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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
変遷之章
187/404

祈り 其之参

阿部慎蔵の脳裏のうりには、苦い記憶が呼び起こされていた。

洛北の賭場とばで会った男の顔とともに。

そう。あれは二年前の常陸国ひたちのくに

天狗党の前身、玉造勢たまつくりぜいと関わった消し去りたい過去が。



安政の大獄たいごくが吹き荒れたあと、水戸はぷたつに割れた。

あの粕谷新五郎がいた長岡勢ら、あくまで攘夷じょういの実行を主張する者たち、

そして幕府に恭順きょうじゅんちかうもう一方は、諸生派しょせいはと呼ばれた。


時に万延元年(1860年)。


その長岡勢が壊滅かいめつし、故郷こきょう玉造に逃げ帰った芹沢鴨らは、

再起を期して同志を結集し、異人たちが闊歩かっぽする横浜に攻め込むべく、玉造勢と呼ばれる一大勢力を築きあげた。


その頃の芹沢鴨は、まだ下村嗣次しもむらつぐじと名乗っていた。


往時おうじは水戸の参政さんせいとして腕を振るった武田耕雲斎のもと、玉造を拠点とする玉造勢かれらは、天狗組、天狗党などと名乗るようになり、

下村は300人を従える大幹部に上り詰めていた。

いつしかその腹心ふくしんとなっていたのが、新見錦こと新家粂太郎しんけくめたろうである。


吉成の道場に出入りしていた阿部慎蔵が、その下村嗣次、新家粂太郎らに引き合わされたのも、この頃のことだった。


だが、巨大化した天狗党も、所詮しょせんは体制に盾突たてつく反主流に過ぎない。

すなわち、軍資金の出処でどころを持たなかった。

きゅうした彼らが目を付けたのは、小江戸と呼ばれるほど栄えていた佐原の豪商ごうしょうたちだった。

玉造から潮来街道いたこかいどうを南下した玉造勢の軍は、潮来宿いたこじゅく駐留ちゅうりゅうして、

佐原や、諸藩の蔵屋敷くらやしきが建ち並ぶ潮来いたこなど利根川流域の町を次々と蹂躙じゅうりんし、

暴虐ぼうぎゃくの限りを尽くした。


おりしも桜田門外の変では、長岡勢の残党がにっく井伊直弼いいなおすけの首をとり、勢いづいた彼らの大義たいぎは、もはや制御せいぎょかなくなっていた。

芹沢の大鉄扇は、なに者からも解放された力の象徴しょうちょうだった。

意に沿わない商人は、容赦ようしゃなく大鉄扇だいてっせん打擲ちょうちゃくする。


「大将、ここは天領てんりょう(徳川将軍の直轄地)だぜ?これじゃあ野盗やとうと変わんねえ!」

尽忠報国じんちゅうほうこくこころざし共鳴きょうめいし、天狗党と行動を共にしていた阿部は、何度も芹沢の言動にとなえ、そして黙殺もくさつされ続けた。

彼は、玉造勢の人々にとって所詮しょせん異邦人に過ぎなかったのだ。



無二無三むにむさん日本魂」、

進思尽忠しんしじんちゅう」、

軍勢は、大仰おおぎょう旗印はたじるしかかげ、

商家をおどしては軍資金をうばい、取り尽くすとイナゴの群れが去るように次の町へと移っていった。


とうとう天狗党内にいた若者の中からも、下村嗣次、つまり芹沢に諫言かんげんする者たちが現れた。

「いくらなんでもこれはやり過ぎです。天領てんりょうで人をあやめ、金を巻き上げるなど、これでは本末転倒ほんまつてんとうではないですか!」

若者三人が、声を挙げた。

芹沢は右手の人差し指と親指で輪を作った。

「しかしなあ、こう人数がふくれ上がっちゃコイツが要るのも事実だ。さてさて、どうしたもんかねえ。おまえはどう思う、新家?」

新家こと新見錦は、どこかの蔵から持ち出した派手な銅丸鎧どうまるよろいをまとい、大袖おおそででながら満足げな笑みを浮かべた。

「ふむ…私の友は大義たいぎのため桜田門に散った。それはいい。だが、ここいらの住人だって、あの口喧くちやかましい大老たいろうがいなくなってくれて、内心ホッとしているのが本音のはずです。なのに…なのにだ、下村さん。誰も命をして正義をした彼らをかえりみようとしない。私にはそれが許せん。みずからは手を汚さず、さりとて身を切る覚悟もなく、ただ分け前だけを主張する虫のいいやからが。

私の意見を言わせてもらえば。我々日本人は、等しく痛みを分かち合わねばならんのです。それが分からん連中には、もうひらいてやることも時には必要でしょう?」

「なるほど、道理どうりだな。さて。じゃあ次は、お前たちの言い分を聞こうじゃないか」

芹沢は、三人を振り返った。


「新家さん、それは詭弁きべんであり、押し付けだ。納得がいきませ…」

一人目が口を開きかけた時、芹沢のぎ払った刀は、すでに三人の首を落としていた。

「どうした?無口な連中だな。照れちゃってんのか?」


阿部慎蔵は、血溜ちだまりの中にす首のない男たちを茫然ぼうぜんながめた。


新見は、岩に飛び散った血飛沫ちしぶきを指でぬぐった。

その口からは、我知らず含み笑いが漏れてくる。

「…クックック。わが軍は、ほどなく鹿島神宮かしまじんぐうに達する。古事記こじき(いわ)く。祭神(さいしん) 神建御雷神タケミカヅチノカミは、火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)伊邪那岐命(イザナギノミコト)十束剣(とつかのつるぎ)で首をねられた時、剣の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一人で、剣をつかさど武神ぶしんという。なにやら暗示的じゃないか」

武装蜂起ぶそうほうきは、神のお告げとでも言いたげな口ぶりだった。

芹沢は、その言い草を気の利いた冗談ジョークように笑った。

「バーカ。カミサマとか、そんなもん居やしねえよ。おい誰か、こいつらの代わりに意見を聞かせてくれる奴はいねえのか?」


もう誰も、芹沢にとなえる者などなかった。



やがて。

軍は房総半島の外海そとうみ鹿島灘かしまなだに至り、

縁起えんぎかついだ天狗党は、鹿島神宮へ立ち寄った。


鰐川わにがわを渡った軍勢が大船津の船着き場にまっているところで、軍列を押し分け、先頭に走り寄った阿部が、また芹沢にみついた。

「なぜあいつらを斬った?!」

「それは、なぜ同じことを言った自分は、まだ息をしてるんだってことか?」

海に建つ赤い鳥居とりいを見ながら、芹沢は瓢箪徳利ひょうたんどっくりの酒をあおった。

「ふざけんな!」

「お前は、他所者よそもののクセに、俺のを前に諌言かんげんする。それは死をもいとわず、自分の正義を通したってことだ。そういう人間は得難えがたい。だが奴らは、俺にモノを言っても死ぬ心配はねえって見極めたうえで文句をれやがったのさ。つまりそんな言葉にはクソほどの値打もねえってこった」

まさか、められるなどとは思いもしなかった阿部は、返す言葉を失ってしまった。


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