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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
212/404

ファム・ファタール 三幕

井上兄弟と土方歳三、沖田総司の四人は、道々(みちみち)、浪士組の近況などを話しながら、新町遊郭(しんまちゆうかく)の一画、九軒町にある老舗しにせ揚屋あげやに向かっていた。

阿部慎蔵も(あこが)れた、かの「吉田屋」である。


「どうだ?近ごろ、近藤さんの様子は?」

松五郎がさりげなく尋ねると、弟の源三郎は少し表情を曇らせた。

「ま、張り切ってるよ。ともすれば、張り切りすぎて空回りしてる感もあるが…」

天狗(テング)になってるなんて聴いたから、ちょっと心配してたんだ」

土方歳三が小さく舌打ちする。

「ちぇ、あいつが偉そうなのは、今に始まったことじゃねえだろ」

少なくとも土方や源三郎は、(おのれ)にも他人にも厳しくあろうとする近藤の真意をんでいたが、それを口に出してしまえば、悲壮(ひそう)覚悟(かくご)に水を差すような気がしていた。

「次男の泰助(たいすけ)なんかは、お前たちに(あこが)れてるんだ。内輪(うちわ)()めるようなことはせず、多摩の子供達に胸を張れる仕事をしてくれよ」

松五郎は無自覚に、沖田らにとって、もっとも残酷(ざんこく)な言葉を口にした。


死んだ殿内義雄のことを思い出したのか、沖田の顔にかげりが差した。

「…ええ」

何かを察した松五郎は、沖田の肩を勢いよくポンと叩いた。

「すまんすまん!説教じみた話はヤメだ。それもこれも、今日のところは忘れよう」



…さて、その新町遊郭しんまちゆうかくでは。

井上松五郎らより一足先に、中沢九郎こと男装の中沢琴が、再び東大門をくぐっていた。

先を急ぎたいが、朱格子しゅごうし出窓(でまど)が並ぶ目抜き通りを脇目わきめも振らず突っ切っていく男などいない。

彼女は、いや、彼は、少しれた様子で周りの歩調に合わせ、二丁(約220m)ほど行ったところで脇道わきみちに入ると、一本裏手いっぽんうらての通りをまた早足で歩きはじめた。

やがて津国屋(つのくにや)という屋号の置屋(おきや)の前で立ち止まり、そこで見覚えのある女が玄関先に水を()いているのを見かけた。

たしか、あの太夫道中(たゆうどうちゅう)の中にいた舟女郎ふねじょろうだ。

「もし」

声をかけると、相手も琴の顔を覚えていたらしく、にっこり微笑ほほえみ返してきた。

「おや、あんさんは、あの時の」

「実は、折り入ってお願いがございます」

琴が唐突(とうとつ)に切り出すと、舟女郎ふねじょろうは、綺麗(きれい)に描いた(まゆ)をハの字にしてほおに手をやった。

「はあ?お侍さんが置屋おきやまで直接足を運んでお願いとは、よほどのことだすやろけど、あいにく、いま若鶴姐(わかづるねえ)さんは、お座敷ざしき留守るすだす」

「いえ、太夫(たゆう)にご用があるわけではありません。不躾(ぶしつけ)ですが、じつは、おゆずりいただきたいものが…」

と、ふところから財布を取り出した。



一方、その同じ頃、大坂城。

会津藩に付き従って登城した浪士組局長芹沢鴨と近藤勇は、ともに浮かない表情で、二の丸にある多聞櫓(たもんやぐら)の出口から階段を降りてきた。

大手門を出れば、京屋のある八軒家浜(はっけんやはま)は目と鼻の先だ。


芹沢鴨は(くび)をグルグル回し、肩周りの骨を鳴らしながら毒づいた。

「チッ、詰め所とはよく言ったもんだぜ。にしてもだ。いくら俺たちが下っ端(したっぱ)だからって、ありゃ詰め込みすぎだろ!」

とは言え、一介いっかいの浪士である芹沢や近藤が、天領(てんりょう)(江戸幕府直轄地)の城内に足を踏みいることを許されるなど、本来であれば大変に誇らしいはずである。

近藤は、怒れる筆頭局長の気をらせようと、適当な話題をみつくろった

「さすが広大な城ですねえ…こっちに来てからまだ一度も天守てんしゅを目にしていない」

「んなもなあ、もう200年も前に焼けて失くなっちまってるよ」

芹沢は不機嫌な顔を隠しもせず、素っ気なく応えた。

「なぜ建て直さんのです」

この時代の大坂城は、寛文年間かんぶんねんかんの落雷で天守こそ失っていたが、それでも近藤たちを取り囲む巨大な石垣いしがきが、かつてこの場所が日本の中心であったことをしのばせた

「ふん、必要ねえから…いや、必要なかったからだろ。少なくとも今までは」


先を歩く会津藩公用方(こうようがた)、広沢富次郎は、緊張した時の(くせ)なのか、先ほどからやたらと(マゲ)の位置を気にしていたが、急にけわしい表情で二人を振り返った。

「門を出るまで、私語は(つつし)まっせ。すっだことより、今日下知(げち)のあった警護の仔細しさいを、隊士にもよおく言い聞かせてくんつぇ。明日はいよいよ勝阿波守かつあわのかみ(海舟)みずか蒸気船じょうきせん指揮しきし、大樹公(たいじゅこう)姉小路公知(あねこうじきんとも)卿を乗せて沖に出る」

「はあ。そのことですが、どうも納得いきません」

近藤が、うつむきがちに珍しく異を挟むと、芹沢鴨も二の丸につらなる(やぐら)を仰いで、ため息をついた。

「冗談キツいぜ、まったく。姉小路って、ありゃ学習院で攘夷派じょういは(あやつ)ってる連中の、親玉じゃねえか」

味方を得た近藤は、胸につかえていた疑念を口にした。

「一方の勝安房守(かつあわのかみ)(勝海舟)様は、開国派の牙城がじょう。まさに呉越同舟ごえつどうしゅうというわけです。何かない方がおかしい」

「そっだこと言わんに!」

もう一人の公用方こうようがた秋月悌次郎あきづきていじろうが、二人の言葉をいましめたにもかかわらず、

同僚の広沢の口から、つい同じような愚痴(グチ)がこぼれる。

「確かに…大樹公(たいじゅこう)をあの敵だらけの船に乗せるというのに、我々が同乗できねえなの、おもしゃぐね。これでは何のために付いて来たのか分かんねえし、そもそも、勝安房守が大樹公(徳川家茂)に何を吹き込むやら分かったもんでね!」

近藤が苦々しげに角ばった(あご)でた。

「まったく、歯がゆい。こんなとき、我々はむなしくおかでお留守番(るすばん)とは」


攘夷(じょうい)が公式に発表されたのはたったの二日前である。

何もかもが性急せいきゅうで、彼らには刻々と移ろう状況を後追あとおいするのが精一杯だった。

だが見栄っ張りの芹沢鴨は、あくまでそれを認めようとしない。

「ま、どっちにしろ俺ぁそんなもんに乗って船酔ふなよいするのはゴメンだがね」

彼には、浪士組筆頭局長に相応ふさわしい悠揚(ゆうよう)たる態度を保ち、演出することが何より大切らしい。

秋月と広沢は顔を見合わせ、ともに嘆息(たんそく)した。


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