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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
約束之章
142/404

島原大門 其之参

斎藤は低く身体を沈め、地をった。

一直線に伸びる太刀筋たちすじが、

ハヤブサのように仏生寺をおそう。

しかし、

仏生寺は刀身とうしんを斎藤の剣先に軽く触れただけで軌道きどうをそらし、

いとも簡単にその突きを交わした。

斎藤が驚く間もなく、

仏生寺の上段蹴じょうだんげりが跳ね上がる。

斎藤は、意表をつくその動きに、なんとかって対応した。

その蹴りは、斎藤のそでを切り裂いた。

刃物に匹敵ひってきする鋭さだ。


斎藤は信じられないという顔で仏生寺を凝視ぎょうしする。

仏生寺は、例のしまりのない笑顔で小首こくびかしげてみせた。

「ハハア、左の突きなんて、ずいぶんクセのある剣を使うなあ」

「交わしたのは、おまえが最初だ」

「私の蹴りを交わしたのは、あんたで二人目だよ。もっとも"彼女"は服にもかすらせなかったがね」


「…誰だそれは」

驚いた斎藤一も、当の仏生寺弥助も、まさか最初にその蹴りを交わした中沢琴がすぐそばに居るとは思ってもいなかった。



一方、二人の後を追おうとしたその中沢琴も、今度は逆に引き止められる立場に追い込まれていた。

「おまえ、ひょっとしてわざと奴らを逃がそうとしたのか?」

あまりに都合よく現れた琴に、浪士組の面々も疑いの目を向ける。


「仕事の邪魔じゃまをするのは気が引けるが、今日のところは大人しく引っ込んでいてもらおう」

琴はあっさりとそれを認めてしまった。


「こいつ、仲間だぞ!」

「やはり、長人(長州藩士)だな!」

亀井と細川が口々に叫ぶのを聞きながら、琴はゆっくりと刀の柄に手をかけた。

勘違かんちがいしないでほしい。公方くぼう様(将軍徳川家茂)のために働く者に危害を加える気はない」


佐伯又三郎は、猫背ねこぜをさらに丸めて顔をつき出すと、目をすがめた。

「…いったい、なんなんや?おまえは」

鼻の効く佐伯は、それとなく琴の実力を察していた。


しかし、実戦経験のとぼしい新人にそんな勘は望むべくもない。


「そんな戯言たわごとを信じると思うか!」

家木が先頭を切って琴に踊りかかると、

左右から亀井と細川がそれに続いた。


「ま、待たんかい、おまえら!」

佐伯が止めたが、時すでに遅し、

家木たちは信じられないような光景を目の当たりにしていた。

その“得体えたいの知れない浪人”が、はるか頭上を一回転しながら飛び越えて行く。


彼らはあっというまに背後を取られていた。

琴が二尺八寸の長刀を横薙よこなぎに一閃いっせんすると、

ヒュンと風を切る音がして、

三人の羽織は、綺麗きれいな真一文字にかれた。

「うわっ!」

誰かの口からおもわず悲鳴が漏れる。


「大げさな。斬ったのは布切れ一枚だ」

呆気(あっけ)にとられて立ちすくむ四人を尻目しりめに、琴は悠々(ゆうゆう)と島原の大門を出ていった。

揚屋町あげやちょう方面に曲がった二人をえて追わなかったのは、いかに浪士組の腕利うできき(斎藤)といえど、仏生寺弥助を仕留めることなど出来ないと確信していたからだ。

琴は、まっすぐ祇園ぎおんへ向かって、吉田屋で仏生寺を待ち伏せる道を選んだ。


追い詰められていた三戸谷一馬みとやかずまら仏生寺の手下たちも、いまがチャンスとばかり方々へ散っていく。



同じころ、仏生寺弥助とにらみ合っていた斎藤一は、背後に仲間の悲鳴を聴いていた。

ふと集中が切れたすきに、仏生寺は路地ろじに逃げ込み視界から消えてしまった。

「くそ!」

斎藤は仏生寺を追うこともできたが、島原大門の騒ぎを放っておくわけにもいかず、舌打ちしていま来た道を引き返した。


戻ってみると、先ほどの不逞浪士ふていろうしたちはみな姿を消しており、佐伯又三郎らが気の抜けたように突っ立っている。

「何があった?」

佐伯は、無言でひざをつく隊士たちの背中をゆびさした。



斎藤は家木らの羽織が切り裂かれているのに気づいてまゆをひそめた。

「後ろを向いて並んでみろ」

同じ高さで横一線に着物が裂かれている。

しかも中の小袖こそでには傷ひとつ付いていなかった。

「…ずいぶん好き放題にやられたな」

「こ、これはつまり…」

家木はなんとか弁解を試みようとしたが、これだけハッキリした物証ぶっしょうがあっては言い逃れようもない。

「解ってる。こんなふざけた真似マネが出来る奴に、並の剣士がかなうはずもない。これで古着ふるぎでも買え」

斎藤は三人に銅銭どうせんを投げてよこした。

「え?」

「そのまま屯所とんしょに帰れば、敵に背を向けたと勘繰かんぐられるぞ。まだ腹を切りたくはあるまい?」


彼らを金で抱き込もうとしていた佐伯は、先を越されて渋い顔をしながらたずねた。

「そっちの首尾しゅびは?」

「すまん、逃げられた。俺の突きを涼しい顔でいなされたよ」

薄いくちびるに触れながら、斎藤は苦い経験を思い返した。

「わしは稽古けいこで何回か見とるけど、あの突きを交わせる人間がおるとは、ちょっと信じられん話やな」

斎藤一は間違いなく在京ざいきょうでも最強の剣士の一人で、しかも彼の左突きは必殺と言っても過言ではない。

「あいつら、何者なにもんや…」


しかし斎藤は、落ち込むでもなく、薄い笑みすら浮かべている。

「浪士組に誘ってくれたお前に感謝せねばな」

佐伯は面白くもなさそうに片方のまゆを吊りあげた。

「そりゃ皮肉ひにくのつもりかい?」


「俺は少々自惚うぬぼれていたようだ…世間は広いということさ」

中沢琴と仏生寺弥助。

図らずも希代きだいの天才たちに遭遇そうぐうした斎藤の眼は、妙に生き生きとしていた。


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