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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
変遷之章
190/404

チカマツ的な一幕 其之弐

やがて男は、すれ違った柳太郎の方を一度ちらと(かえり)みてから、愛次郎に向き直った。

「わしの大切なおくにいじめちゅう浪士組ち奴らのつら(おが)んじゃろ思うての。刀を持たされてほたえゆう、たっすい百姓じゃか」

二人の距離は川をへだてて、八間はちけん(約15M)もある。

もちろん、その言葉は佐々木に届かない。

だが佐々木は、その唇の動きから、男の発する悪意が自分に向けられているのをはっきり感じ取っていた。

男は眼を閉じ、口の端を吊り上げてニヤリと笑うと、

「お上も、よっぽど人手ひとで事欠ことかいちゅうようじゃ」

代々将軍家に仕える大名、青山忠敏あおやまただゆきの屋敷の壁をポンポンと叩いてみせた。


愛次郎は一歩前に踏み出し、男に怒鳴どなった

「わたしに何か用か!」


だが、吉村は愛次郎の目を見据えたまま、なおも低くつぶやいた。

「おまんらにゃ、清河さんの件で、ごつい借りが出来たきねや。今のうちにほたえときや」


吉村虎太郎-ヨシムラトラタロウ-

それは、かつて寺田屋事件の引き金となった伏見義挙(ふしみぎきょ)加担かたんし、今また京に舞い戻って幕府の転覆てんぷく目論もくろむ土佐の浪士だった。

正確には、この時の吉村は、同郷の坂本龍馬や中岡慎太郎を差し置き、いち早く土佐を脱藩している。

切れ長の目には、暗い炎がらめいていた。


「もっとも…ワシも他人ひとのことぁ言えんき。清河さんが()んで、桂さんと武市さんは家を空けちゅう。舞い上がんなち言う方が無理じゃ。こりゃあ梼原(ゆすはら)村の百姓ひゃくしょうに、都を乗っ取れち八幡はちまんさまの御告おつげかいの…?」


「クソ!あの男、さっきから何をブツブツと!」

苛立イラだちをつのらせる愛次郎の横顔に、先ほどまでの優しげな美青年の面影おもかげはなかった。

あぐりは、それでも壬生狼みぶろと呼ばれる戦士の手をぎゅっとにぎっていた。


吉村は、佐々木を挑発ちょうはつするように人差し指の先で、こめかみをコツコツと叩いて見せた。

「仮に破滅はめつへと導く甘い罠じゃとしても。ここで指をくわえとって、久坂さんやら長州の書生どもにええとこ持ってかれるくらいなら、わしはえてその誘いに乗っちゃろうぜ」

もはやその言葉は、愛次郎や浪士組に向けられたものではなく、みずからへの暗示だった。


愛次郎とあぐりは立ち尽くしたまま、建物の影に姿を消す吉村を見送った。



さて、その頃。

半里(1.9Km)あまり西にある壬生村、八木邸。


浪士組局長近藤勇は、はなれの六畳間に沖田を除く試衛館の幹部たちと座を囲んでいた。

大樹公たいじゅこうは、きたる五月十日をもって攘夷実行じょういじっこうの期限とするむね御前(ごぜん)にて奏上(そうじょう)されるそうだ」

「…おお」

一座に小さなどよめきが起き、近藤はここでひとつ息を入れた。

「京の治安も、これで少しは落ち着いてくれりゃいいが」

その近藤の腹心ふくしん、副長土方歳三が膝に頬杖ほおづえをついてフンと鼻を鳴らす。

「だが、これからひとつき足らずのうちに開戦など、現実的とは思えん。長州、土佐、それからあのいけ好かねえ学習院あたりの圧力で、苦し紛れに出た空約束からやくそくてとこが本音ほんねだろ」


遅れてきた井上源三郎がのそりと座敷に入ってきて、年長者らしい口調でたしなめた。

「おいおい、外まで聴こえてる。物言えばくちびる寒しってね。なかんづくまつりごとの話は剣呑けんのんだぜ?」

「ふん。遅いぜ源さん」

「こりゃどうもすまないねえ。門のとこで素振りしてたらつい夢中になっちまって。はいはい、邪魔、邪魔」

井上は軽く手刀しゅとうを切ると、寝ている原田左之助を脚でグイグイわき退()けて、自分が座る隙間すきまを作った。


土方はヒョイと縁側えんがわに身を乗り出してどんよりとした空を見上げた。

「雨なんだろ?それしかやるこたねぇのかよ。てえか、道場は何時いつんなったら出来んだ?」

「話をらすなよ。だいたいお前さんは口が過ぎる。なあ?」

井上から同意を求められた近藤は、しぶい表情で押し黙っている。

おそらく土方と同じ懸念(けねん)を抱いているに違いなかった。

「おやおや、そうなのかい?としの言うことは図星ずぼしってか」

「そうは言わないが…」


なにやら話がきな臭い方向に()れてゆくのを案じたのか、もう一人の副長山南敬助が無言のまま立ち上がって、人目をけるように縁側の障子(しょうじ)へ手をかけた。


と、そこへ。


ほろ酔いの筆頭局長(ひっとうきょくちょう)芹沢鴨が菱屋ひしやの梅と連れ立って帰ってきた。

「この鬱陶(うっとう)しい梅雨空(つゆぞら)に、窮屈(きゅうくつ)な部屋でひたいを突き合わせて政治談議(せいじだんぎ)かよ?ったく、物好きな奴らだな」

軽口に、梅が着物の(そで)で口元をおおう。


「ふふ」


女好きの永倉新八などは、その妖艶(ようえん)な仕草に吸い寄せられてひざ()い寄ってきた。

「そそそ、そ〜なのよ!お梅ちゃんもそう思うだろ?こ〜いつらときたら、雨に(けむ)る都の風情に頓着(とんちゃく)する余裕なんざ、いっこう持ち合わせちゃいねえ田舎侍いなかざむらいなのさ。こ〜んな日はさあ、庭の紫陽花(あじさい)でも()でながら、おれと一献いっこんいかがなもんかね?ね?ね?」

土方が永倉の口を乱暴に押さえつける。

「田舎もんで悪かったなあ」


「…てめえ、ほんといい根性してやがんな」

芹沢鴨も呆れて永倉の(ひたい)を人差し指で(はじ)くと、梅の肩を引寄せた。

梅は肩の手を軽く振り払い、永倉に微笑ほほえみかける。

「せやけど。殿方(とのがた)がしかめ面で難しい話したはるの、うち好きやわあ。かめしまへんさかい、続けとくれやす」

「じゃそーしま〜す」

永倉はすり寄ってきた時と同じスピードで座敷の奥へ引っ込んでいく。

山南敬介は、このやり取りのあいだ、終始しゅうし渋い顔をしていた。

いったいこれだけ毎日飲み歩く金はどこから来るのだろうと考えただけで憂鬱ゆううつになる。

それを察したわけでもないだろうが、この中では一番若い斎藤一が、庭先で(エサ)(ついば)む鶏を一瞥(いちべつ)してボソリとつぶやいた。

「…雌鶏(めんどり)鳴いてなんとやら…か」

梅の切れ長のまゆがピクリと動く。

「なんどす?」

斎藤はその問いを黙殺して、永倉らに向き直った。

「あなた方が京に上ってくる少し前、四条大橋ではだかにひん()かれた女がさらされた。幕府方ばくふがた間諜(かんちょう)として働いた(かど)とか」

梅の顔にみるみる血の気がさした。

「どういうこと?聞き捨てならへんわ!うちが長州へ密告するとでも思たはんの!」


永倉新八があわてて取りす。

「なあに、酒の席でふと漏らした一言ひとことがお上に知れて、曲解(きょっかい)される、な~んて、昨今(さっこん)珍しくもないから、かたがた気をつけましょうねって話さ。な?斎藤、な?」

斎藤は、また梅をジロリとみて、鼻であしらった。

「ふん。あるいは、その女が話をでっち上げていたのかもしれんな。酒席しゅせきで誰が何を言ったかなど、誰にもあとから確かめるすべはない」

その視線を勝気かちきな目で真っ向から受け止め、梅はプイとそっぽを向いた。

「ほな!お気ばりやす!」

芹沢が薄笑(うすわら)いを浮かべる。

「な〜にカリカリしてんだよ」

しかし梅は無言のままスタスタと行ってしまう。

「やれやれ」

芹沢が頭をきながらその後を追おうとしたとき、近藤勇が引き止めた。

「芹沢さん、ちょっといいですか」


「なんだよ、見ての通り取り込み中だ。手短かに願うぜ?」

梅のしゅが差した細いうなじを気にしながら、芹沢が迷惑そうに振り返る。

土方がわざと聞こえるように舌打ちした。

「ちぇ、いい気なもんだな」

近藤は険悪な雰囲気など気づかぬていで続けた。

「歳、山南さんも」

山南敬介が顔を上げる。

「我々もですか?」

「ああ。それと平助、新見さんを呼んできてくれないか」

「わかりました」

藤堂平助が立ち上がったのを機に近藤は原田たちを隣の四畳半に追い立てた。

「てなわけでな、おまえらはちょっと席をはずしてくれ」

「おいおい、そりゃねえだろ!」

原田と永倉が声をそろえたときにはふすまはピシャリと閉じられていた。


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