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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
約束之章
161/404

蛇の皮 其之壱

平安遷都(せんと)から千年を経た都では、これまで数限りない権力闘争がり返されてきた。

つまりそれは、同じ数だけ心残りを置いて死んでいった者たちがいて、その情念(パトス)がこの土地には染みついていることを意味している。

彼らの残像は一見華やかに見えるこの街の隅々に(ひそ)んでいて、ふとしたきっかけから、思いもしない形で人々の五感にうったえかけてくるのだった。


そして、それは文明開化ぶんめいかいかの時代を目前にひかえた文久年間ぶんきゅうねんかんですら、何も変わらない。



土方歳三が、前川邸の庭を眺めながら浪士組の掌握(しょうあく)についてある種の展望を見出していた、その、同じ日の夕刻。


都のほぼ中央を南北に走る烏丸通からすまどおり


「キーッ!キーッ!」


禁裏きんりの脇をすこし北に過ぎた辺りで、人とも獣ともつかない奇妙な鳴き声を耳にした中沢琴は、眉根まゆねをよせて足を止めた。


「…あれは?」


その後ろを歩いていた阿部慎蔵が、珍しくもなさそうに肩をすくめてみせる。

「分からん。だが、以前からこの辺りじゃ有名さ。寺田屋で死んだ藩士の亡霊ぼうれいの声とかうわさされてるが…バカバカしい」

「じゃあ、つまりここが薩摩屋敷さつまやしきか」

琴はひょんなことで知り合った薩摩の"人斬り"こと中村半次郎を思い出して、声のした土塀どべいを見上げた。

「ま、そゆこと」

いまや、琴を勝手に相棒と決めつけている阿部の返事は、どこか気易きやすい。

が、実のところ彼はその相棒について何も知らなかった。

「九郎」を自称するこの浪人が、実は女だとは思ってもいない。


阿部のかんにぶさはさておき、

二人は、その日も夜半に開帳(かいちょう)されるという謎の賭場とばを求めて洛北に向かっていた。


「その日も」と前置きしたのは、彼らにとってこれが最初の探訪たんぽうではなかったからである。

「…本当にあの離れで間違いないんだろうな?」

都の南端(なんたん)、伏見に投宿(とうしゅく)する琴にとって洛北まで(あし)を伸ばすことは、ほとんど半日を費やすことを意味する。

これまで二度も空振りを食わされた彼女は、そろそろ阿部の話にも疑念を抱き始めていた。


「ホントだってば!クドイな、あんたも」

阿部が「問題の賭場とばだ」と主張する小さな屋敷には、ここ数日、なぜか人の気配がなかった。

しかし小綺麗(こぎれい)に刈り込まれた植木を見る限り、人の出入りが絶えているとも思えない。

阿部の記憶違きおくちがいがなければ、この家の離れでは不定期に賭博とばく開催かいさいされているということになる。


「とにかく、あんたは俺の言うことを信じてりゃあいいんだよ。生き馬の眼を抜くってぇ都でも、俺ほど修羅場(しゅらば)の数を踏んだ人間はそういねえんだからな」

「前から忠告しておきたかったんだが、あなたがそのシュラバだかを踏んづけるたび、周りの人間が迷惑をこうむって…」「シッ!」

呆れて言い返す琴の口元を阿部が抑えつけた。


やぶにらみの眼で問いかける琴に阿部が指差したのは、いわゆる五芒(ごぼう)紋章もんしょう(かか)げた奇妙な鳥居だった。


晴明(せいめい)神社ー


陰陽師(おんみょうじ)として今日(こんにち)も名高い安倍晴明(あべのせいめい)(まつ)った神殿である。

禁裏(きんり)の北に位置しており、そこは洛北へ向かう途上に当たった。

阿部が辻君つじぎみと呼ばれる遊女と出会った場所でもある。


で肩の小男が、その鳥居をくぐっていく後ろ姿が見える。

「見覚えのある男だぜ」

阿部は記憶を辿(たど)るようにアゴをなでた。

「そっか…思い出したぞ。前に奴から声を掛けられたことがあるんだ」

もちろん、琴にとってそのなで肩の後ろ姿は、忘れようにも忘れられるものではなかった。

「どこで?」

「壬生って町外れの集落しゅうらくだ」

阿部が壬生村でこの男の姿を見かけたとすれば、それは彼が浪士組世話役ろうしぐみせわやく 清河八郎の命をつけ狙っていた時期のことに違いない。

「…仏生寺弥助ぬっしょうじやすけ

琴は禍々(まがまが)しいその名を口にして、少し間をおいた。

「『不敗の上段』と呼ばれた男だ…」


「マジかよ?まさか、あいつがあんたのお目当ての仏生寺弥助とはな。だがこれで俺の言うことを信じる気になったろ?あいつが姿を見せたってことは、今夜あの賭場が開帳(かいちょう)される公算が高いってことさ」

「かもな。では、あなたの役目は終わりだ。案内はここまででいい」

「なんで⁈どーして⁇水臭(みずくさ)いこと言うなよ!ここまで来たら最後まで付き合うぜ!決まってんだろ!」


詰め寄る阿部を琴は手で制した。

「まて」

その視線は阿部の肩越しに(さび)れた参道へ注がれたまま。

「ここは…そう言えば、前にもこの場所で、奴がいかがわしい女と会っているのを見たことがある」

(いぶか)しげに細めた切れ長の眼には、もはや阿部のことなど映っていない。

ところが、それを聞いた阿部には思い当たることがあった。

いや確信と言ってもいい。

「ははあ、あの女狐(めぎつね)、まだ此処ここで商売をしてやがるのか」

「あの女を知ってるのか?」

琴の眼の焦点がふたたび阿部に合った。


「あいつのせいで散々ヤバイ橋を渡らされたからよ。だが、知ってるとは言えねえな。得体えたいの知れないやつさ」

「仏生寺とはどういう関係なんだ」

琴は七、八(けん)(13〜18M)先をブラブラ歩く仏生寺の背中に視線を戻した。

「さあね、お得意さんなんだとさ」

阿部は壬生寺で仏生寺から直接聞かされた言葉をそのまま使った。

「ここで?」

琴がまゆをしかめる。

なぜなら琴が見た女の風体ふうていは、明らかに身体を売る商売のそれだったからだ。

阿部は激しく首を横に振った。

「ちがうちがう、そーじゃなくて!なんだか怪しげな薬を売ってやがんだよ」


言われてみれば、あの時、女と仏生寺は何かを取り交わしていたようにも思える。

「クスリ…か」

琴は暗い眼でつぶやいた。


二人は尾行を気づかれないように参道(さんどう)脇の雑木を()うように進んで行った。

何処どこかで子供たちがかくれんぼをして遊んでいる声が聴こえる。

やがて、拝殿(はいでん)を見渡せる場所まで来ると、仏生寺弥助が手水舎(ちょうずや)かたわらに立っているのが見えた。


そしてー

女も、あの寒い朝、阿部が初めて見たときと同じように、そこに立っていた。


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