美女と美男 其之壱
文久三年四月中旬。
新暦でいえば、五月の末、陽射しも日増しに強くなってくるころ。
朝の四つ(10:00am)。
都の西、壬生村にある浪士組屯所の庭では、今日も井上源三郎が木刀を振るっている。
「こ〜の暑いのによくやるよ」
永倉新八はかたわらの木陰で屋敷の主八木源之丞と立ち話をしながら、その様子をチラリと見て言った。
「そんなことゆうたかて、うちらが日陰を占領しとるんやさかい」
源之丞が苦笑いしていると、離れから歩いてきた沖田総司と藤堂平助が話に加わった。
「外での稽古も、もうしばらくの辛抱ですよ」
「そろそろ鹿島神社で道場の床の間に飾る掛け軸をもらってこなきゃな」
源之丞はそれを聞いて、店子たちから建築が進む道場の棟に視線を移して、まぶしそうに手をかざした。
「…形になってきましたなあ」
その声は心なしか憂鬱さを帯びている。
「まだ骨組みだけですがね。入隊試験は相変わらずお寺の境内でやってますよ」
藤堂が完成を心待ちにするように言えば、一方の沖田は屋根のうえを歩く瓦職人たちを眺めて無邪気に感心している。
「…にしても、恐くないのかなあ」
「抜き身の相手と立ち会おうちゅうおひとが何をゆうたはりますのや。ともあれ…順風満帆どすがな。なんや、隊士募集のほうも盛況やし」
入隊希望者が殺到した件については以前すこし触れたが、彼らが立っている位置からは、離れから門の方まで続く小汚い浪士たちの列が見渡せた。
この中の何人かは間違いなく入隊して、そうなれば確実にまた屋敷の一画を新たに占領されるのだから、源之丞が気を揉むのも無理はなかった。
応募者は離れでごく簡単な面接を受けて身元を確認されたあと、壬生寺で実技試験を受けることになっている。
もっとも、彼らの申告する経歴はほとんどが眉ツバもので、聴きとりをする側も詐称など百も承知のうえで気にもとめないのだから、面接に何の意味があるのかは誰にも分からなかった。
要は、土方歳三のいう「体裁」というものらしい。
「ど~にもこ~にも、殺伐とした景色だねえ」
永倉新八が、行き交う怪しげな男たちから目をそらしてボヤいたとき、行列の前方から小さなどよめきが起こった。
沖田や源之丞が声のした方を向くと、モノトーンの群れが割れて、その裂け目から艶やかな着物の女性が姿を現した。
こちらへ歩いてくるその女は、菱屋の借金取り、梅だった。
「ほら永倉さん、あれあれ。目に焼き付けとかなきゃ」
沖田は永倉の顔をつかんで、無理矢理そちらへ向けた。
「ごめんやす」
梅は彼らの前で立ちどまって楚々と頭を下げた。
永倉が発情した犬のように梅に飛びつく。
「おいでやす!」
梅は冷たい微笑をたたえてもう一度会釈すると、入隊希望者の列を振り返った。
「なんや今日は逞しいおサムライさんが仰山おいやすなあ」
これみよがしにうっとりした表情を浮かべると、梅は永倉など眼中にないという風にその手を払いのけ、母屋に入ってしまった。
「つれないんだからもう」
鼻の下を伸ばす永倉にあきれながら、沖田がつぶやく。
「…出たよ。借金取り」
「あれ、菱屋太兵衛の愛妾どすがな」
源之丞は意外な顔をして梅を目で追っている。
「知ってるんですか?」
沖田は驚いてたずねた。
「そりゃまあ、あれだけの器量どっさかいなあ。ここら辺では有名どすわ」
「けど、たしか菱屋って西陣の山名町辺りですよ。ここからだとかなり遠いでしょ」
源之丞は、他人に聞かせたくない話でもあるように沖田たちに小さく手招きすると、声を落とした。
「菱屋の主人太兵衛ゆうのは、いま近藤せんせらが寝起きしたはる前川はんとこの親戚どすのや」
「ふうん」
沖田と藤堂は思わず前川邸をふり返った。
「それに、あのお梅は、元はと言えば島原の茶屋でたいそう人気の芸妓どしてなあ」
島原は都でも有数の花街で、壬生村からは半里(約2km)もなかったから、このあたりの「紳士」たちが羽根を伸ばすには都合がよかった。
「ははあ、ご主人も入れあげたクチですね」
沖田が冷やかすと、源之丞は心外そうに手を振った。
「他愛ない遊びの範疇どすがな!」
話が艶めいてくると永倉新八もだまっていない。
「はあん、八木さんはそこらへん、花柳界の事情にも通じてるわけね」
話のわかりそうな相手をみつけて機嫌を良くした源之丞は口も軽くなる。
「家内には内緒どっせ。せやけど、私も狂言をやりますやろ?多少は遊びも知らんと、芸にツヤゆうもんが出えせんのどす」
と、まんざらでもなさそうに粋人を気取った。
「言うことが玄人だねえ。そういうセリフはよっぽどの通にしかでませんぜ」
永倉が源之丞の肩を小突く。
いよいよこの話題も佳境に入ろうかというとき、藤堂平助がくさびを打ち込んだ。
「平たく言やあ、 助平なんだろ」
身も蓋もない結論に源之丞はすっかり閉口してしまう。
永倉は肩をすくめると、小さく首を振った。
「やだやだ、これだから無粋なやつは」
源之丞は夢から覚めたように、
「…そやけど、菱屋はんは下手に金を持っとったばかりに、遊びではすまんかったんどすやろなあ」
と軽くため息をついた。
「お梅さんを身請け(お金を払って遊女の身柄を置屋などからもらい受けること)したってこと?」
沖田がたずねる。
「まあ…そんなとこどすわ」
「考えようによっちゃ、あんなすごい美人を囲えれば男冥利に尽きるってもんでしょ」
「それが、そうとばかりも言えまへんのや」
源之丞がまた裏情報を披露しようとしたそのとき、
「総司!」
背後から近づいてきた副長土方歳三が、沖田の耳たぶを思い切り引っ張った。
「痛い!痛い!痛い!何すんだ!」
「朝メシんとき、寺に来いって言ったよな?!今日はお前が入隊希望者の相手をする当番だってな!聞いてなかったとは言わせねえぞ!あ?言ったろ?!」
「わかった!ごめん!痛いってば!」
しかし土方は、耳たぶをつかんだまま、沖田を引き摺っていってしまった。
源之丞は、それを見送りながら、勝手に沖田と菱屋の身に降りかかった災難をひきくらべて、
「まあ、人生、あれくらいの刺激がほど良い塩梅とちゃいますかいなあ…」
と妙に達観した感想をもらした。




