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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
226/404

崩れ落ちる塔のように 其之壱

大坂、北新地から北東14町(約1500m)ほど行った常安橋(じょうあんばし)のたもとに町会所がある。


脱走者、家里次郎(いえさとつぐお)は、芹沢一派によってまっすぐそこへ引っ立てられた。

新選組は、後にもこの場所を大阪見廻りの中継基地として度々(たびたび)使っている。


その、奥の間。

浪士組筆頭局長(ろうしぐみひっとうきょくちょう)芹沢鴨はめずらしく背筋をピンと伸ばして、上座かみについていた。

正面には後ろ手に(しば)られた家里が正座させられ、その両側に近藤勇以下浪士組の幹部たちがズラリと並んでいる。


「さて。家里次郎殿、何よりも優先すべき大樹公たいじゅこう警護の隊務を(おこた)り、更には長州に通じる殿内義雄らに加担(かたん)した裏切り行為により、貴下きかの処分は切腹が妥当だとうぞんずるが。もとより一方的な処断しょだんは当方の本意(ほんい)ではなし、申し開きがあれば聞こう」

芹沢は腕組みをして、もっともらしく口上を述べてはいるが、もちろんこの裁判にはなんら法的なり所はない。

だからこそ、被告ひこく人が主体しゅたい的に死を選ぶことを迫ったともいえる。

「い、イヤだ!!私は何も法にれるようなことはしていない!そうだろう?なんで私が腹を切らねばならないのだ。私が死ぬことに何の意味があるんだ」

芹沢のすぐ脇に座る局長近藤勇が目を閉じたまま重々しく口を開いた。

「確かに。そこまでやらせる必要はなかろう」

家里はすがるように近藤へすり寄った。

「た、頼むから!なんでもする!」

「よしなさい、家里さん。そんな台詞(せりふ)は聞きたくない」

近藤は、命乞(いのちご)いをする家里をまるで汚いものでも見るような眼で一瞥いちべつした。


芹沢鴨は、(ひざ)(くず)し、(あご)()でて少し考える振りをした。

「ふうん。なんでもねえ…」

平山五郎が立ち上がり、家里の(まげ)(つか)むと、酒臭(さけくさ)い口を寄せた。

に及んで見苦しい真似は止めろ、家里。芹沢局長や近藤局長がどう取りなそうが、武士として敵前逃亡てきぜんとうぼうしたあんたの罪はまぬがれねえ」

芹沢は大袈裟おおげさに天をあおぎ、閉じた鉄扇(てっせん)で自らの(ひたい)をピシリとおさえた。

「もっともな理屈だ平山、だがおめえもけっこうキビシーね」

「そ、そんな!」

「ダメか~。あー、ざーんねん!どうしよっか迷うとこなんだが、こいつらがさ、納得しないことにはさ、こらもうしょうがねえんだ。俺の力が及ばなくて申し訳ないな」

芹沢はわざとらしく渋い表情を作ると、平山を親指で指した。


本来、人情家の近藤は、救いを求めるように山南敬介を見た。

が、山南が口を開こうとしたその時、近藤の希望をち切ったのは、意外にも朋友ほうゆう土方歳三だった。

土方は人差し指と親指で作った輪にわずかな隙間(すきま)を作ってみせた。

「あんたがコレっぽっちでも武士の意地いじってやつを持ち合わせてるならさ。せっかく最後にカッコつける機会をもらったんだ。(いさぎよ)く腹をくくりなよ、頼むからさ」

山南が眉間(みけん)にしわを寄せ、腰を浮かせる。

「土方さん!我々はまだ明文めいぶん化した法度はっとを持たない。いま、この場の恣意的しいてきな判断で人を…」

土方は冷酷(れいこく)な目で山南をにらんだ。

「あんたは黙ってろ。いずれにせよ、俺たちにゃ規律(きりつ)ってもんが必要なんだ。だよな?芹沢局長」

「こんなときだけ、俺の肩書きを都合よく使いやがる。ま、人が集まりゃあ、それをまとめる法度(はっと)ってやつが必要かもな」

いまや、この脱走者の生殺与奪せいさつよだつの権をにぎる芹沢が、ニヤニヤしながら意見を述べる。

浪士組筆頭局長のお墨付(すみつ)きを得た土方は家里に向き直った。

「だから家里さん、あんたが死ぬことには大いに意味があるんだよ。あんたの死が、この浪士組の(おきて)指標(しひょう)になるってわけさ」


こうして、判決は下された。


その場を、

一種の狂気が支配していた。


長雨ながあめで水量を増した土佐堀川のせせらぎがいやに耳につく。


家里次郎は、退路(たいろ)を絶たれ、その日のうちに大坂常安橋会所で詰め腹(つめばら)を切らされることになった。

あれよあれよと言う間に、あり合わせのかみしもを着せられ、三方さんぼうに載せられた白鞘しらさやの短刀が目の前に置かれる。

「こ、こんな。こんな裁きがあるか。これは私刑しけいじゃないか!せめて会津公に、いや公用方(こうようがた)の秋月殿を呼んで話をさせてくれ!」

とうとう(しび)れを切らした芹沢が、いつもの粗野そやな態度にもどり、頭をかきむしった。

「どうでもいいが、ピーチクパーチクうるせえな。モタモタしてんなら、腹を切る前に俺がそのよく(しゃべ)る首から上を切り離しといてやろうか?」



会所の外からは、いつもと変わらぬ街のざわめきが聞こえる。

試衛館の面々は、その日初めて切腹という武士の作法さほうの当たりにした。


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