脱走者に罰を 其之参
石塚は重大な秘密を打ち明けるように身を乗り出した。
「常安橋の会所から、川沿いに西へ少し行ったとこに、廻船問屋がある。実は、そこの蔵元を手なずけてあってな?」
「その蔵に、お宝でもあんのかよ」
石塚は片眉を吊り上げて、ニヤリと笑った。
「薩摩の積荷や」
「けど、あの辺りには、たしか薩摩の蔵屋敷があったろ」
「その通り。ほんでも、西から樽廻船が来るたび、薩摩藩蔵屋敷から人目を忍ぶように、帆をかけた荷駄が、その廻船問屋に出入りしとる」
「つまり、それは…」
「そう。おそらく抜け荷(密貿易品)や。ええ目の付け所やろが?これなら発覚した後も、お上に届出られる心配はない」
「チェ、何のこたねえ。要するに、貸した金を盾に、またしても盗みを持ちかけてきただけじゃねえか」
「ああそや。ほんでも、もとから違法の品やと思えば、良心の呵責も多少は和らごうってもんやろがい」
「人の弱みにつけこみやがって!」
怒ってはみたものの、京に来て以来、阿部の道徳観念や社会通念は、すっかり麻痺している。
「いったいどっからの情報だ?今度は信用できるんだろうな」
石塚は、大仰な素振りで、家里次郎をあらためて紹介した。
「ハ!ええか?この家里先生はなあ、つい最近まで幕府のお役目に就いておられたんや。その筋の情報によれば、件の廻船問屋は、以前からお上が怪しいと眼をつけとったらしい」
中沢琴は襖の陰で苦笑した。
「…幕府のお役目ね。ふん、違いない」
「ケッ、じゃあ、なぜさっさと捕まえねえ?」
阿部が箸の先端を石塚の顔に突き付けると、石塚は醤油差しをつまみ上げながら嗤った。
「ガキやあるまいし、分かりきったこと聞くな。魚心あれば水心ってなあ。奴ら、西町奉行の内山彦次郎ちゅう与力に袖の下(賄賂)渡しとんのや」
「まーったく!どいつもこいつも!」
石塚は、醤油皿になみなみと醤油を注いだ。
「世の中ちゅうのは、そうやってツツがなく廻っとるちゅうこっちゃ。なあどないや、一枚噛まへんか?」
阿部は箸を持つ右手で頬杖をついた。
「あんたと?一緒にその蔵に忍び込むってか?ゾッとしねえな」
「おいおい、ええか?仕事にはそれぞれ役割ちゅうもんがある。わしは下調べをして、ここまでのお膳立てを整えたんや。あとは、あんたが蔵の塀を乗り越えて、中のものを運び出す。それでこそ五分五分の関係ちゅうもんやろ?」
石塚は両手の人差し指を立て、右から左にひょいと壁を乗り越えるように弧を描いて見せた。
「そらきた!あんたは上前をハネるだけか。いいご身分だな?」
阿部は、肝心な時に居合わせない中沢九郎(琴)を呪った。
今こそ、あの男の腕にモノを言わせれば、この借金取りの小悪党をギャフンと言わせた上に、おいしい仕事を丸ごとかっさらえるというのに!
「悪う思わんといてや。わしはわしで、次の仕事の準備に忙しゅうてな。このお方と組んで、ちょっとした商売を始めることにしたんや。そっちの方も聴きたいか?」
石塚は勿体をつけてウインクした。
「俺が聞きたくないと言っても、どうせしゃべる気なんだろ?」
石塚が得々と語った計画とは、要するに浪士組を騙るヤクザ者を組織化して、商家から踏み倒した金を上納金としてせしめようという、オリジナリティのかけらもない事業だった。
「今回のヤマを踏むなら、次も一枚噛ませたるで?なんせ元手がいるんや。あんたの分け前をつぎ込めば、なりすまし浪士をさらに掻き集めて、荒稼ぎ出来る。あわよくば、わしら第二の浪士組の頭領や」
「ゴメンだね。そんな商売を考え付いたヤツなら他にも知ってるが、あんたの雑な算段は、企みと呼ぶのすら憚られるぜ!」
阿部は例の佐々木六角源氏太夫というインチキ志士の顔を思い浮かべて渋い顔をした。
と、今まで他人事のような顔で食事をしていた家里次郎が、いきなり箸をピシャリと置いた。
「石塚君にも言っておくが、この浪士集団の話は金を稼ぐための方便ではない。資金を元手に精強な部隊を編成し、我らが京の治安を取り戻すのが本意だ!」
「まあま、先生。こいつに先生の崇高な理念を聞かせたとこで理解できるもんでもなし。ここは分かりやすう損得勘定の話を」
「けっ、崇高ときたぜ。笑わせんな」
阿部が頬杖をついてそっぽを向くと、
家里は色を成して声を荒げた。
「貴様!!これ以上の侮辱は許さんぞ」
石塚が、それに被せるように、
「わしはな、親切でこの話しを持ちかけてやったんや。別に、いきなり谷万太郎の道場を差し押さえたかてええんやで?」
と、太い腕で畳をドンと叩いた。
その時、
入り口の襖がサッと開き、数名の浪士がなだれ込んできて、阿部たちの席を取り囲んだ。
平山五郎、平間重助、野口健司、佐伯又三郎。
いかがわしい集金の任務を終えて、盛り場へ繰り出した芹沢鴨一行である。
「うわ!」
ちょうど吸い物の腕を運んできた小寅が、入口のところで持っている盆をひっくり返しそうになってオタオタしている。
芹沢は小寅の肢体を支えると、椀の蓋をひとつ摘みあげて匂いをかいだ。
「美味そうだ。お騒がせしてすまんね」
「おやおや、聞き覚えのある声がすると思えば、家里次郎殿じゃねえか。大事なお役目をほっぽり出して、こんなとこで何をしておられる」
隻眼の剣士平山五郎は、床の間にかかっている掛け軸を値踏みするように眺めながら、わざと顔を背けたまま声をかけた。
「風流男子とか呼ばれてただけあって、相変わらず小洒落た格好をしてらっしゃるが、コソコソ逃げ隠れするならちっとばかし用心が足らんな。それじゃ遠目にもすぐ判るぜ?」
家里は黙りこくったまま、身を硬くして額に汗を浮かべている。
身の危険を察知した石塚岩雄は、ソロソロと立ち上がって手を挙げ、発言を求めた。
「拙者、此処へは商談に来たはずやが。なにやら取り込み中のようなんで、またの機会にした方がよさそうでんな?これにて失礼しまっせ」
断ると同時に小寅を押し退け、
驚くべき逃げ足で、あっという間に姿を消してしまった。
「な、な、なにすんねん!」
小寅の手にしていた盆から、3つの椀が畳に転がり、生麩や芋茎があちこちに飛び散った。
芹沢鴨は、ただ面白そうに成行きを眺めている。
石塚は、抗議など目もくれず階段を駆け降り、
紀ノ国屋から飛び出すと、
続いて芹沢たちをつけてきた沖田総司も往来の真ん中で突き飛ばした。
「気をつけろ!このクソガキ!」
「ク、クソ?…あ、こら!」
沖田は走り去る男の背に手を伸ばしたが、虚しく空を掴んだ。
「なんだあいつ、芹沢さん達が入ってった途端に飛び出してきましたよ。ちょっと早すぎない?」
振り返り同意を求めたが、原田はニヤニヤするばかりだった。
「よくよく騒ぎを起こすのが好きな奴らだなあ」
案の定、中からは平山の怒声が聞こえる。
「止めますか?」
「めんどくせえ、やなこった。止めんのは、もうちょっと面白くなってからだろ。せっかく金もあるんだし、カキュー的スミヤカに川を挟んだ向こうの料亭に移動して、お座敷から高見の見物と洒落こもうぜ?しょうがねえ、奢ってやっからよ」
「…なんだよ、全然やる気ないじゃん」
沖田総司は、鼻の頭を掻いて顔をしかめた。




