大津宿の密会 其之参
夜桜と、あの黒い着衣の対比がそう見せるのだろうか。
そんなことを考えながら、清河は目を細めた。
「密会の場所が、本陣の裏とは、考えたわね」
中沢琴は、なかば感心したようにそう言って、かるく下唇をかんだ。
「灯台もと暗しってな」
清河は気を取り直すと、軽い調子で応じる。
彼には、わざとこうしたスリルを楽しむ悪い癖があった。
自ら主催する政治結社に、わざわざ「虎尾の会」などと名づけたのが、いい例である。
「虎の尾を踏む」、「書経」からとった言葉で、つまり、あえて危険をおかすことも辞さないという意味だ。
「京は、一昨年の冬以来でね」
西国の空気を久しぶりに味わうように、清河は大きく息を吸った。
「そう?」
彼の個人的な感慨に、中沢琴はなんの興味も示さない。
しかし、清河の方も、その素っ気ない返事を気にしている様子はなかった。
「実は、こっちに田中河内之介って知り合いがいてさ。こいつが、第二皇子(のちの明治天皇)の教育係を務めたこともあるって秀才なんだが。その田中の口利きで薩摩と組み、関白様と京都所司代を相手に大仕事をやらかすつもりだった」
「出まかせにしても、コトが重大すぎて私にはピンとこない。あなたの話は、いつもそう」
言葉とは裏腹に、さして驚いた様子もない琴に、清河は思わず苦笑いした。
「なに。成功してりゃあ、大事を成したと胸を張れたんだがね。つまるところ、パッとしない話さ。
勇躍、京に乗り込んだものの、肝心の薩摩がのらりくらり態度をハッキリさせない。で、こりゃどうも雲行きが怪しいと踏んで、俺は降りたんだ。
だがそのあと、残った奴らは、あくまで計画を強行しようとしたらしい。
案の定、薩摩の殿さんが計画を中止しろと横槍を入れてきて、あげくの果てには、決起するのしないので、薩摩のサムライ同士、斬りあいさ。
そう。つまりこれが、世に名高い、寺田屋騒動の内幕にござい」
「昔話を聞かせるために、呼び出したんじゃないでしょ」
琴は清河を睨みつけ、この長い枕を断ち切った。
清河はおどけた表情で、両手を挙げてみせる。
「京ってのは、それくらい物騒な町だっていうさ、ためになる話じゃないか」
「あなた、日本中どこへ行っても首を狙われてるじゃないの?」
「そこが有名人のツライとこでね。浪士組なんてもんを作っちまったから、こっちでも長州や土佐のヤバイ連中が手ぐすね引いてやがる」
「ふん」
「つれないねえ。笑いごっちゃねえんだぜ?半年前、あの本間精一郎を殺ったのも奴らさ」
「だれ?」
琴が眉根をよせると、
清河は深々とため息をついてから、一気にまくし立てた。
「ハァ…忘れたのかよ?江戸にいたころ、会わせたろ!ほら、あんたと同じような長い刀をぶら下げてた奴さ、同志の一人だよ!
アレを殺ったのは、薩摩の田中新兵衛と、土佐の岡田以蔵。
こいつらは物騒な尊攘派のなかでも難敵だ。狙われたら、まず助からんね。
おまけに長州は、国許からバケモンみたいに強い男を呼び寄せたって言うし」
「よかったじゃない。今回は、あなたの周りにだって頼りになる浪士組がいる」
「身内だって安心できねえさ。取締並出役の佐々木只三郎が、俺を睨む、あのおっかない眼を見たろ?スキあらば、斬り伏せてやろうって勢いだ」
しかし、琴が真剣にとりあう気配はない。
「つまらない策を弄してばかりいるから、敵を作るんじゃないの?」
清河は、この辛辣な女と話すのが面白くて堪らないといった風に微笑った。
「ずいぶんハッキリ言ってくれるなあ。だがま、なんかあった時のために、あんたがいるってわけさ」
「あまりアテにされ過ぎても困る。それで?そろそろ本題に入って」
桜の木にもたれかかった琴は、片ひじを抱いて、長い薬指でこめかみを押さえた。
清河はニヤリと笑って、着物の裾から交差させた白い脚がのぞくのを指差した。
「それ、眼の毒だぜ。…実はあんたに、ひき続き俺の護衛を頼みたい」
「用心棒の真似事は京までの約束でしょ?そうしたら、あなたは良之助を解放する。で、わたしは良之助を連れて利根に帰る」
琴はかがんで裾を直しながら、批難するような眼で清河を睨みつけた。
「なに、そう長い時間じゃない。俺は京に着いたら、時を置かず行動を起こすつもりだ。それまでの辛抱さ」
「どういうこと?」
「そっから先は、お楽しみってやつだ」
琴はお手上げだという風に宙を仰いだ。
「これ以上、まだ何かやらかす気?本当に殺されてもいいの?」
それには直接答えず、清河は懐から取り出した封書を投げてよこした。
「俺が死んだら、開けてくれ」
「なにこれ?」
琴は手紙の角を摘まんで、ひらひら振って見せた。
「なにって、遺言だ」
「ふうん。死ぬ覚悟くらい出来てるってわけね?」
「別に死にたかないさ。だから、あんたに警護を頼んでるんだろ」
それだけ言うと、清河はさっさと踵を返し、片手を上げて去っていった。
琴は、その背中に何か言いかけたが、ふと左右に目配せをすると、思いとどまって、また桜の幹に身体を預けた。




