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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
変遷之章
185/404

祈り 其之壱

一方、中沢琴に置いてけぼりをくらった阿部慎蔵はというと。

しばらくは見失った中沢琴が黒谷本陣から出てくるのを待ってあてもなく山門の辺りをウロついていたのだが、そのうち石段に座り込んでしまった。


「ふう!あんの野郎、単身で京都守護職きょうとしゅごそく本陣ほんじんに乗り込むなんて、まったくイカレてやがる…」

(てのひら)顎杖(あごづえ)をついてブツブツ言っているそこへ、立派な栗毛くりげ馬を引いて金戒光明寺こんかいこうみょうじの裏門から出てきた中年の男が通りかかった。

股立ももだちをとり、手拭てぬぐいでほおかむりをしている風体ふうていを見ると、会津の厩番うまやばんだろうか。


「こんなところウロついてたら、門番に怪しまれますよ」

男は石段にうずくまる阿部に、ニッと並びの悪い歯を見せて笑った。

「なにその、石段で足をくじいちまってね…」

阿部はシドロモドロの言い訳をした。

「どちらまで行かれるんです?」

「俺ぁ大阪からのおのぼりさんでね。親戚しんせきの墓参りに来てみたが、おっかない門番が立ってやがるし、引っ返して因幡薬師いなばやくしのトラでもおがんで帰ろうかってとこだよ」

「二条城まで行くからお乗りなさい。川向こうまでお送りしましょう」

男は馬のくらをポンポンと叩いてみせる。

「客なら他を当たりな。あいにく、手元不如意てもとふにょいってやつでね」

「金なんか取りませんよ」

永らく人の親切などというものとはえんのない生活をしていた阿部は、あからさまに厚意こういの裏を勘ぐる疑わしげな目つきで厩番うまやばんを見上げた。

「…いやいや!やっぱ、そりゃ不味(マジ)いでしょ!だってこりゃオトノさんの馬じゃないの?」

「いいから!」

男は阿部の警戒をくように、ふたたび柔和にゅうわな笑みを浮かべてみせる。

「どーぞ、お気づかいなく」

勝安房守かつあわのかみの一件で長州とツルんだというのは貴方あなたでしょう?」


「!」

阿部はギクリとして口を開けたまま固まった。

以前関わった旗本暗殺未遂はたもとあんさつみすいの一件を知られている。


厩番うまやばんは、阿部の眼を見ると、てのひらを突き出し、一歩後ずさった。

「おおっと、いきなり斬りつけたりしないでくださいよ。敵ならこんな開けっぴろげに話さない、でしょう?」

「…」

阿部のほうも、逃げ去るべきかと逡巡しゅんじゅんしたが、このまま男と別れてしまってからアレコレ思い悩むのも寝覚ねざめが悪い。

「あんた、いったい俺をどこへ連れてく気だ?」

「いいから、お乗んなさい」

男の言葉は柔らかいが、それで拒絶きょぜつを許さない断固たる意思を感じさせた。

どうやら言うことを聞くほかなさそうだ。


観念して渋々(しぶしぶ)くらつかまると、男は馬の脇腹わきばらを軽く叩いて進むよううながした。

「まあまあ、そう警戒しなさんな。なにも貴方あなたをどこぞのくら監禁かんきんして締め上げようなんて気はありませんから。ちゃんと町で降ろしてあげますよ」

「だが、あんたは京都守護職きょうとしゅごしょくの人間だろ?俺をしょっく義務があるんじゃねえのか?もちろん俺はそんなことやっちゃいねえし、仮にあんたの言うことがホントだとしたらって話だがな」

栗毛馬は、ゆるやかな歩調で小さな運河、高瀬川沿いを南に進んでいく。

「ハハ!そりゃ確かに会津の微禄びろくむ身ではありますがね、たかが厩番うまやばんですよ」

「たかが厩番うまやばん」が未遂とはいえ旗本殺しの計画を知っているはずがない。

阿部が疑わしな眼つきで男をにらみつけると、男は口をへの字に曲げ、肩をすくめた。

「私も含め、会津くにの者は皆、この下らない(いさか)いの矢面(やおもて)に立たされた殿が、これ以上余計なイザコザに巻き込まれるのを望んじゃいません。勝安房守(かつあわのかみ)の一件をお耳に入れれば、お立場上、犯人を調べないわけにもいかない。となれば、攘夷じょういの決行でようやく協調の道筋みちすじが見えてきた長州と無用の軋轢あつれきを産むことになります。ま、忠義ちゅうぎにも色々あるってことですよ」

「はあん?そんな説明じゃ、納得いかねえな」

川べりで何かをついばんでいたスズメの群れが馬に道をゆずるように散ってゆく。

「納得いこうがいくまいが、政治って奴はそういうものなんですよ。私はね、水戸の口利くちききで長州にくっついて馬関に向かうつもりなんです。おかしな話でしょう?本来なら親藩しんぱんの水戸が長州をいさめるのが筋だというのに、彼らは逆に毛利をあおっている始末です」

「ちょっと待て…あんた、黒船クロフネとやりあう気かい?」

琴と喧嘩ケンカして以来、無い義憤ぎふん悶々(もんもん)としていた阿部は身を乗り出した。

だが厩番うまやばんは、馬鹿馬鹿バカバカしいという風に鼻を鳴らしただけだった。

「フン。行きたくて行くわけじゃない。会津としては、の地で何が起きているのか、知っておく必要があるんですよ。それもこれも、元凶げんきょうは、開国が国益にかなうなどと大樹公たいじゅこうらぬ知恵をつけるやからのせいだ」


「…」

阿部の脳裏のうりよぎったのは、あの夜の、勝海舟の妙に落ち着き払った態度だった。


そのに落ちた顔を見て、男はうなずいた。

「つまり、そういうことです」

要するに会津の大多数の藩士にとって、勝海舟などどうなろうと構わない、むしろ居なくなってくれた方が助かるということらしい。

そして、表立おもてだって攘夷派にくみする者以外にも、勝が生きていることをこころよく思っていない連中が大勢おおぜいいることを、彼自身もよくわきまえているのだ。



やがて馬は鴨川から高瀬川へ水を引き込む樋ノ口(ひのくち)(取水口)辺りで歩みを止めた。

以前、阿部が大立おおたち回りを演じた二条通り沿いにある長州屋敷のほど近くだ。


男は小さな門構もんがまえの屋敷を見やった。

「ちょっと寄り道していきたいので、ここいらでいいですか」

もちろん、阿部は解放を歓迎した。


「あんがとよ。馬番の兄さん」

阿部は男に手を貸してもらいながら馬を降りる間も警戒を解かず、一刻も早くその場を立ち去ろうと形ばかりの礼をして後退あとずさった。

「いえいえ。何を探ってるのかは存じませんが、黒谷にはあまり深入りなさらぬよう」

「え?だから人違いだよ。俺はそういうアレじゃ…!」


「引きずってる足が逆です」

厩番うまやばんはニヤリと笑って捨て台詞セリフを吐きながら背を向けた。


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