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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
217/404

メイド志願 其之弐

「あんた、万吉親分に食ってかかるなんて、ええ根性してるなあ」

日避暖簾(ひよけのれん)(かげ)から二人を見ていた小寅が声をかけてきた。

琴はしまったという顔で振り返った。

「聞いてたの?」

「いや、よお聞こえへんかったけど。えらい険悪(けんあく)な雰囲気やったから」

「ヤクザは嫌いなの」

「ハハ、うちもや。威張(いば)っとるし。けど万吉さんはちゃうで。ほんまに立派な親分なんやで」

「へえ」

小寅は邪気(じゃき)のない目で同意を求めたが、琴の返事は相変わらずつれない。

「あーっ!本気にしてへんやろ!」

返事のしようがないという風に琴が肩をすくめると、小寅は問わず語りを始めた。

「あんな、万吉さんが名を挙げたんは、10年ほど前や。

内山ゆう西町奉行にしまちぶぎょう与力よりきが米市場にちょっかい出して、お米の値段を釣り上げようとしたことがあったんや」

「ちょっかい?」

「そう。内山ゆう与力は幕府の手先(てさき)やってん。そいつが幕府のお金で無理やりお米を買い占めてな、そしたらお米の値段が上がるやんか」

「そんなことして、誰に、なんの得があるの?」

「そりゃ、米相場が高騰(こうとう)したら、年貢ねんぐの収入で()うとるお(さむらい)は、財産の値打ちが実質的にあがる、ほんならサムライだらけのお江戸は懐具合(ふところぐあい)が良うなるからやろ」

経済に(うと)い琴には目からウロコの話だ。

しかし商人(あきんど)の町大坂では、若い娘までがこんな話をするのだろうか。

それともこの小寅だけは特別なのか。

「確かに、大坂に住む人達にとっては横暴(おうぼう)としか思えないやり方ね」

琴は(うなず)いた。

「でも内山はお(かみ)や。誰も文句なんか言われへん」


ちなみにこの内山という与力、お忘れかもしれないが、

以前、この大坂で芹沢や近藤たちが平野屋という両替商(りょうがえしょう)で押し借りを働いた時から、好ましからざる集団として浪士組に目をつけている、あの内山彦次郎だ。


「けどな、万吉さんは(ちご)てん。地元の米問屋(こめどんや)と手を組んでな、堂島の米会所こめかいしょ(現在の先物取引市場のようなもの)に文字通りなぐり込みをかけたんや!」

「へえ」

「ほんでな、大暴れして、みごと、その悪企(わるだく)みを叩きつぶしてんで」

「けど、幕府の後ろ(だて)がある与力を怒らせたら、ただじゃ済まないでしょ」

「もちろん、その後奉行所に引っ立てられて、散々痛めつけられてんけど、結局仲間の名前は最後まで吐かへんかったんやて」

「なるほど、弱いものの味方ってわけね」

どこまで本気なのか、琴は、考えを改めたように感心してみせた。

「そや!」

小寅は()が事のように誇らしげに(うなず)いた。

「じゃあわたし、(やと)ってもらえるかしら」

「万吉さんの推薦(すいせん)やったらバッチリや」

「で、あなたはどうして、あの親分とわたしの関係を聞かないの?」

「だって、ヤクザ嫌いなんやろ?みんな色々あるさかい」

「…優しいのね。わたし、琴」

「お琴ちゃん?よろしく。うちは小寅(ことら)

「よろしくお願いします」

「歳もそない離れてへんのやし、堅苦(かたくる)しゅうせんでええやん。うち、(うれ)しいねん。若い子がうち一人やと何かと大変やったから」

琴は微笑(ほほえ)むと、小寅の肩越かたごしに店の入り口をのぞき込むように少し首を(かし)げた。

「それより、さっきお客さんが入っていかなかった?」

「あ、うん。ごっつ男前おとこまえやったで」

「行かなくていいの?」

ちょうどそのとき、店の中から番頭の声がした。

「お〜い、小寅!何しとんねん」

小寅はやれやれという顔をしてみせた。

「しゃあないなあ。相手してくるわ」


琴がその後を追って店に戻ると、若いサムライが二人並んで立っている。

その背中を見て、琴は直感的に例の長州藩士だとさとった。


その男、桂小五郎はまだ歳若く、整った顔立ちをしていた。


その静かな(たたず)まいからも、隠しようのないカリスマが感じられる。

もう一人は松下村塾(しょうかそんじゅく)出身の闘士(とうし)、寺島忠三郎である。


「あんた、なにぼーっと()っ立っとるんや。いくら万吉親分の紹介やかて、うちに置いとく以上、しこたま、あいや、相応分(そうおうぶん)は働いてもらうで。早よ、おく行って着替えてきぃ!」

番頭がそう言ってタスキを差し出すと、琴は(そで)をたくし上げた。

「あ、はい。ありがとうございます。私この格好のままで大丈夫ですから」


まさに、一足違いだった。

このタイミングで長州の桂と遭遇そうぐうするとは。

琴は桂たちが主人となにやら小声で話すのを気にしながらも、仕事にとりかかる他なかった。


紀の国屋の台所は、夕食前の繁忙時はんぼうじを迎え、料理の支度したくに追われていた。

へっついと呼ばれる(かまど)にくべられたマキが赤々と燃え、飯炊釜めじたきがまからは、よい香りの湯気が立ち昇っている。

板前と女中が右へ左へいそがしく動き回っていて、どうやら琴の紹介は、この戦場のような騒ぎが一息ついてからになりそうだ。

「ほんなら、お琴ちゃん、あそこのつぼから漬けもん二、三本取って、洗っといてくれる?」


「小寅、ちょっと」

番頭が勝手場かってばに顔を出して、小寅を手招てまねきした。

「なん?」

「さっきのお客さんが呼んどる。なんや、岩吉さんのことで、お前に聞きたいことがあるんやて」

「またあ?」

小寅はうんざりした顔で前掛まえかけの結び目を(ほど)き、琴に手を合わせた。

「ごめんな。ちょっとここ頼んでええ?」

「これ切って、小鉢こばちにこの和え物(あえもの)を盛り付けていけばいいの?」

「うん。完璧。…あと、そっちの松皮造まつかわでくりに触ったらいたさんに殺されるから、気いつけてな」

「まだ死にたくないから、そっちには行かないようにする」

琴は笑って、台所を行き交う使用人を器用に交わして出て行く小寅に小さく手を振った。

「…ほんまにもう、なんで今やねん!」

小寅のブツブツ不平を言う声が遠ざかっていった。


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