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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
変遷之章
177/404

Trouble Sleeping Pt.2

「クソ!クソが!この脚さえ思い通りに動けば!」

爪哇咬吧ジャガタラはねじ曲がったひざ(こぶし)を打ちつけながら毒づいた。

琴はその様子を見て、わずかに目を細めた。

「…仙吉にやられたのか」

「余計なお世話じゃ!」

勘違(かんちが)いするな、私は奴の居場所が知りたいだけだ」

「知ってどないする」

「どう?」

問い返す琴の眼を見上げたとき、爪哇咬吧(ジャガタラ)は、にわかに背筋が凍りつくような感覚におそわれた。

かつて、腕力にモノを言わせて賭場とばを荒らし回った無法者は、その時、初めて(ひる)むという言葉の意味を理解したのだった。

「…まあええ。ヤツなら、このまま川を上っていった大文字町に一家を構えとる。けど、こんだけはうといたるがな、奴には気ぃつけえ。気のええゴンタを装っちゃおるが、ありゃ、ホンマもんのワルじゃ。こんな梅雨つゆ時に脚の傷がうずくたんび、何度眠れん夜を過ごしたか知れん。

ほんでも借りを返しにいく踏ん切りがつかなんだのは…我ながら情けない話しやが、何べんやってもかなう気ぃがせんからじゃ」

爪哇咬吧(ジャガタラ)はうなだれたまま、声を(しぼ)り出した。


「…忠告は覚えておこう。ありがとう」

琴は少し微笑ほほえんで、(きびす)を返した。

そして、先ほどの菜園を通り過ぎようとした時、

一部始終を見ていたあの老人が、ボソリと声をかけてきた。

「小鉄や」

「え?」

「会津の小鉄。仙吉はんは、ここいらではそう呼ばれとる」

「会津の小鉄」

「あんたら、親分さんになんの用事か知らんがな、爪哇咬吧(ジャガタラ)()うとったやろ。くれぐれも口には気いつけえ。ありゃあ、後世に名を残す大侠客(だいきょうかく)じゃ」


実のところ、阿部慎蔵も、やる事もなく都をブラブラしていた頃、夜の繁華街(はんかがい)で、似たような噂話うわさばなしを小耳に(はさ)んだことがあった。


― 近ごろ都の裏社会で、頭角(とうかく)を現している男がいる。


(うわさ)によれば、

男は数年前、当時悪名高かった賭場とば荒らし、爪哇咬吧(ジャガタラ)完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめして名を売った。


(いわ)れは定かでないが、

二つ名を、会津の小鉄―アイヅノコテツ―という。


だが阿部も、あの夜、仏生寺と渡り合う仙吉を見るまでは、そのうわさと客引きの小男を結びつけて考えることはなかった。


しかし、会津の小鉄には際立った特徴があった。


頰に残る刀の傷跡(スカーフェイス)


それを思い出したあと、阿部がその正体にあたりをつけ、

ここまで琴を案内するのに、さほど時間は掛からなかった。



阿部は、土手を登りきったところで琴の背中に追いつき、老人を振り返った。

「あんな石塊(いしくれ)だらけの河原をほじくり返したところで、なにが出来んだか」

「いま種を()けば、ナス、枝豆、スイカ、自分ひとりが食べるくらいのものなられるさ。そう言うあなたは、自分の手で何かを作ったことがあるのか?」

非難めいた問いかけに、阿部は鼻を鳴らして不満を表明した。

「このご時世に、晴耕雨読(せいこううどく)なんざクサ儒者(じゅしゃ)戯言(たわごと)だぜ。武士たるもの、今こそ刀をとって民草(たみぐさ)たてとなるべきだろうが!例えば、あのジジイだ。あとな、言っとくけど、今回の件もまた貸しだかんな」

「…やれやれ、立派な心がけだな」

琴は渋い顔をして、また歩調を速めた。




同日、明けの八つ半(11:00am)

都の北、修験道(しゅげんどう)の本山として名高い聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)のほど近く。


「だから!」

琴は、そこで言葉を切って、真っ黒なその瞳で空を(あお)いだのち、大きくため息をついた。

「…どうして、まだついて来る?」


「別にいいだろ!これは好意ってやつだ。明日にも大坂に立とうって時に、お前がモタモタしてっから、手伝ってやろうってんじゃねえかよお!」

あいも変わらず琴につきまとう阿部が、その背後で恩着せがましく(わめ)き散らした。


「大坂には行く。そのためにもサッサと用事を済ませてしまいたいのに、あなたがいると足手まといだと言ってる」

ズバリと切り返されたが、阿部は気にも留めない。

「おい!言葉に気をつけろ!だいたい、あいつの正体に行き着いたのは誰のおかげだと…」

そう言って阿部が指さしたのは、

八間(約15M)ほど向こうを歩く、木綿もめん法被はっぴ股引ももひき姿の小柄な男だった。


「何度言えばわかる。声が大きい」

琴は声を押し殺して阿部をにらんだ。


二人が尾行しているのは、無論むろん、会津の間者かんじゃを名乗る男、上坂仙吉である。


なぜ琴が、大坂行きを先延ばしにしてまで仙吉にこだわったのか。

それは、彼女自身にもよくわからなかった。

仙吉が長州にまつわる諜報(ちょうほう)に従事していることは疑いようがない。

清河八郎のために、その活動を探るという口実はたしかに成り立つ。

しかし、そのためばかりとも言えなかった。


洛北の賭場とばでひと騒動があったあの夜、

仙吉は、仏生寺弥助と浪士組筆頭局長(ひっとうきょくちょう)芹沢鴨、そのどちらかを見張っていたのは間違いない。

彼は道化(どうけ)を演じて、攘夷派の元締めと(おぼ)しき没落貴族(ぼつらくきぞく)(ふところ)(もぐ)り込むことに成功していた。

一方で、"不敗の上段"と恐れられた仏生寺を相手に一歩も引かない気迫で、一触即発いっしょくそくはつの危機を納めて見せた。


つまるところ琴は、一見気のいいこの男に、仕事抜きでひどく興味を覚えたのだった。

あるいは彼女のボヘミアン的な気質(きしつ)が、仙吉の持つ何かと共鳴したのかもしれない。


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