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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
変遷之章
202/404

紅い華と、碧い眼

この都に着いて以来、酒におぼれる日々が続いている。

毎夜、泥酔でいすいしてみる夢は陰鬱いんうつなものばかりで、

目がめた後の現実は、さらにクソみたいだった。


意識は、その境い目を、行ったり来たりとらいでいる。

まどろみの中、新見錦は過去をさまよっていた。


幸せな少年時代。

水戸。

神道無念流しんとうむねんりゅう金子健四郎の道場で、稽古けいこに明け暮れた日々。


あの頃、自分はいつも、二人の先輩の背中を追いかけていた。


美しく聡明そうめいな少年、大蔵おおくら

優しく強かった、繁之介しげのすけ

共に才能に恵まれていた二人は、同い年の親友で、剣の腕をきぞ好敵手こうてきしゅだった。

そして、自分は彼らにあこがれ、したう弟。



ああ、そうだ。

森山繁之介。

彼はもういない。

あの、雪の日から。


しんと冷えた空気。

荘厳そうごん高麗門こうらいもんの前、

鮮血せんけつに染まる雪。


一面の銀世界に点々と咲く、紅い華。


安政7年3月3日、朝。

桜田門外。


あの日、自分は、新家粂太郎は、引き裂かれたのだ。

忠義と正義と友愛は、必ずしも相容あいいれず、互いを打ち消しあうことを知ったのだ。



大蔵おおくらは、

あのけがれのないもう一人の兄はどうだったのだろう。

鈴木大蔵とはあの後一度も会えずにいるが、

彼も、みにくい現実と折り合いをつけたのだろうか。


そう。

そういえば。


記憶はどんどん脈絡みゃくらくのない方向に移ろってゆく。


大津宿で見たあの美しい浪人は、大蔵にまるで瓜二うりふたつだった。

だが、断じてあれが大蔵であるはずはない。

どれだけ年月が経っても、自分が太蔵を見間違みまちがうことはない。


目が違う。

大蔵には、あんな禍々(まがまが)しい殺気はない。


たたずまいが違う。

大蔵おおくらの身にまとう空気は、

雪がやんだ、あの冬の朝のように、

ピンと張りつめた清廉せいれんさがあった。


声が違う。

歳も違う。


じゃああれは、

あの男は誰だったのだろう。


遠くで、誰かがなにか語りかけている。


「…ねえ、あなた。そんなところで寝てられちゃあ入れないんだが」

くぐもってはいるが、どこかで聞いたことのある声だった。

五感が徐々にえてくると、

細い腕が肩を揺すっているのに気づいた。

「やっと起きてくれましたか。人のことは言えないが、家に帰った方が…おや、あんたは芹沢と一緒にいた…」


重いまぶたを開けて見上げると、

そこには、なで肩の中年男がひざをついていた。

「私のこと覚えてますか?ほら、船屋町のなんとか屋で会った、仏生寺ですよ」

「…仏生寺、仏生寺さん?」

新見は、夢現ゆめうつつでその名を呼んだ。

「ええ」

「ぶ、仏生寺さん、あんたは、ほ、本当に下関に行く気が、あ、あるのか」

まだ、寝ぼけて呂律ろれつが回っていない。

「はは、いきなりずいぶん失礼なことを聞くじゃないか」


目の前には徳利とっくりさかずきが転がっていて、たたみには新しいシミができている。

新見は、視線を上げてぼんやりと周囲をながめた。

見慣れない本が積まれた部屋。


ここは…


ハッと現実に帰って、飛び起きた。

「…芹沢さん?」

「芹沢は先に帰ったようです。どうもわたしゃずいぶん皆さんをお待たせしたようですな」

仏生寺は酒臭い息を吐いて、申し訳なさそうに頭を掻いた。


時刻は、とうに丑三つ時(うしみつどき)(2:30am)を過ぎている。

フクロウが鳴いていた。


新見が辺りを見回すと、吉成勇太郎と阿部慎蔵がかたわらで酔いつぶれている。

仏生寺は同じように部屋を見渡して、

「この顔ぶれは、いったいどうした集まりなんです?」

と、いぶかしんだ。


その声に反応したのか、突然、阿部がムクリと起き上がり、

仏生寺の姿を認めるなり、もつれる脚で飛びかかった。

「てめへこのやろお!ついに屋敷まれ押ひ入っれきひゃがったか!吉成よひなりどの〜!拙者せっひゃが食ひ止めましゅゆえ、お逃げくだひゃれ〜!」

「じょ、冗談じゃない、あたしゃ呼ばれてきたんだ。そんな物騒(ぶっそう)な用件じゃありませんよ」

仏生寺が、あきれ顔で飛びかかってきた阿倍の頭を軽くいなすと、

阿部はたたみに突っ伏したまま、また寝てしまった。


「この働きに免じて、わ、わらくひもでひ馬関にお供を…かにゃらず毛糖けとうどもと刺し違えてごりゃんにいれましゅる…」


「すごい寝ぼけっぷりだな…なるほど、この人も馬関ばかん行きを願い出に来たわけですか。皆さん、よほどいくさがお好きと見える」

その態度が(しゃく)(さわ)ったのか、新見は酔いも手伝って、つい阿部を弁護した。

「この男は、少なくとも国の行く末を(うれ)いて、自分の血を流す覚悟を持っている。馬関行きを、ただ士官しかんの手段と考えている貴方よりは、いくらかマシだろう」

「そんなもんですかね。けど、言わせてもらえば、お武家の貴方あなたには私の気持ちなんざ分かりゃしませんよ」

貴方あなたが下関で夷狄(いてき)と戦う気がないなら、私はあなたを軽蔑(けいべつ)する。だが、芹沢さんとの約束を反故(ほご)にして京を離れるつもりなら、私はあなたを許さないだろう。どちらにしてもあなたとは解りあえないということだ」

「はあ。なるほど。で、そういう貴方はどうなんです?」

「なに?」

寝乱ねみだれた髪を整えながら新見は問い返した。

「ご大層(たいそう)な数の手下をひきつれて、息巻いきまいちゃあいるが、あんな貧相な部隊で、本気で奴らと渡り合うつもりなんですか?」

「浪士組は頭数あたまかずこそ少ないが、いずれも使い手(ぞろ)いだ。長州軍なんぞに遅れはとらん!」

新見は、仏生寺から虚仮(コケ)にされて、初めて近藤たちを仲間と認識していることを自覚していた。

「どうも、このとしになると、小便が近くなってたまらん…なんなら、あなたも下関に来て、現場に立ち会ってみちゃあどうです。本当のタマの獲り合いというのは…」

仏生寺はニヤニヤしながら、新見の襟元(えりもと)を正し、その目を(のぞ)き込んだ。

「…なかなかにシビれるもんですよ。無抵抗むていこうの町人を脅すのとは、また違ったおもむきがある」

「それ以上愚弄(ぐろう)すれば…」

腰を浮かした時には、

仏生寺の白刃(はくじん)が、喉元のどもとに突き付けられていた。

「やめましょう。芹沢の腹心ふくしんを殺したくないが、こう酔ってちゃ手元が狂わないとも限らない。それに。将軍様と長州はこれから力を合わせて異人と戦うことになったんでしょう?馬関でやつらに一泡ひとあわ吹かせたら、戻ってきて約束通り力を貸してあげますよ」

仏生寺はそっと刀を引き、残り物のあぶったイカのカケラをくわえた。

「ふっ」

酒臭さけくさい部屋の中で、新見はいつもの冷静さを取り戻し、スッと立ち上がった。

「いいでしょう。だが、次に会うのは馬関だ。存分ぞんぶんに青い眼の首級しゅきゅうの数を競いましょうぞ」


この日をさかいに、新見錦は屯所(とんしょ)から姿を消した。

隊士たちには、一橋慶喜ひとつばしよしのぶの江戸行きに随行ずいこうしたとのみ、簡単に伝えられた。


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