

「ガキどもが。付き合いきれねえ」

「…ああ。」

しかし山南敬介の返事は、まるでうわの空だった。

彼らの少し前方を歩いている中沢姉弟きょうだいに気をとられているようだ。



昨日の夜、本陣ほんじんのうらで別れた中沢琴のうしろ姿は、またどこかへ消えてしまうのではないかという不安を抱かせたが、その朝、彼女はなにくわぬ顔で集合場所に現れた。

かたわらには、仏頂面ぶっちょうづらの中沢良之介が立っている。

あの密会のあと、久々に対面した弟、良之助との間にどういうやりとりがあったのかは想像にかたくない。

ふたりは、大津を出てからというもの、ずっと小声でなにごとかヒソヒソと話し合っているが、おそらく良之助のほうが、姉に帰るよう説得しているのだろう。


山南敬介は二人の様子を見て、また本庄宿での光景を思い出した。

そうえいばあの時、たしかに中沢良之助が若い男と一緒にいるのを見ている。

小石川の伝通院にいた、中沢の弟子らしき男だ。

さして気にもとめなかったが、今にして思えばあれが中沢琴だったのだ。

その日は宿場で火事騒ぎがあって、彼もそれどころではなかったから、良之介と道場の話をするときまで、すっかり忘れていた。


宿場の人間が火を消すのに右往左往うおうさおうするなか、その日散会した寺院の門前をたまたま通りかかった山南は、そこに居残って言い争うふたりをみかけたのだ。

「…いまなら間に合う。高崎から三国街道へ出ればいい」

「わたしだけが帰っても、利根の道場はどうする」

「お国の大事なんだよ!いまここで生かさねば何のための剣技けんぎだ。誰のための利根法神流だ」

断片だんぺん的ながら、二人が留守中の道場の件でもめていることだけは分かった。

めずらしく声をあらげる良之助をみて、山南は少し驚いたが、火事の件で近藤勇と急ぎ話さねばならないことがあったので、そのまま通り過ぎてしまったのだ。



さて、浪士組一行は日ノ岡峠に差し掛かっていた。

街道は鬱蒼うっそうとした山林の間を通り、例の多田帯刀の首がさらされた粟田口へ抜ける。

春特有の強い風が、木々の枝をざわざわと鳴らしていた。


土方歳三は、山南の生返事なまへんじが気に入らない。

彼が中沢琴の背中ばかり見ているに気づくと、意地の悪い笑みを浮かべて皮肉った。

「なんだよ。心ここにあらずって感じだな。むかしの女に会って、京で命を張る決心がらいだか」

山南はその言葉で我に返ったように振りむき、土方の眼をじっとみた。

「そんなんじゃない」


土方は真面目な顔でその視線を受け止めると、声をひそめた。

近藤の浮かれっぷりを見るかぎり、その必要はなさそうだったが。


「なあ、あれから考えたんだが、あの女、清河に同行して本隊と別行動をとっていたなら、なぜ今さら戻ったんだ」

「関所を通るためだよ」

「え?」

山南の答えがあまりに早かったので、土方は戸惑とまどった。

「私もあのあと考えてみたんだ。

彼女は女にしては背も高いし、あの変装はなかなかどうってるが、目立つことに変わりない。街道を迂回うかいして国境くにざかいを越える危険をおかすより、浪士組の一員として堂々と関所を通るほうがずっと安全だし、効率もいいだろう」

「…たいした女狐めぎつねだぜ」

中沢琴の背にちらと眼をやり、土方は忌々(いまいま)しげに吐き捨てた。

「もっとも、清河なら手形てがた偽造ぎぞうくらいお手のものだろうが。時間がなかったのか、あるいはあえて危険をおかす必要もないと考えたのか。それはわからんがね」

土方は何か思案しあんするように、親指の爪をかんだ。

「じゃあ、碓氷うすい贄川にえがわ(関所)でも同じ手を使ったわけか。」

「たぶん。これまでも必要なときだけ、隊列に戻っていたんだ。」

「ちっ、俺としたことが。かっちゃんに言われるまで周りに気を配ることを忘れてたぜ」

「問題は、彼女がなぜ清河と一緒に行動しているのか…」

山南がまた自分の思索しさくふけりはじめたので、土方はからかうような調子で尋ねた。

「それは、あんたの個人的な理由による詮索せんさくじゃないのか」

山南は顔をしかめると、意地の悪い相棒を軽くにらんだ。



ついに市中に入った浪士組の先頭は、公武合体派の本拠地、青蓮院のわきを過ぎ、三条大橋にいたった。


後方を歩く六番組は、ここにきて急に隊列の動きがにぶって渋滞じゅうたいし始めたことを不審に思っていたが、三条大橋が見えるところまでくると、その理由が分かった。


橋に人だかりが出来ていて、彼らの進行をさまたげている。

人びとは、みな欄干らんかんにかじりつき、河原を指差して、なにごとかささやきあっていた。

その視線の先を追うと、河原にはさらに多くの人が押し合いへし合いしているのが見える。

騒ぎの中心には、いかにもきゅうごしらえの台座に、誰かの首が三つ、きれいに並べられていた。


「なんだありゃ」

原田左之助が、思わず大きな声を出した。

近藤たちも、隊列の歩調ほちょうにあわせてノロノロ進みながら、その様子を眺めていたが、やがて藤堂平助が、野次馬の一人から話を聞いて戻ってきた。


「なんでもアレ、足利の将軍の首らしいっスよ」

「しょ…足利ってお前…」

近藤がまゆをよせて聞き返すと、藤堂も戸惑いをかくせないように首を振った。

「いや、本物じゃなくて、木像の首だって…」

「木像だ?」

永倉新八も、真偽しんぎを確かめようと、口をへの字に曲げて、河原の首級しるしに目をらす。

「そんなものに人がむらがってるなんて、本当なら、なんだか笑っちゃうな」

沖田総司は、なにか珍妙ちんみょうな動物でもみるような目で、河原の野次馬たちを眺めた。

どうやらそれが本当らしいと分かると、永倉は、

「いったい、なんの冗談だよ?」

と藤堂に問いただした。

「いや、オレに言われても…足利将軍家ってのは、みかどを悩ました逆賊ぎゃくぞくだからだそうですよ。ほら、アレじゃないスか?南北朝時代の内乱のことを言ってるんでしょ」

「いまごろかよ!」

永倉、原田、沖田が声をそろえる。

けわしい表情で腕組みをしていた山南が、口を開いた。

「いやこれは、足利家の糾弾きゅうだんにかこつけた幕府へのおどしでしょう」

事実、木像の首のかたわらに立てられたふだには、

昨今さっこん、これらの奸臣かんしんにも増して、帝を悩ますやからが横行おうこうしている」

と、暗に徳川家を揶揄やゆする文字が踊っていた。

近藤は、山南の言葉を無言で聞いていたが、大きく息を吐くと、土方の胸板を小突こづいた。

和宮かずのみや様は江戸にとついで正解だぜ。ミヤビどころか、あれを見る限り、どうやらこちらの方がよほど物騒ぶっそうらしい」

土方は、いつもの皮肉な笑みでそれに応えた。

「何をいまさら。だから俺たちが来たんだろうが。腕が鳴るだろ?」

「ふん。まあな」

近藤は、不敵ふてきに笑った。


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